蝉と文鳥・5

 四日目に外出をした。
「夏祭りに行かないか」と鳴海が誘ったのだ。
 神社に近づくにつれ笛の音が高らかに肌に響いてくる。
 浴衣と下駄は旅館からの借り物だ。からころからころと砂利道をゆく。
 ライドウの足取りはおぼつかなかった。
 鳴海が途中途中で「やっぱり帰るか?」と尋ねたが、いずれの問も少年の首を横に振らせたのみだった。

「休みに来たってのに身体を動かしてばっかいたからなぁ」

「いいんです。僕もそうしたかったから」

「ん。そうか」

 参拝を済ませたあと、鳴海はライドウにりんご飴を買い与えた。
 あやかしの道が次々と現れそうなたくさんの提灯の並ぶ屋台小路、少年はぺろぺろと飴を舐め続けた。

「舌見せてみ」

 言われたとおりにすると鳴海の笑みが深くなった。

「ははは、真っ赤だ」

 屈託のない笑顔に心が締め付けられた。そこかしこにある赤い灯よりも少年の頬は赤いだろう。水風船にも劣る自身の心のうちがもどかしく思えた。彼への好意がいっぱいに詰まってそれはふとしたことで破裂しそうに大きくなる。
 涙が出る直前、彼に手を引かれた。

「見ろよ、風鈴だ」

 華奢な音の重なる風にも気がつかずにいた。
 硝子がこんなにも美しいものだとは、少年は潤む瞳も忘れてため息を漏らした。
 屋台に飾られた宝石の鐘、弾ける泡の音の連なり、赤青緑の透明なかたち、はためく短冊明かり白。
 ほれぼれとする感動。笛の音と混じる偶然の音楽。

「ひとつ買わないか」

 そうしたかった。ふたりで選んだのは金魚の泳ぐ絵が描かれた小ぶりの風鈴で、短冊は白い紗のちぎりの入った水色だった。鳴海が風鈴の入った小箱を脇に抱えた。

 甘いせんべいを買い、甘酒をちびりと飲む。
 懐かしさを覚えて立ち寄った射的では的を違えず粗末な作りのブリキのおもちゃを手に入れた。
 欲しがった坊主頭の子供にぜんまい仕掛けの商品を渡すと、ライドウは飴を咥えたまま不思議そうな顔をした。
 それが欲しかったのではないのかとまじめな顔をして尋ねられたので、鳴海は笑いながら「コルク弾の鉄砲を撃ちたかっただけだ」と答えた。

 月も映える帰り道。下駄の鳴る音が夜森に響く。
 笛と太鼓の音を後にして、ふたりは並んで歩いていた。
 星を見上げていた鳴海が小箱を指でなぞったとき、少しのつまらぬことを思い出した。

「昔話をしてやろうか」

「教訓になりますか」

「いいやちっとも」

「お伺いしましょう」

「今夜は満月だ」鳴海は話し始めた。「月明かりが雲に遮られると、一寸の間、暗くなる」


 暗闇に目が慣れなくて少しの立ち往生をしていると、三尋ほど先から草のこすれる音が聞こえてきた。子ぎつねだ。奴は提灯を持っていた。俺をじっと見つめている。やがて手招きをするように視線を残して歩き出した。道から外れた草藪のなか、怖さも感じずについていくと、猟師の罠にかかった親ぎつねが森の中でこちらを見ていた。俺は虎鋏を外してやった。こぎつねはお礼にと俺に提灯を手渡して親ぎつねと一緒に森の奥へ帰っていった。翌朝見ると提灯は金銀の花々に変わっていて、俺は少しの小金を儲けることができた、と。そんな話さ。


「その小金で何を買いました?」

「きつねのえりまき」

 じと目で睨むライドウに冗談めかして「嘘だよ、嘘。みーんな嘘」鳴海は笑った。

「即興で作ったのでしょう」

「わかるか」

 いまだ減らないりんご飴を口に咥えたまま、ライドウは喉の奥で笑った。すぐに眼差しが鋭くなった。注意深い目つきで気配を伺う。
 草場の蔭から物音がした。獣の走るような草の揺らし方だ。
 隙のない立ち姿のまま相手の動きを待つと、目の前になにかが飛び出した。
 砂利道をまたぐようにして現れたのは、子だぬきだった。

「あ」

 ライドウがまばたきをした。
 一瞬、提灯に見えたものがあったからだ。
 たぬきは口にりんご飴のりんごをくわえていた。飴を巻く前のものだろう。
 たぬきは道を横断して草場の蔭へ潜り込んだ。かさかさと乾いた音が消えていく。
 鳴海はライドウと共に力を抜いて微笑んだ。

