耳をみかんの皮でこしらえた雪うさぎがいた。目は黄緑のヘタを押し込まれて、まるでまつげが生えているようにぱちりとしていた。
窓台にぽつんと置かれて寂しげに月夜に背を向けているその隣に、もう一羽の雪うさぎが並べられた。こちらは南天で濃緑(こみどり)の耳と赤い目を艶めかしたおなじみのものだ。
窓の下にぞうきんを一枚置いて立ち去る書生の後ろ姿を見ながら橙耳のうさぎは『あぁ、機嫌が悪そうだ』と思った。自分を作った焦げ茶色の頭をした中年男性は「これはお前だから」と、さっきまで食べていたみかんの皮をぺたぺたと雪まんじゅうに貼り付けたのだ。たばこをくわえながら、こちらもなんとなく不機嫌そうだった。
作り方がなっていないことがいやだったのか、書生も窓の桟に積もった雪を手のひらに寄せて、ガラス瓶に飾っていた南天の枝から葉と実を摘んだ。それをちょっとかたちの悪い雪まんじゅうに飾り付け、ここをあとにした。
指の跡がくっきりと残るうさぎと、つるんとすべらかな橙耳のうさぎを見比べて、どうして自分のはこうならないのかと首をかしげていたのが印象的だった。
子供っぽくて、すてきだった。
月に照らされてもあまり影が伸びない。そのことが、かたちよいうさぎには不満だった。
藍色に染まる空間に檸檬色の光がやわらかく満ちて、銀楼閣の階段は踊り場にふさわしく、冴え冴えと静かになった。
「まいったな」
濃緑の耳をぶるりと震わせて隣のうさぎが声をかけた。
「あったかくて、もうだいぶ溶けちまいそうだった」
手のひらがぽかぽかしてるからあまりきちんと固まりもしない。「見ろよこの指のあと」南天のうさぎは背中に残ったへこみを見せた。
このうさぎ、なんとなく自分を作った中年男性と雰囲気が似ていると橙耳は思った。
「僕を作った人も、手のひらがぽかぽかしていましたよ」
とても気持ちよかったと答えるうさぎは「でもそれではいけません」と窓を鼻先でがたがた揺らして、隙間から少量の雪をくわえとった。驚くひまも与えず南天のうさぎにのしかかると、へこみに雪をぺちゃぺちゃとかぶせていった。
「ん、ちょっ、と、くすぐったい」
「がまんしてください」
背中に届く手もないので、南天のうさぎは濃緑耳をぶるぶる言わせてこそばゆさに耐えていた。
雪をかぶせたあとに舌でぺろぺろとかたちを整える、時々なぜかにおいを嗅がれて「いいにおいがします」と鼻先をこすりつけられる、そんな行為を繰り返すうちに濃緑耳の頬は南天の実が溶けだしたようなピンク色になった。
泣きそうな声で南天のうさぎは
「こういうのは俺がお前にしたいよ」と、
だいぶかたちのよくなった丸い背中をてらてらさせて呟いた。
「作った人の違いですね……諦めてください」
ぺろぺろ舐めても溶け出さない雪うさぎの体を味わいながら、橙耳は『してくれなかったくせに』と、そんな想いがなぜか湧いた。これは誰の想いなのだろう。不思議に感じながら、濃緑耳の尻や背中を一生懸命に整えた。
「ハンサムになりましたね」
「どこで覚えたんだよ、そんな言葉」
「僕を作った人が『そうなるように』と念を込めていました」
「一所懸命なんだな」
「……こういうことには」
でもみかんの皮なんて貼り付けるし、と橙耳は長い耳をゆやんと傾げた。猫がきらいそうな、さわやかな香りがした。
「ふたりとも、機嫌が悪かったな」
「寝るか寝ないかでそうなったんでしょう。ばかばかしい、僕ならベッドに入り込んで溶けるまでどかない」
月へと上向ける鼻先を見て、濃緑耳は『そうはできないくせに』と煙った眼差しを向けていた。向けながら、これは誰の想いだろうときょとんとした。
「なんか変だ。そわそわするよ」
「どうして」
「俺を作ったやつも、そうしたかったって」
「……」
「でも、がまんしたって」
「……僕を作った人も」
「うん」
「さみしがりながら、そうしたいのを、がまんしていました」
二羽のうさぎは黙りこくった。
やがて濃緑色の耳をしたほうがぽつりと口を開いた。
「なんでだろうな」
「わかりません」
あれじゃないか、きっと明日になったらお別れするんだ。
濃緑耳は窓の下に置かれた一枚のぞうきんを見ながら言った。
