朝に顔を合わせると、目の前に鉄格子ができていた。
「おあ?」
鳴海は間の抜けた顔をしてデスク近くの黒い格子を指さした。
ライドウはライドウでぱっちりと着こなした学制服のまま飄然と立ちすくんでいる。
部屋の端から端まで10センチの間隔で黒い棒が立ち並んでいるのである。
それは二人を隔てるかたちでソファ側とデスク側を分けていた。
鳴海はデスク側、ライドウはソファ側。
お互いの部屋から出てきた時のことである。目が覚めたらこんな状態になっていた。
「どーしたもんかねぇ」
鳴海は格子を手に掴んでガシャガシャと揺らす。外れる見込みはまるでない。
「困りましたね」
ライドウはライドウで銃を乱射したりベリアルのマハ・ラギダインで焼き付くそうとしたり色々試したがどれも効果がなく、今は腕を組んでその格子を眺めている。
「俺トイレ行きたいんだけど」
「窓から出て入り口から入り直しますか」
「ここ三階だけど」
「僕だって顔を洗いたい」
「なんて不自由なものが出来たんだ……」
二人はしばらくうーんと頭を悩まし、とりあえずある行動に移した。
無理矢理通ってみようというのである。
それはうんと力のいることかと思われたが、なんのことはなく二人は反対方向へ格子を通り抜けた。
「あれ」
「おや」
鳴海はソファ側に、ライドウはデスク側に来た。
足一歩の距離でやはり格子は二人を隔てている。
「通れたね」
「見せかけなんでしょうか」
「ライドウ、こっち来てみ」
鳴海は手招きした。
ライドウはうなずく。
格子が音を立てて震えた。
ライドウの手は格子を掴んでいる。
「じゃあ俺がそっちへ行く」
鳴海は一歩足を踏み出した。
太股でつかえた。
靴だけぷらぷらと格子の間を揺れている。
しばらく二人は考えた。
そして「いっせーの」で歩く。
朝の立場と位置が同じになり、二人は格子をくぐり抜けた。
立ち姿を見つめて途方に暮れる。
つまりは同じ位置にはいられないということだ。
黒い格子は互いの距離を隔てている。
とりあえずは入れ替わり立ち替わりして朝の用事を済ませた。
トイレに行ったり洗面所で顔を洗ったり台所で朝食の用意をして困ったのはそれから後のことだ。
「どうやって食べます」
盆に焼き魚と味噌汁とご飯と漬け物を乗せて持ってきたライドウはソファ側で立ちすくんだ。
デスク側の鳴海は頭を掻いたあと「まずお前がそのままこっちへ来い」と呼び寄せた。自分は格子近くに立って足を踏み出す準備をしている。
二人は通り抜けた。
「はいそこに置いて」
もう一回戻ってこいと合図を送る。
朝食をデスクに置いたライドウは手ぶらでソファ側へ戻ってきた。
「しばらく一緒には食べられないなぁ」
二人はソファとデスクに別れて朝食をとった。
朝の光は普通だ。
きらきらと窓から差し込んで今日もいい天気だと伝えている。
「ヴィクトルに聞いてもさっぱりわけがわからないそうです」
「あのロシア人は」
「ありえないネと」
「どうしたもんかねぇ」
一応生活はできていた。
互いのスペースに共にいることはできないだけで、他は何の支障もない。
ただ視界がうざったいのである。
黒い線が幾数も立ち並んでいるのは見た目にも不安感を煽る。
なにより、寂しい。
「こっち来てみ」
鳴海はデスク側から呼びかけた。
ライドウは立ち上がって格子に近づく。
二人の手は互いを掴んだ。
格子は物理的に邪魔をするが、間の空間は自由だった。とても狭いが、それでも触れていられる。
久しぶりに交わした指は暖かかった。
「手ぐらいかな、通れるの」
「幅10センチですからね」
「でも安心した、お前はちゃんと生きてたんだな」
「幽霊と思いましたか」
「まさか。幽霊だったらこんな格子通り抜けて俺んところに来てるだろ」
