ストローからぷっくらと、生まれたてのしずくを垂らして、虹色のまんまるい泡が浮かぶ。
頭でたとえるなら赤ん坊のような大きさで、実でたとえるなら梨ほどのシャボン玉だ。
物言わぬきつねは、いつもよりも目をまんまるくしてふわふわと浮かぶそれをぱちりと消え入るまで見つめていた。
銀楼閣の屋上は今日もいい天気だ。不穏な空気もないものだから、こうして暇をもてあましながら、シャボン玉を飛ばしていられる。
青空にぷかぷかと浮かぶ透明な泡と、そよ風に揺れるきつねの耳。腰のあたりでふさふさと動く大きなしっぽがシャボンを払い、流れて弾けた大きな球が、俺のズボンに染みをつけた。
俺はシャボン液をつけたストローをきつねの鼻先まで近づけて、ふぅっ。
ぱぱぱと弾ける細かい泡の粒を受けて、きつねはきゅうっと目をつぶった。
くしゃん、くしゃん。顔を洗うように両手を広げてくしゃみをしたきつねは、×(ばってん)模様のしかめっ面をこさえて舌を出した。
「ありゃりゃ、ごめんな」
やりすぎた、シャボン液を口にしてしまったらしい。
小さな手指で舌を拭おうとするからそれを止めて、俺はきつねの顎を上向けた。熱いものを食べてやけどをした、そんな子供の容態を看るように。
なるほど、確かに苦い。
思ったよりも冷たいきつねの舌をぬくめるように、濡れた布団をかぶせて、はがして、口の中であたため合った。きつねの唾液はとても甘い。
んく、と嚥下したきつねの顔は息がつまったように赤く、涙ぐんでいて、腹の下から熱く情にうるむような気持ちにさせた。
いたいけなきつねは、俺の欲望がよくわからないように、手持ちぶさたの両手を胸元に掲げていた。
「口の中は、大丈夫か?」
こくりとうなずいた。
俺はきつねの小麦色の耳をくすぐるようになでて、胸元の小さな手にストローを握らせた。
先ほどの吹きマネをして、コップのシャボン液を渡したのだが、きつねは気持ちの定まらないような震えた様子で、ちょんちょんとストローにシャボン液をつけたものの、それを地面に落としてしまった。やわらかい指がうまく曲げられないようだった。
「ごめんな」
ふざけたかっただけなんだよ、と俺はきつねを抱きしめた。俺の背丈の半分もないきつねは、耳がふにゃりと折れ曲がるのもかまわずに、やわこいほっぺを首に顎にこすりつけた。すんすんとにおいを嗅いでいる。背中に小指が触れたとき、思わず首に噛みつきたくなったが、我慢した。誰かれかまわずおおかみの血のまま触れ合おうとすると、取り返しのつかないような大きな穴を開けてしまう。
でも。
そうだな、こいつなら。
俺は牙をむいた。
お月様の匂いがするきつねの首筋に大口を開けて、がぶり。
濡れた歯形も感じていたろうに、きつねはきょとんとしたまま俺の動向を待ち続けた。
首に穴は空かなかった。汚い唾液がついただけだ。
深く顎を閉じることなどないと、こいつは思ってくれているのかそれとも、ほんとうに何も感じることなどないのか。
俺に何かされたくらいでは、心も体も傷つかないのかもしれない。虚しいような、仕方のない寂しさのような。
きつねはぱっかりと口を開けた。
そしてあぐあぐと牙も立てずに俺の顎を、首筋を噛むまねをする。
俺はきつねを引きはがした。自分の首筋を撫でると、手のひらに甘い匂いがついた。
にこにこと首をかしげて、きつねはしっぽを振っている。
「俺のこと好き?」
聞いたと同時にうなずいた。
――そっか。
それならいいや。なんか、嬉しいし。
俺ときつねはぷかぷかと、カラスが鳴くまでシャボン玉をふかした。
うっかりシャボン液を吸い込んでしまったきつねと、今度は慌てて唾液をからめあわせたのだが、二回目のキスはおそろしくまずくて、俺たちはおえおえ泣いた。
終
09/03/18(水)