お別れするならなおさら、雪だるまになってもいいからぴったりくっついていたいですよ。
つきたての餅のように窓台から頭を垂れ下げて、橙耳も床下のぞうきんを見た。
ふたりとも、それの用途がなんなのかよくわからなかった。
「ここから降りられるかな」
「僕らはうさぎですよ。ひとっとびです」
その言葉どおり、二羽はジャンプして階段に降りた。
どこへ行こうかと濃緑耳が頭を傾げると、橙耳が「ひとまず昇ってみませんか」と上を目指した。
ときどきは真っ暗だったが、二羽は窓から射すお月さまに照らされて、明るい気分でぴょんぴょん跳ねた。
どちらかがバランスを崩して階段から落ちそうになっても、片方が一生ぶんの力ではっしとくわえ、引っ張りあげた。しかしそのたびに二羽はやわらかい白パンのように重なりあうものだから、お互いのからだはこすれて、どちらがどちらの雪をつけていたのかが曖昧になった。
それはとても気持ちのいい体験だったので、ジャンプをする仕草は段々とわざとらしいものに変わり、最初に濃緑耳が階段の端にしがみついた。
あわてて引っ張りあげてくれた橙耳の上にまんまと重なり、濃緑耳はそのまま、いとしい匂いのする雪うさぎのからだを、舌や腹をこすらせ、くまなく愛撫した。
橙耳は最初、だまされたことに驚いたが、やがて『あぁ、自分もこれを望んでいたのだ』と気がついた。
そしてキスを返した。
濃くなった影に満足しながら、ふたりはもそもそと愛し合った。
毛羽だった(?)体をお互いの舌で整えながら、かろうじて二羽が二羽であることを確認するうちに、橙耳がさみしげな声をあげた。
「あのまま溶けてもよかったのに」
僕らはまだ僕らのままですね。
その鳴き声に濃緑耳はなぐさめるようなキスを返した。
「きっともっと気持ちよくなれるさ」
そのときまで一緒にいよう。
ささやきを受け取ったみかんの皮は、ぷんと匂いたつ震えを起こした。黄緑の目は涙を自分のからだに滲ませた。
「どうしたの」
もそもそと橙耳は濃緑耳の腹に頭を寄せた。
――「嬉しくて」
振動から伝わるその言葉に、南天の実はやわらかい半月になった。
ほほえみを丸めた優しい声で「俺も嬉しい」と橙耳にささやいたあと、頭をからませ、きゅうっと抱いた。
階段をてっぺんまで昇るとドアがあった。
巨石のようなずんと重いたたずまいに二羽は頭をもたげて見つめあった。
「月にもこんなのがあったような気がする」
「黒くてつるつるの、平べったい大きな石ですよね」
「うんそう」
おかしな音が鳴っていたけれど、これは静かだな。
そんなことを話している間にドアが開いた。
あわてて通路の陰まで飛びのき、人間が歩き去るのを待って、閉まる直前のドアへジャンプした。次の瞬間、雪の感触が腹に伝わった。見事に外へ出られたのだ。それも、ふたり一緒に。
轟音をたてるドアを振り向き見たあと、ふたりはため息をついた。自分たちでは回せもしないドアノブが動いたのにもびっくりしたが、中から出てきた人間を見てさらに驚いたのだ。
足下しか見えなかったが、あれは確かにみかんの皮で橙耳を作ったあの中年男性だった。どんな顔をしていたのだろう。なにをしていたのだろう。橙耳はなぜかどきどきとした。濃緑耳はその様子をおもしろくなさそうに見つめていた。
「いつまでドアを見てるんだよ。もう閉まっちゃったんだからな」
早く来いよという声にせかされて橙耳は濃緑耳のそばへ寄った。
それでもおもしろくない気分は治まらず、濃緑耳は橙耳の大事な部分、すなわちみかんの皮にがぶりと歯を立てた。
月が冷えた。
悲鳴を上げて遠く離れる橙耳のあとを追わず、濃緑耳はけほけほとむせた。
目にくる香味は匂いに反してたいへん苦く、涙ぐむ味だった。
つまらないことをしたと悪く思った濃緑耳は、逃げた橙耳の足跡(?)を追って、ぴょんぴょん跳ねた。
足跡は屋上の手すりまで続いて、それがうさぎの足跡だけではなく、おそらく今までそこにいた人間のものだろう靴の跡も並ぶようについていたが、濃緑耳はそんなことは気にならず、ただあの明るいかわいい耳を見失ったらどうしよう、はぐれてしまったらどうしようと不安と焦りでいっぱいになり、その想いは白いからだをミルクの王冠のように弾ませ、玉になってちぎれてもやまず、気がつけば、美しい大雪原を一生懸命に駆けていた。