「鳴海さん、僕の頬を触ってくださいませんか」
鳴海は言われた通りにした。
頬に手を添えるとライドウは瞳を閉じて懐かしいというようなため息を漏らした。
鳴海の瞳は心の内と同じようなかたちで少し身悶えた。
「キスできないかなぁ」
「鼻も高いし無理でしょう」
「邪魔だよなー、これ」
ライドウは鳴海の指に手を添えてわずかに位置をずらした。
鳴海の指先を口に含む。
花の蜜を吸うように甘美な音を立てて指先を舐めていると、肩に手をかけられた。
格子の間から腕を無理やり差し込んで鳴海がライドウの肩を抱いたのである。
ぽんと抜ける指先。
唾液の絡んだ指はライドウのズボンのチャックを下ろし、中身を取り出した。
ライドウはわずかに身をかがめる。
格子を掴んで片手は肩にある鳴海の手を握りしめる。
かすかな蜜音を連続して立てた後、ライドウは熱い吐息をついて力つきた。息が荒い。膝をつくと目の前に見慣れたものがあった。
「口でできる?」
ライドウは両手で格子を掴んで少し口を開いた。
白い液に浸された手に添えられたその肉を口に含むと、後は夢中になってしゃぶり続けた。
騒がしい音を立てる格子が本当に邪魔だった。
やがて味わい慣れたものが口内に放出されるとライドウはそれを飲み下した。
「挿れたいなぁ」
鳴海の呟きにライドウは瞳を閉じた。
名残惜しいように舌を離すと、ライドウはのろのろと立ち上がった。口元を拭って自らのものをしまう。
「今は無理です」
「わかってるよ」
鳴海は汚れていない方の手で少年の目元を拭った。
かすかに指先が冷たくなった。
夜中。
ライドウは意外と辛抱強くなかった。
お互いの部屋へ入る時、ライドウは急に振り返って格子を激しく掴んだのだ。
「鳴海さん」
彼は振り向く。
少し眉を下げて。
「鳴海さん」
二度目の呼びかけは泣き声だった。
近づいた彼に頬を撫でられた時、少年は涙をこぼした。
「寂しい」
「うん」
「鳴海さんは、そうじゃないんですか」
「俺だって抱きたいよ」
「じゃあなんでそんなに平気な顔をしてるんですか」
「叫んでもどうにもなんないだろ」
「ずるい。一人だけ冷静に大人ぶって」
「俺だって寂しいんだよ」
ライドウは鳴海の頬に両手を伸ばした。その手が濡れないことにもどかしさを感じてもう一度、こう言う。
「寂しい」
床にぽたぽたと雫がこぼれた。
鳴海はそれを見て頬の手をそっと外す。
自室へ戻ろうとする鳴海を見てライドウは孤独極まりない泣き声を上げた。
しばらく格子を掴んでいると鳴海が戻ってきた。脇に枕と毛布を携えて。
「今夜はここで寝ないか」
格子近くに枕を置いて鳴海は固い床に寝転がった。
ライドウはその様子を光ある目で見て、自分も鳴海にならった。
枕と毛布を取ってきたのである。
格子の間から手を伸ばして指先を握りしめる。
そのままの体勢でふたりは眠りについた。
夢は見ない。
月が出ている。
目覚めるとすぐ近くに相手がいた。
いつのまに近づいていたのだろう、ライドウは鳴海の胸に身を寄せていたのだ。
ずれた枕を見て、そして目にうるさい黒格子がどこにもないことを確認して、彼は鳴海を揺り起こす。
状況を把握した鳴海は寝ぼけ眼をぱっちりと開け、ライドウの顔を見つめた。
そのまま少年の身にのしかかる。
毛布の下でうごめくその姿は滑稽であり、どこか愛らしい。
事が終わるとふたりは互いに笑った。
「なんだ、鳴海さんのほうが必死じゃないですか」
「そりゃそうだよ……俺は大人だからね、我慢してたのさ」
「ところであれって結局なんだったんでしょうね」
「知らないけど、今はもうどうでもいいかなぁ」
「僕も同じ気持ちです」
くすくすと笑ってふたりはキスをした。
わかるのは、隔たりがあると寂しいということ。
終
06/05/21(日)