忘れじの詩(うた)・8

 彼は深い昏夜の眠りについていた。
 息もなく身を横たえて瞳をとじている彼の耳に、100年ごとに覚えのあるどうにも嫌な鞭の音が聞こえてきた。眉をねじませ、耳障りな破裂音にいらいらとする。ここはどこだ。六角形のスペースも紅く囲む天鵞絨の肌触りも、忌まわしいあの音を遮ることはできないのか。だいいち、誰が鞭を振っている?

 伯爵は薄目を開けた。風を切る音は今もなお続いている。状況を思い出し、彼は鼻から大きくため息をついた。

 蓋に手をかけ、威厳ある仕草で棺から重々しく起き上がると、そこはあたりを真白く塗った広く清潔な一室だった。窓から日中の光が射している。
 夜に目覚めるために横たわっていたのに、どうしてこうベルモンド一族とやらは自分の血を騒がせるのだろう。おまけに眠りについた時と変わらぬこの部屋の雰囲気はどうだ。ほんとうにおとなしく魔王を休ませていたとは、これから先、あの年若い狩人とどのように接したらいいのかわからなくなるではないか。素直に寝首をかかれるか、とうに100年経って目覚めていたほうがずっと……彼はそこまで考えて、髪の毛や髭を指先で軽く撫でつけた。
 いつまでもここに居るわけにはいかぬ。
 伯爵は自分の手首へ爪を横に走らせた。音も無くきれいに寸断されてかき消えた手と、その手のかたちのまま霧が集まるように一瞬で元の状態に戻った右手を見て、だいぶ力がみなぎってきたようだと、彼は静かに眉を開いた。
 100年の眠りによる復活の時とは大きく差があるが、これならばひとりで好きなところへ赴けるだろう。
 このままここを去ってもいいが、最後に、ほんの少しだけ、あの鞭を振るう青年の姿でも眺めていくか。どうせいつかはやりあわねばならぬ相手だし……。
 伯爵は白い部屋に棺を残し、陽炎のように姿を消した。

 城壁に囲われた庭は真上から見ればちょうど車輪のような円形をしていた。
 聖堂の裏手の、相変わらず初夏の彩りのままの、植物がそれ以上繁茂することのない奇異な空間で、シモンはやや前に首を出した姿勢で左脇にたわんだ鞭を構え、一本の杭に乗せた蝋燭を前に立っていた。
 先に火がともされている。
 腕を頭上に振り上げ、肘から鞭の先端まで神経が通っているような槍や棒の一閃にも似たまっすぐな一撃を蝋燭の炎に当てる。
 火はかき消えたが、どういう仕組みかすぐに元のとおりにほのかな明かりを芯にくゆらせた。
 破裂音が遅れて聞こえた。
 およそ不自然な構えとフォームで、鞭にはありえない軌道と、灯火だけを打ち抜く精度に、そして音速を超えているという事実に、端から見ていた伯爵はわけもなく鳥肌が立った。地味な練習ながら、人間離れをした動きを突然に見てしまった気持ちの悪い感覚に、彼は我知らず口を引き結んでいた。

「もっと豪快に振っているかと思ったら、その体躯作りに関係のなさそうな練習をしているのだな」

 シモンは振り向き「ヴラド、起きたか」と驚いたような声をあげた。鞭さばきとは関係のない、ひどく純朴な表情をしていた。

「どのくらい寝ていた?」
「三日だ。鞭の音で目が覚めたのか?」
「あまり聞きたくない音なのでな……しかし間近に見ると、やはり厭わしい武器だ。なぜそのような奇妙な動きになる? 狙い澄ますだけの訓練でその身体を維持できるのか?」
「狙い澄まし……まぁ、ふつうに的を狙うならこれでいい」

 シモンは杭に並ぶ位置まで地面に鞭を垂らし、背筋もしゃんと伸ばした姿勢で、片腕だけを使い、半円にも満たない振り幅で音もなく蝋燭の火を消した。
 技術だけを磨けば彼のような一種天上の芸術作品のごとき健美な肉体は必要あるまい。聖鞭として扱うにはやはり技量と力を兼ね備えた頑健な身体を欠くことはできないのだ。

