夏休みのはじめ、定吉さんと会った。
先に見かけたのは僕のほうで、彼は異人の子を含めた晴海町の子供たちと鬼ごっこをして遊んでいた。白ワイシャツと麻のズボンという軽装を見るに、どうやら非番らしい。
しかし「さぁ次はおじちゃんが鬼だー」などと言っているのを聞くと霞台で初めて会った日のことを思い出す。あんな感じで小さな女の子をきゃっきゃと追い回していたものだから少し変態的に見えた。なるべく目を合わさないようにして立ち去ろうと後ろを向いたら「捕まえた」と腕を掴まれた。
振り向くとあの海軍将校らしい目つきで笑っていた。
子供たちとさよならをしてから僕はレストランへご一緒することになった。
なんだか面倒くさい気もしたが、海軍カレーを食べさせてくれるという誘いに乗ってしばらくつきあうことにした。
「かき氷もいいですか」と尋ねたら少し虚をつかれたような表情になったが「いいとも」と承諾してくれた。
今日は暑かったから僕も少し意地悪な気分になっていたのだろう。
定吉さんはオムライスを頼んだ。
僕のカレーはそれなりにおいしかったが味の印象はほとんどない。ただ、僕ならハヤシライスのほうが好みだと思った。そんな気分だからあまり面白くなくて、僕はこんな悪ふざけをした。
定吉さんのスプーンをひょいと取り上げて瓶詰めのケチャップをすくった。そしてオムライスの表面に器用に
『さだきち』
と赤く書いたのだ。
僕はにこりとして「さあ味付けが済みましたよ」とスプーンを返した。彼は相当恥ずかしかったのだろう、赤い頬で汗を流しながら「やめたまえ」とぼそりと言った。はは、面白い人だ。
それにしても、ぐじゃぐじゃと文字を消す前に写真を撮っていたのが不思議だった。記念になるようなものなのだろうか。次に僕まで撮ろうとしたのでレンズに手を押し当てて拒否した。彼は笑った。汗を拭きふき食べるのを僕は頬杖をついて見ていた。なんだか幸せそうな顔だったのを変に思った。
それにしても子供らしい食べ物が好きなんだなぁとおかしくなった。ケチャップで名前を書きたくなったのもそのことを面白く思ったからだろう。
「よく子供とああして遊ぶんですか」
僕の問いに彼はうなずいた。
「もう自分の年になると子供時代を懐かしく思うものなのだよ。戻れない頃のことを後悔しているのかもしれないな」
海の音が近かった。カレー皿が下げられてかき氷が運ばれてきた。
「海軍に入って後悔しているのですか」
とは、なぜか聞けなくて、僕は黙って赤い氷を口に含んだ。甘くておいしかった。
いちご味のかき氷を食べていると鐘の音がして海軍兵士が入ってきた。定吉さんは彼に耳打ちをされると立ち上がって僕にこう告げた。
「申し訳ないが、急用ができた」
君のぶんもまとめて払っておくよと言う彼に「どんな急用です」と尋ねてみた。特に聞きたいわけでもなかったのだが、ごちそうになっておいてあまりに会話が少なかったことから焦りと申し訳なさを感じて、僕はそう尋ねたのだ。彼はなんでもない風に言った。
「昨日、機密情報を持って脱走した者を捕らえたのはいいが、文書のありかを白状しないものでな。自白させるために色々と責め立てていたのだが――部下たちの手には負えないということで私が呼ばれた」
僕の指先はスプーンごとすっと冷えた。
「あなたが手を下すのですか」
「もとより私の存在は脱走者も覚悟の上だ」
「さっきはあんなに楽しそうに遊んでいたのに」
「ああ、君との食事も楽しかったよ。おかげで有意義な時を過ごせた。礼を言うよ、ライドウ君」
この人の子供好きの要因がわかったように思う。店を出ていく後ろ姿を見て、人を痛めつけることのない時を過ごしていた(少なくともそんな仕事に就くことはなかった)彼の子供のころを僕も瞳に映した気がしたのだ。
あの頃に戻れたらという感傷があるのだろうか。だから僕にも(任務を抜きにしたら)親切にしてくれるのだろうか。
かき氷はすっかり溶けて赤い水になってしまっていた。
定吉さんのオムライスに名前を書いてあげたと話したら鳴海さんも僕をレストランへ連れて行った。
そしてオムライスを注文した。僕にスプーンを手渡した。ケチャップまで差し出した。
「やりませんよ。そんな恥ずかしいこと」
鳴海さんはものすごく納得いかないという風に自分で『なるみ』と書いた。
僕はハヤシライスをおいしく食べた。
終
06/08/03(木)