「親だぬきは罠にかかっていないみたいだな」

「捕まらないと良いですね」

 下駄の音がふたりの耳に残されていく。
 飽きもせずに夜空を眺めていた鳴海は、また思いついたようにライドウに話しかけた。

「ライドウ、お前ちょっと下駄を投げてみてくれ」

「はぁ?」

「明日天気になぁれって。やらなかったか?」

 どうやら下駄占いのことらしい。

「ご自分の下駄で遊んでみたらどうです」

「ただの遊びじゃないの。俺にとっては晴れるかどうかがすごーく重要なことなの」

「だからこそあなたが」

「ライドウの力で晴れになるよう念じてくれよ」

「なんの理由で」

「いいから」

 色々と買ってもらった義理もある。という考えがちらついたので、ライドウは甘さに痺れた舌から飴を離し、右足をうんと振りかぶった。
 下駄が暗闇に消えた。十尋は飛んだろう。遠くに転がる小さな音を聞いた。

「力入り過ぎだよお前」

 小走りでゆく鳴海を器用なけんけんで追っていくと、着いた先には地面にさかさまに伏した下駄がぽつんとしていた。
 屈み腰の鳴海が「雨か」と伸び良く呟く。
 少年は片眉を上げて「待ってください」と割って入り、足先で下駄をひっくり返した。

「念を込めるのを忘れていました。放り投げ方にもコツがあるのです。必ず表に着地させる下駄の飛ばし方というのが」

「いやいいってそんなに真剣にならなくて」

「たぶんあるのでしょうが僕はそんな技術を習得していなくて」

「習得してなくても別にいいと思うぞ」

「とにかくもう一回です」

 りんご飴を片手に弁を飛ばす少年を見て鳴海はとうとう吹き出した。
 その場にしゃがみこみ、くつくつと肩を震わせる。
 かまわず投げ飛ばそうとした少年は下駄に足を入れた途端、声に出さない苦鳴を上げた。
 鳴海が顔を上げる。
 止まった右足の親指からじわりと糊のように広がる血が流れていた。
 彼は笑うのをやめて刺激の少ないようにそろりと下駄を脱がせた。
 紺地の鼻緒の内側に硝子の破片が突き刺さっていた。

 月が雲に隠れていたのだろうか、下駄を見つけた時には気がつかなかった。
 見ると辺りに風鈴のかけらのようなものが細々と落ちている。誰かが夜店で買ったものを落としたのだろう。
「土もかけずに」と不快そうに言う鳴海の上に自嘲めいた声が降りた。

「二度もやろうとしたから罰が当たったのでしょうか」

 それには答えず「こっちへ」と肩を貸した鳴海は少年を道の外れた木陰へと連れて行った。


 屈んだ鳴海の腿の上に傷ついた足を落ち着かせる。
 彼は満月の明かりを頼りに足の指の具合を見た。
 付け根に近い部分に小さな硝子の破片が刺さっていた。投げ飛ばそうと力んだ際にぐさりといったのだろう。
 木にもたれかかりながらライドウは「今度は確実に表に着地する下駄の飛ばし方を覚えようと思います」と呟いた。
 言っているうちに鳴海の爪がやわい付け根に食い込む硝子破片を引き抜いた。
 かかとを掴む掌はあたたかかった。

「ごめんな、俺の気まぐれで」

「鳴海さんのせいではありません」

 破片を抜いたのならもう大丈夫ですよと、下を向いた時にざわりとした感触が走った。
 親指の付け根に鳴海の舌が這っている。
 漏れ伝う吐息を震わせて唾液の絡まる生あたたかさを堪え忍ぼうとしたが、親指ごと血を吸われたときに「ふぅ」と濡れた声が喉を通った。

「甘い」

 ついばむようにチュチュと吸われた。どうしても反応してしまう。特にここ2~3日は鳴海のものでしかない身体だったのだ。
 膨らみを見上げられたときに頬に紅葉が差した。
 鳴海は穏やかに笑い、少しの背伸びをしてライドウの下腹部に顔を寄せた。
 腿の上の右足が堅く生地を掴む。
 浴衣を分けるようにこすりつけられる鳴海の鼻。
 熱を持った部位を唇でくすぐられた。