ペンキのはげた手すりの下で、橙耳は頭を下げて、うつぶせていた。そこにはたばこの吸い殻がいくつも落ちていて、雪に黒い染みをつけていた。
濃緑耳は徐々に駆けるのをやめて、音を無くし、そろそろと橙耳に近づいた。
いとおしい背中がけほんと咳込んだ。
濃緑耳はそのからだへすり寄った。「よそへ行こう」と、吸い殻から遠ざけるように橙耳のからだを優しく押した。
「からだ」
「うん?」
「ところどころ、かたちが崩れています。治しましょう」
「うん」
ごめんな、と背中に雪を乗せられているときに濃緑耳は呟いた。
聞こえないふりをして橙耳は尻や背中をぺろぺろと舐めた。からだに触れるまでもなく、彼がどきどきしているのがわかっていた。つやつやと輝く南天の葉を甘く噛むと、彼は頭をうつぶせ、雪に埋もれるようにして泣いた。
満月だった。
あらゆるうさぎがそうするように、ぴんと背筋を伸ばして、偉大な月を仰ぎ見た。とても誇らしく、美しいきもちになれた。
さっぱりとした夜の空気を吸い込みながら橙耳は尋ねた。
「あのふたりはどうなるのでしょう」
「さぁ、な」
「離ればなれになるのでしょうか」
「……少なくとも、ここにいた人間はあの少年に会いに行ったと思うよ」
理由はなんでもいい。
たばこを吸い尽くしてすることがなくなった、寒さに負けたというのでもいい、あのタイミングでドアを開けてくれなかったら、今ここでこうしてふたり一緒に月を見ることもできなかったのだから。
ただ、濃緑耳は、自分の言ったことがほんとうにそうだったらいいと思っていた。そしてそれが自然だと信じていた。
橙耳は月を仰ぎ見るのをやめて、彼に寄り添った。
「僕らはどうなるのでしょう」
「しばらくは、もつよ」
「一緒に朝日を見られるくらいに?」
「うん。俺の後ろで見るといいよ。日差しからかばってあげる」
「あなたの隣がいいです」
背丈も一緒だし、と橙耳はくすくすと笑った。
雪をもっとくっつけて、でかくしてくれたらよかったのにと濃緑耳も笑った。
ふたりはいつまでも寄り添い、愛をささやいていた。
白銀の朝を迎えて、掃除の手始めに階段の踊り場へ来た書生は、床下に置いたぞうきんが濡れていないことを不思議に思った。
窓台には南天の葉もみかんの皮もなく、水のあとも見あたらなかった。誰かが持ち出そうにも、あの人は昨晩、ずっと自分と一緒にいて――
「どこいっちゃったんだろうな」
肩にちくちくとした顎が乗った。
彼のひげ面はこそばゆく、重い。
「鳴海さんじゃないんですか」
屋上からの帰りにどこかへやってしまったとか、そう言いかけると鳴海は顎を乗せたまま首を振った。
「いんや、俺じゃないよ。俺だって階段を降りる途中で雪うさぎがないことに気がついたんだから」
「じゃあ、誰が」
鳴海の目線は上を向いた。くちびるもつぼみのようにとがらせて、やがて。
「……お月さま、かな」
「え」
「昨日は月がきれいだったんだぜ。しびれるくらいに」
自分のもとへおいでって、お月さまが呼んだのかも。
「こんなふてくされた人間に作られたうさぎがかわいそうに思えたんだよ。どっちもムキになって、片方はみかんの皮なんかで耳をつけられて」
「よくそんな、おかしなことを」
どいてください、と書生は顎を振り払うように肩を動かした。
「肩に顎を乗せたまま喋られてごらんなさい。ほんとうにくすぐったいんですから」
ぽつねんと立たされた鳴海は眠たげに目を閉じた。
「昨日さんざんやられた……」
ぼそっと呟く彼の言葉に、書生の顔は真っ赤になった。
ぞうきんを拾って足早に立ち去る少年の後ろ姿に鳴海は伸びよく声をかけた。
「早くに行くんだろ。朝メシ、ちゃんと食べとけよ」
――ライドウ。
その音を捉えたように、屋上に残されたみかんの皮がさやさやと揺れた。
粉雪が舞い上がる。
南天の葉と一緒に風に吹かれた橙の皮は、人には見えないほどの小さな歯形がついていた。
終
09/07/22(火)