小説・鳴ライ

  •  肌を掻く音で目が覚めた。隣を見ると鳴海が背中を掻いていた。かゆいところに手が届いていないようで、何度も身をよじっては爪に全神経を集中させて骨張った手のひらを小刻みに動かしている。ぼんやりとその光景を見守っていたライドウは手を伸ばし、かゆい…

  • 瓶詰めフロッグ

     ふたの開いたガラス瓶がある。 ライドウの机に転がるそれは中身がなく、内部と口の部分にべとべとした黄色い粘液がこびりついていた。異臭はしないものの、見た目は大変汚らしい。 ベッドで頭を抱えているライドウは応接室の声に気がつかなかった。 ノッ…

  • 桜雨(ライ×伽耶)

     大道寺邸には誰もいない。騒がしい悪魔たちを退治したばかりだ。 役目を終えたライドウとゴウトは海松茶(みるちゃ)色の門構えを見上げた。『いずれこの屋敷の持ち主は帰ってくる。それまで我らが留守を預かろう』 ライドウは浮かない顔をしていた。どう…

  • Summer’s Day

     風が吹いた。いっさいの物音がしなくなった。 静けさに振り返ると夏空があった。 屋上で支えもなく立つ脚からは短い影が色濃く瞬き、揺らめいている。 書生は手に持つラムネに口をつけた。まなざしはきつく皺を結った。 干したばかりの洗濯物は風にうる…

  • prose(和室にて)

     1, 待ち合わせということもあった。 黒い車体を鏡代わりにして、男は、くせっ毛にしてはよく整えられた焦げ茶色の髪に手ぐしを入れた。 口笛を吹きそうな明るい表情だ。 白のダービーハットをかぶり直し、彼は再び歩き出した。 男の行く先の逆方向へ…

  • 濃緑と橙 ~The March Hare~

     耳をみかんの皮でこしらえた雪うさぎがいた。目は黄緑のヘタを押し込まれて、まるでまつげが生えているようにぱちりとしていた。 窓台にぽつんと置かれて寂しげに月夜に背を向けているその隣に、もう一羽の雪うさぎが並べられた。こちらは南天で濃緑(こみ…

  • 部屋とYシャツと私

     探偵社に帰ってからまず目で探すのが鳴海の姿なのだが、その日、扉の前から見下ろすも所長デスクに茶色い頭はなく、ライドウは視線を流し場のほうへ向けた。物音は聞こえてこなかった。手洗いだろうか、そう思って階段を降りようとしたとき、背後から扉を開…

  • 雨月に惑う

     昨夜、碗に映る月をつかまえたばかりだ。 まるで今しがた掬ったように、水を一杯に張った茶碗を、僕は両手に掲げ持っていた。胸元に水を受けながら、星と位置とを伺う僕の頭は、うろうろとさまよう足と一緒に、手元へ月へとよく動いた。 やがてぴたりと見…

  • しゃぼんだま

     ストローからぷっくらと、生まれたてのしずくを垂らして、虹色のまんまるい泡が浮かぶ。 頭でたとえるなら赤ん坊のような大きさで、実でたとえるなら梨ほどのシャボン玉だ。 物言わぬきつねは、いつもよりも目をまんまるくしてふわふわと浮かぶそれをぱち…

  • 弥生

     昨日までは雪だった。 一緒に歩いていたつもりが、ふと見ると隣に立ち上るはずの白煙がない。探すまでもなく振り向くと、俺から10歩うしろにライドウの姿があった。 うつむきながらの一歩一歩はどこか慎重で、なにをしているのかと見ていると、遅い歩み…

  • まめまき

    「それでは鳴海さん、失礼いたします」「おう」 手には升。中には炒った大豆がしゃらしゃらと軽やかな音を立てていました。 鳴海の自室をノックしたライドウは、机に向かって帳簿づけをしていた男に一礼しました。 椅子をくるりと回転させて、鳴海も『どん…

  • 冬温し

     とほうもなくあたたかいなにかが指に触れた。 鳴海の腕だった。 寝返りを打ったところに彼がいた。 昨夜の情交のあと、そのまま眠ってしまったらしい。「あたたかい」 呆としながらも冴えた目つきだ。 気づきを含めた呟きを落とすと、鳴海の肩が、もぞ…