「いけません」

 やんわりと包み込むような動きだった。
 口に食まれた性器がそれこそ飴でも舐めるように下から上へと刺激を受ける。
 飴すらこんな丁寧な舐め方はされまい。
 指の腹でこすり上げられ、陰嚢を小鳥の羽毛を撫でるかのようにやわやわとさすられる。
 少年は声を潜めて泣いた。

 ここに居るのが嫌だった。
 なぜ足を怪我したのだろうと酔眼朦朧とした目つきで遠くの闇を見つめていると、右足を宙に投げ出された。
 鳴海の顔が近くまで寄っている。
 右手を掴まれ、口元にりんご飴を押しつけられた。
 まだ手放していなかったことに自分で驚いた。
 それを唇でねぶることを強要された。
 下半身にはさらなる脈動を求める手が伸びていた。

 ライドウの唇がゆっくりと動く。
 膨らみを包む手の動きはそのままに、鳴海も反対側からりんご飴に口をつけた。
 舌も脳も痺れるような咀嚼音が鼻息もわかる距離で立てられる。
「う、う」と苦しそうに呻く少年のなんと甘やかな声。
 鳴海の唇はさらに深く食らいついた。
 口元がべとべとに汚れていく。

 もはやほとんど飴の巻かれていないりんごはついに実の部分まで歯を立てられて、ふたつの口の動きで両端から形を削られていった。

 ライドウの口から高ぶった甘い息が漏れる。混乱に近いくぐもった泣き声だ。
 りんご飴を持つ手はひどくゆるみ、鳴海はとうの昔に指を離していたから、棒付きの赤い実はあっさりと地面に落ちた。
 それが合図のように少年は達した。右足がつるようにくにゃりと曲がり、震える。

 きゅうっと、最後の一滴まで丁寧にしぼり取るように、鳴海の指先は根本から先端まで優しく、執拗にライドウのものをこねくりまわした。
 痺れきった唇を上向けて涙を落とす。熱い息をつく少年の瞳に星の海が映りこんだ。

 鳴海は手の内へ吐精された指先を、ライドウの身体で一番甘ったるい匂いを発している唇になすりつけた。
 えぐみのある青臭さにわずかに抵抗したが、ライドウは目を閉じて感じ入っているように鳴海の白く濁った指先を舐めた。飴よりもおいしそうに。
 しゃぶり、脚を開いて、少年は鳴海の身体にしがみついた。

 口の周りを丹念に汚されたライドウが片足を浮かした。鳴海の脚が間に分け入ってきた。

 小刻みに漏れる情感に満ちた声。ゆらぎと共に闇に滲み入る美やかな熱。
 首筋を食み、浴衣から覗く乳首に噛み痕をつける。
 抵抗もせずに杭を待つ交わりの姿。
 口づけを繰り返し、途切れることのない甘みをお互いに味わう。
 右足の親指から血がぷくりと膨れ、地面に落ちた。


 木の股に落ちた齧られすぎの赤い実が蟻にたかられていた。
 絶え間ない艶声を散らしていた少年の身体が、深く、短くけいれんした。
 両脚からぐったりと力を無くすと、尻の間から白い液がこぼれ落ちた。
 肛門から溢れた精液が赤い実にしたたり落ちて、蟻が何匹かどろりと身を汚された。
 溺れる風にもがく蟻。
 足下の惨状を知らないふたりは荒い息をついて、おかしな味のするくちづけを交わした。汗まじりの唾だった。
 宙ぶらりんの左足。下駄はとうの昔に脱げていた。


 宿へ帰り着くとふたりは風呂へ入る間も惜しいと、敷き直された床の上で濃厚な性技を繰り重ねた。
 右足の親指は簡単な消毒ののちに絆創膏が貼られた。
 風鈴が軒下へ吊されるようになったのはそれから翌日のことである。
 こぷこぷと尻間から溢れる精液が肛門をひくつかせた。
 ここへ来てから酷く使い込まれているというのに、衰えることなく筋肉が躍動している。
 鳴海のかたちをすっかり覚えているその部位が嬉しいとライドウは寝転がりながら笑った。

「鳴海さんとこんなところへ来ると……僕の全部があなたで満たされて、真っ白になってしまいそうだ」

「どうしようもなく、欲情するな」

「興奮して余裕をなくす。あなたといられるのが嬉しいです」

「そうか」

 鳴海はライドウの髪の毛を優しく撫でた。
 なすりつけた精液によって少しごわついているものの、髪筋はやわらかく熱をもっていた。
 鳴海の手のひらは柔く、あたたかい。ライドウは穏やかな心持ちで眠りに落ちた。