新・今日の一コマ

 目の前には五つに切り分けられた羊羹。それと匂い香ばしいほうじ茶が二椀。
 俺とライドウは向かい合って今日の茶受けを挟んでいる。
 なぜ五つに切り分けるのだろう。
 微妙なところで包丁さばきが下手な奴だと思いながら、俺はひとつ楊枝を刺した。

 うん、うまい。
 良質の黒蜜を取り扱っている小さな店の見切り品だが、味はさっぱりとしていてしつこくなく、舌にべとつきが残らない。
 濃いめに煎れたほうじ茶との相性も抜群だ。

 しかしなぜ玉露なり抹茶なりあるのに緑茶と合わせようとしなかったのだろう。
 微妙なところで取り合わせの才が一般とずれている奴だとよく思う。
 そして噛み合わせが悪そうに見えてとてもしっくりとくるかたちを揃えるのがうまい少年だと、俺は秋の深い夜に物思うのだ。
 その日のライドウは次に手をつけるであろう濃いめのほうじ茶を見つめながらもくもくと口を動かしていた。
 かわいい奴だなと思った。



 やけにうつむきがちになってしまった。
 二つ割きの楊枝を口からわずかに離して黙りこくっている。
 目を隠す学帽の鍔が邪魔だ。とってやろうかな。

「うまいよな、ここの羊羹」

「はい」

 次の羊羹を口にしたいけれど、俺が取らずにいるから楊枝をさまよわせているのかと思ったので、俺はなにかどうでもよさげな二の句を口合いにして二個目を刺した。


 ほとんど同時だ。
 ひとつの羊羹にふたつの楊枝が突き刺さった。


 思わず笑いそうになる時間の止まり方だった。こんなことがあるのかね。

 俺は動かないもうひとつの楊枝を視界にしっかりと据え置いて、別な羊羹に竹串を刺した。
 口に運んで新たな甘味を楽しんでいる間、俺は眉ひとつ動かさずに目の前の面白い光景を眺めていた。

 帽子の鍔に隠れきらない頬はほんのりと朱に染まり、唇など今にも口づけたいくらいに、柔く、くすぐったそうに閉じられていたが、うつむいたままの少年はなぜか動かず、俺の視界に収まることを良しとしていた。


 俺も相当鈍感だと思う。
 同じ羊羹を刺した指先が今になってうずいてきた。


「食べさせてあげようか」

 うずきをどうにかしたくて、甘味を突き刺したままのライドウの指先に自身の指を重ね合わせた。
 恥ずかしそうに、そして戸惑ったように顔を上げるライドウの指先は、驚くほどに火照っていた。
 いとおしく思えて眼差しを深める。

「え」とか「あの」とか。
 そんな言葉ひとつひとつが嬉しくて仕方がない。
 俺は不作法にも机に片膝を乗せて距離を詰めた。


「口を開けて」


 自分でも不思議だ、どうしてこんな声が出るのか。
 こいつだけに聞かせる声なのかもしれなかった。



 半分の羊羹を更にはんぶんこ。
 両端から小さな餡を挟んで俺とライドウはくちゃくちゃと音こもらせて口づけた。
 甘くやわらかい舌と唇。
 強ばっていた肩の感触も次第にとろけてかたちを無くすように落ちてゆく。


 あぁ、好きだよライドウ。
 お前も俺のことを好いていてくれたらいいのになぁ。


 お互いの水を求めるように絡み吸いつきあっていた。
 かたりと何かが倒れる音がした。
 脚で椀を転ばしてしまったらしい。
 膝が濡れていく。



 ライドウのベルトを外しにかかったところでゴウトのくちばしがこめかみに入った。
 のけぞって穴が開いたかと思われるほどに痛みの走る部位をさする俺と、稀に見るくらいに赤面して慌ててソファから飛び起きるライドウ。
 ゴウトは羊羹がひとつ残ったテーブルの上に鎮座ましましていた。


 ライドウから伝え聞くとだいぶ前から事務所へ帰ってきていたらしく、外套掛けの上でまさしく高みの見物とばかりに俺とライドウのやりとりを長い間、それはそれは呆れながら見ていたらしい。あまりにいちゃこいていたのでくちばしが開きっぱなしになっていたとか。


『どこまで馬鹿をやるかと思ったのだが、まさかあそこまでとは』


 ゴウトはくちばしに皺を寄せてソファの上で正座するライドウに向かって何事かを叱責していた。
 グエグエと低く鳴くゴウトはたぶん前に上げた台詞のようなことを言っているのだろう。
 さすがに口出しもできず、俺はこめかみをおしぼりで冷やしながら煙草をふかしていた。


 ――


 俺の薦めでひとつ残った羊羹は機嫌を損ねたゴウトの胃袋に収められた。
 どちらも満腹だったし、乾燥して蠅にたかられるよりはゴウトのくちばしにつつかれたほうがいい。
 最後に羊羹の話で終わらせるのは、発情おさまらぬ少年を見かねてか呆れてか、ゴウトに部屋を追い出されたライドウを俺の腕枕で寝かしているときに隣でこんなことを聞いたからだ。


「残りひとつを鳴海さんの手で分けて頂きたかったのですが、思ったより早くに空気が変わってしまって……」


 つまり五つに切り分けられた羊羹は意図して等分にできないかたちに誂えられたということなのだろう。
 確かに俺なら残りひとつを更にふたつに切り分けるだろうなと思った。

 偶然は甘い空気を呼んだ。
 ひとつの羊羹にふたつの楊枝が突き刺さらなかったら、俺のこめかみも穴を開けずに済んだのだろうか。


「……でも、叱責されてしまいましたが、今日はすごく楽しくて、幸せでした」


 恥ずかしそうにはにかむきつねの子が俺の腕の中にいる。


「うん、俺も。存分に犬になることができたし」


 噛みつき噛みつかれお互いの身体は甘痒い歯形だらけだ。
 ライドウは薄く微笑み、しっぽをふさりとかけるみたいに俺の腿に片脚を絡みつかせた。


「今度は狼になってみませんか」


 もしもあったら白い牙を剥けるだろう、俺はにやりと高く口の端を持ち上げた。


「骨まで食べてやろうか」


「あなたになら」


 首筋に腕が絡んだ。
 引き寄せて囁く甘い唇。


「食べられたい」



 終
 07/10/13(土)