  • 水茎の跡

     外は雪。 元旦の探偵社はストーブがきいていて窓が曇るほどに暖かい。 午前8時。『お年玉』と書かれた大入り袋をまじまじと見てライドウは首をかしげた。 鳴海から手渡されたものだが意味がよくわかっていないらしい。 にこにこから一転、「あー、つま…

  • におい

    「なんですか、犬みたいに」「お前の後れ毛と耳の間の部分な、いい匂いがするんだよ」「くすぐったいからやめてください。 おまけに、なんですか、その鼻の冷たさは」 指先で軽くつままれた。 痛みもなくじんわりと鼻先をあたためてくれる優しい指だ。「体…

  • p.m.Check-in

     真鍮が黄金のように光っている。ポール付きベッドとは驚いたが、ライドウはそんな悪趣味な輝きを見ようともせずに、石なり塩なりを部屋の隅々に置き始めた。「なにしてるの」「こうしないと、これから部屋ですることを見られてしまいますから」「誰に?」「…

  • 蝶が見た夢

    「筑土町へ行くのですか」 壁に空いた穴から声が通った。 黒の学生服を着込んだ少年が白い壁面に身を寄せると、続いて水鏡のようにきらめく少女の声音が聞こえてきた。 月と兎、それに萩の絵を描いたら丁度良いだろう、小さな飾り皿のような大きさの穴から…

  • 新・今日の一コマ

     目の前には五つに切り分けられた羊羹。それと匂い香ばしいほうじ茶が二椀。 俺とライドウは向かい合って今日の茶受けを挟んでいる。 なぜ五つに切り分けるのだろう。 微妙なところで包丁さばきが下手な奴だと思いながら、俺はひとつ楊枝を刺した。 うん…

  • IN THE BEDROOM

     夢を見たと思う。 月明かりの下で影踏みをした。 遊び相手はひとりきり、川縁に長い脚を弾ませて僕の靴から逃げてゆく。 たんとんたんとんと影を踊らせるあの人は僕に捕まるまいと遠くの柳の下に身を移した。 天の川みたいにさやさや流れる木の葉の影が…

  • 太陽

    「覚えといて。辞書は上から三段目の列に入れること」 何事にも努力は必要だ。 相対する者がひとりきりなら歩み寄りも楽にいく。 ただ何をすればいいのか、何を望んでいるのか、表さなければ戸惑いが多くなる。 新しく国語辞典を買い求めた少年は二段目の…

  • MEMORIES

     遠めがねなんてものがどこにあったのか。 ふたつある。 星を見るのにちょうどよい長さだ。 肘から手首までの身の丈で、みっつの銅色の筒が星へ近づくほどに太くなって繋がっている。 覗き込む側はキセルより一回りほど太く、目のかたちにちょうどよい丸…

  • hole to the moon

     朝目覚めると、ベッド脇の床に穴があった。 もぐらが十匹くらい集まって同じところを掘った大きさだ。ジャックフロストの頭なら楽々入るだろう。 鳴海はぼんやりと穴の上に両足をぶらつかせながら考えた。 あぁ寝相が悪かったら大変なことだ。ベッドの上…

  • acorn(どんぐり)

    「鳴海さん、いいものをあげますよ」 正しいという顔が表す生真面目な口調で、ライドウはなにかを乗せた両手を差し出した。 ちり紙いっぱいに包まれたそれはacorn(どんぐり)だった。「遠慮なく喜んでいいですよ」 困った顔をする鳴海に向かい、少年…

  • This Is Love

     ミルク味のキャンディをコロコロと舐めていた。「はい、おみやげ」と、ある祝日の由来と共に鳴海からプレゼントされたものだ。 子供扱いをされるのが嫌だったのだろう。 だからといってルールも守らず、いたずらを仕掛けたあの日のやりようを肯定する気に…

  • 遣らずの雨

     石は見ていた。 横たわる泥水の中からたまたま意識を向けた方角に、ひとりの少年がいたのだ。 黒外套に学生帽、雨粒にも隠せない霧のような肌の白さと、これしかないという立体で顔どころか外套に隠されている身体をも形作られているであろう、ひとり佇む…