「撫でているようなものか」

「身体づくりはまた別だ。登城に耐えうるだけの体力や知識、技巧やなにより精神を鍛えなければならない。最初は徹底的に目の働きを強化させられる」

「目?」

「視界に入ったものを一瞬で理解し、状況判断をなせるかどうかを試される。次第に頭の使い方も整理されてきて分厚い本も数分で読めるようになる。知識を得るのに効率がいい。鞭の軌道も過去に振るったものを記憶すれば、先端部分が音速を超える間際にもどこへ身をひねればいいか、痛みの少ない段階でかわし方を覚えられる。技術が下手なうちに自分を鞭打つこともなくなる」

「正確さと打撃力を兼ねるにはやはり難しいか?」

「元々致命傷を与えずに音だけで家畜をまとめる道具だからな。静止した状態で使うなら自分に当たらぬようまわりに向けて円を描くふうに振るだけでいいし、もしくは鞭の先端部分を痛みなく身体にまとわせるよう、空中で音を鳴らしたあと肘から力を抜いて先を回転させ、勢いを逃がすやり方があるが、目的がクラッキングではなく、自分も動きながら対象に向けて鞭を当てなければならない場合、やはりこれを武器として扱うには非常に難しく、長く訓練を積む必要がある」

「使う対象は家畜だけか?」

「……人を打つのにこのような長さは必要ない」

 鞭の長さは2.4メートルはあった。彼の鞭は力を得ればさらに長くなる。
 伯爵は薄く微笑んだ。人の後ろ暗い部分を見るのが楽しいのだ。

「そうだな、無抵抗の人間を打ち据えるにはしなる部位はさほど必要あるまい。短ければ短いほど直接撲っている感覚が味わえる」

「いやな言い方をするな」

「ではなぜそんな形状の武器を持つ。剣や斧、槍や魔法でも夜の一族には有効だ。自ら卑しい用途に使う鞭を携えて、人から異端と見なされた先祖のことを忘れたわけではあるまい」

 おそらく竜公の伝説を作るきっかけとなったラルフのことだろう。
 彼もまた、魔王を討つまでは、狂狷きょうけんであるがゆえに人外の恐怖とみなされ、人々から忌み嫌われていた。
 シモンは少しだけ眉間に皺を寄せて、静かに話し始めた。

「神の創造した世界を知り尽くしたいという信仰心から生まれた学問を知っているか?」

 伯爵は微笑をたたえたまま、口に寛裕を含ませたように顎を引き「錬金術のことか?」と聞き返した。シモンはうなずいた。

「元々この鞭はあるひとりの錬金術師が創り出したものらしい。お前のような吸血鬼に恨みがあったのかどうか知らんが、闇の眷属に対し有用な武器をと願った末に、このような形状の武器が生み出されたという。剣や槍ではなく、性質や様体を形作る部分のひとつひとつが錬金術師の読筋を上回り、まるで大いなる導きを受けての精製を果たした。それがこの鞭だ」

「神によって作り出されたとでも言いたいか? その者の嗜虐性を満足させるための形状だったとは思わんか?」

「聖鞭が生まれた事の経歴はあまりに古い。私にも詳細はわからないが、実際に何度も魔王を討ち果たしてきたのはこの鞭の力によるところが大きい。単に吸血鬼狩人の心情を反映しての形状がこれだというのでは、鞭自体がとうに力を無くして使い物にならなくなっていただろう。文献で伝えられる以上の神秘性をお前も見てきたはずだと思うが」

 伯爵は興味深げに片眉を上げた。皮肉な目つきは変わらなかった。

「異質な状況においても耐久性を発揮するのが聖なる武具と成るひとつの条件だ。異界の地において、この鞭は決して錆びぬどころか、蝋燭の火といったわずかな熱を得ることで、異様とも言える強度を誇るようになる。皮が鎖と変じて、より威力の高い重りまで作り上げてしまうのだ。一説によれば錬成次第でさらに強力になるとも伝えられている。試したことはないが、その身に炎をまとわせることも可能になるとか」

 話には聞いたことがある。魔法の呪文に耐えうるほどの強度を備えれば、炎の鞭に変えることも可能だろう。伯爵は小さくうなずいたが、聖性に対しては納得がいかず、さらにシモンにこう尋ねた。

