蝉と文鳥

蝉と文鳥・11

 待ち合わせ場所はいつものところ。 富士子パーラー前にて、ライドウはリンに「おかえりなさい」と微笑まれた。学帽の鍔で隠すようにして、ライドウも少しの笑みを向ける。「いきなりだけど、ごめんなさいね。 探偵さんにお願いがあるの」「僕にできること…

蝉と文鳥・10

 蝉は鳴かない。 七日目の目覚め、とても静かに朝を迎えた。 まだ寝ている彼を起こさないように、そうっと床を立って、少年は着崩れた寝間着を直した。 縁側にみしりと向かい、窓を開ける。 風が吹いた。 風鈴が透明な音を奏でる。 朝靄にけぶる空を眺…

蝉と文鳥・9

 夕餉の膳に起きてから少年はちらちらと窓の外を眺めていた。 晴れている。 雨上がりの冷たい風が流れこんできた。 鳴海は別に外を見ようとはしない。黙々と箸を動かしてうまい米を食べていた。 かけ流しの湯に浸かり頭の湯気も冷めきらぬ頃に、浴衣姿の…

蝉と文鳥・8

 六日目の朝。 耳鳴りがする。蝉はまだ鳴いている。 風鈴の音が風の間のそこここに鳴り響き、涼やかな空気を運んできた。 別々の布団で寝た昨日は身体を重ねることもしなかった。 蝉と、風鈴の音で過ごした。 時々、温泉に入った。 膳を口に運んだ。 …

蝉と文鳥・7

 絶叫を放ったと思った。 実際は涙を流しているだけで口はぱくぱくと開いていた。 鳴海に肩を揺すられている。 ライドウは嫌悪の表情でその手をはじき返した。 涙を流しているというのにその瞳は火のように熱い。「あなた、あなたは――僕が未来から戻っ…

蝉と文鳥・6

 ここへ来てから初めて夢を見た。 夢を見ないように鳴海と交わっていたのに。 夢の続きも鳴海に抱かれていたからなのか。 さんざんに抱かれたあとで自分の鍵入れに収める細長い鉛がなかったことに気がついた。「鳴海さん、僕に鍵をくださいよ」 鳴海は背…

蝉と文鳥・5

 四日目に外出をした。「夏祭りに行かないか」と鳴海が誘ったのだ。 神社に近づくにつれ笛の音が高らかに肌に響いてくる。 浴衣と下駄は旅館からの借り物だ。からころからころと砂利道をゆく。 ライドウの足取りはおぼつかなかった。 鳴海が途中途中で「…

蝉と文鳥・4

 空は曇り。 旅館もそれに見合うさびしげな作りだった。 冬になればよく手入れのされた庭園に雪が積もり眩しいほどの絶景を拝めるだろうが、あいにく今は蝉の鳴く夏だ。 それでも色の褪せたねむの木や落葉松(からまつ)は薄光の下でかたちよく映えている…

蝉と文鳥・3

 午睡に耽る鳴海を見て少年は『だらしのない』と思った。彼は所長椅子に背を預けていた。 不愉快さを夕暮れどきまで鳴く蝉の音のせいにして、書生は夏用の薄い毛布を持ってきた。 上司にかけるつもりが気が変わった。かたちのよい唇がやわらかに閉じられて…

蝉と文鳥・2

 血のついた手と制服を洗った満月の夜、ライドウはもうひとりの自分と会話をする夢を見た。短い日の思い出だった。 名も無き神社の境内に背を向け少年は石階段に腰掛けている。 ぼんやりとしていると背後に気配を感じた。 ライドウは振り返ろうともせずに…

蝉と文鳥・1

 蝉 白くやわらかなものが頬をかすめた。 追ってみると翼ある小さな後ろ姿が目に入った。 坂を越えてゆく鳥に興味を惹かれたか、少年は黒外套をひらめかせ駆け出していった。 なめらかな鏡となった水たまりに黒靴が波紋を立てると、夏色の空はさかさまの…

蝉と文鳥・全文

 蝉 白くやわらかなものが頬をかすめた。 追ってみると翼ある小さな後ろ姿が目に入った。 坂を越えてゆく鳥に興味を惹かれたか、少年は黒外套をひらめかせ駆け出していった。 なめらかな鏡となった水たまりに黒靴が波紋を立てると、夏色の空はさかさまの…