  •  ちょっと様子がおかしいなとは思っていた。大体2、3日前から。 まだ日差しも高い青空が窓から見える。時計の針は正午を指していた。 光に照らされた埃がきらめいているなか、僕はソファに座って本を読んでいた。 用事があってもすぐに本を閉じられるよ…

  • 机上にて

     10/5 ライドウ、元気でいるか? 俺は相変わらずだ。ここから、机の前から一歩も動けずにいる。いや、正確に言えば椅子の上から、だろうか。まったくどうしてこんなことになったのやら、万年筆をくるくる回してみても思い当たることが見つからない。 …

  • 続・今日の一コマ

     ケンカは些細なことなのだ。 理由があまりにばかばかしいので戯れに話してみようかと思う。 原因は石鹸だ。なくなりかけていた石鹸。 新しいのを出そうとしたら鳴海さんが先に出した。 前と変わらないのを。 だから僕は少しむかついたというそれだけの…

  • 8/1sunnyday

     夏休みのはじめ、定吉さんと会った。 先に見かけたのは僕のほうで、彼は異人の子を含めた晴海町の子供たちと鬼ごっこをして遊んでいた。白ワイシャツと麻のズボンという軽装を見るに、どうやら非番らしい。 しかし「さぁ次はおじちゃんが鬼だー」などと言…

  • 月の子

     どこと特筆することもないひなびた温泉街。空を見れば伊豆に近いのかも知れない。そんなくすんだ色をしている。 あせた畳の部屋にふたりはいた。 ここは旅館だ。少し湿っぽいが日が当たらないこともない、穏やかな明るさの中にふたりは寝ころんでいた。「…

  • ギフト

     朝に異変が起こるのはいつものこと。 ライドウがなかなか起きてこないので、鳴海は少年の自室をノックした。 扉を開けるとまず驚いた。 はじめは肩から、そして後ずさった腿へと大量の札束が雪崩れてきたのだ。ここから見えるはずのライドウの机が大小合…

  • 日常 晴海町にて

     潮の音が耳に心地よい。 白い石畳が眩しく照り合う町で彼と再び出会った。 彼は白桜のように毅然とした軍服を着たまま、胸元に茶色の紙袋を抱えていた。どうやら買い物帰りらしい。 ライドウは学帽の位置を正して会釈をした。彼も丁寧に挨拶を返した。 …

  • 日常 深川町にて

     鴉と共に深川を訪れた際、少年は昔のことを思い出した。その記憶を辿るように江戸から明治の町並みが残る家屋方面へと歩いていく。 立ち止まったのは見せ物小屋の前だった。不気味な呼び声でおぞましき非日常を見せようとする呼び子を無視して、少年はそこ…

  • やわらかな水

     疲れが出たのだろうか。 雨の日に歩いたというわけでもないのに少年は喉を痛めた。 喉の赤みは肺にまで達した。 曇りの日に彼は床に伏せた。 高熱で歩けない彼を診察した医師は寝室でぼそりと告げた。「軽い肺炎です」 どうぞお大事にと薬を置いて老医…

  • 水と体温

     ちゃぷちゃぷと歩くたびに音がする。 いつごろからか、互いの目には足元に水たまりができていた。 靴を浸すか浸さないかくらいのわずかな水は日を追うごとにかさが増していった。 今は夏。 足首まで水がある。「濡れてる感じある?」「いいえ」「そう。…

  • 格子

     朝に顔を合わせると、目の前に鉄格子ができていた。「おあ?」 鳴海は間の抜けた顔をしてデスク近くの黒い格子を指さした。 ライドウはライドウでぱっちりと着こなした学制服のまま飄然と立ちすくんでいる。 部屋の端から端まで10センチの間隔で黒い棒…

  • 今日の一コマ

     試験の疲れが出たのだろう。 堂々とソファの上で横になっているのはいたしかたない。 にしても寝ますな。お前は。 確かにカードキャッスルを作ってるくらいに暇だけれども。 おまけに静かだけれども。 寝ますな。 窓から差し込む陽に『ああ今は夕方な…