「武器に火の属性をまとわせるなど、魔法使いがよくやる手だ。奇妙な変成は認めるが、特別神秘性があるというわけではないさ。なにか、もっと、それ以上の力が現れるとでも言いたいのかね?」

「わからない。が、その可能性はある」

「その可能性とは?」

 神秘とはこの青年の内にあるのではないか――伯爵が一瞬そんな思いにとらわれたほどの、力強くも透きとおったまなざしで、シモンはこう答えた。

「聖鞭を扱う者の心次第だ。聖性を宿すこの鞭を振るうにふさわしい心が芽生えたとき、どんな強大な力をも打ち払える輝きをその身に宿すのではないかと、私は信じている」

 はっと小馬鹿にしたように伯爵は頭を振った。行き着くところが証明もできない信心では無理もない。鞭の聖性についてこれ以上の論議は不要と、伯爵は話を変えた。

「変わった鞭を扱うとなると、やはりそのさばき方もおかしなものになるのかな。槍にも剣にも見える勢いのある挙動。あのような毛色の変わった鞭さばきを君はどのようにして体得したのか、信心以外の理由で教えてもらいたいものだな」

「慣れだ」あっさりと彼は答えた。「進攻の際に動く相手に対して正確さと打撃力を併せ持つように色々工夫してみたらああなった。余計な筋肉をつけるのも鞭の振り抜きに邪魔になるし、動作も遅くなるから今くらいの体型が適正だ。胴鎧も足掻やすいように中は幾分余裕を持たせたほうがいいし、上体をひねるためには腰はなるべく細いほうがいいし、あとは」

 シモンは口を止ませようと目の前に差しのばされた伯爵の薄い右掌に、だいぶ経ってから気がついた。腰の話になる前に出されていたものだった。公は静かに瞳をとじ、「饒舌、饒舌」と、なだめすかすようにシモンを鎮めた。
 しんとした間に風が吹き抜けた。蝋燭の火が消えた。
 なぜ話を遮られたのかわからないというように、青年は気抜けた顔で立ち尽くした。いたたまれなさを感じているのは伯爵だけという雰囲気だった。

「君に狩りの仕方を尋ねるのはやめにしたほうがよさそうだ」

 どう捉えたのか、シモンはすまなそうな表情になった。ややうつむき、鞭を腰に掻捲かいまくる。

「すまない、お前にしたことを忘れて無神経に喋りすぎた。自分が恥ずかしい」

「いや、いい。聞いたのはわたしだ。君も三日間、喋る相手もいなくて退屈していたのだろう。気にするな」

「三日間」シモンははっと顔を上げた。「そうだ、お前が眠りについてからすぐにおかしなことが起こったんだ。こっちだ、来てくれ」

 おい、という呼びかけも聞かぬまま、シモンは歩き出した。伯爵は右手を力無く下げて、いらつくような、困ったような顔で「わたしはお前の友人でもなんでもないんだぞ」とひとりこぼした。そして青年のあとをしょうがなくついていった。

 城門に案内されて、伯爵はすぐに異様さに気づき、白い門を睨め付けた。
 力の先には忘れようもない虚無と静寂に満ちた、冷たい死の香りがした。
 シモンは隣に佇む伯爵の様子を見て、「やはりなにか、覚えがあるか?」と聞きにくいように尋ねた。
 竜公はまるで自分の佇む場所から夜闇が生まれるように、静けさをも支配する尊高の出で立ちで声を成した。

「なつかしいな。奴もここに来ていたのか」

 すっと視線を下げて、公が地面に向けて睥睨を示すと、視線の先の地表が荒々しく弾けた。思わず顔をかばったシモンの腕にばらばらと土中の根草が降りかかった。塵が収まると、そこには怖気の走るような大量の鎌の、半円の刃の部分だけが、紙一枚通さぬほど密集して土に埋められていた。埋め方というのがまた異常で、刃の波紋状の模様部分を鷲の爪のように盛り立てて、それが隙間無く、おそらく城門の続くかぎり延々と土の中に隠されている。正気の沙汰ではない。

 伯爵は鼻で小さく笑い「とうに試したと思うが、壁面は」とシモンに尋ねた。
 彼は土埃を払いながら「……ロープがあるので先に分銅をつけて取っ掛かりに投げかけてみたが、絡み終わるのを待たずに中程で切断された」と答えた。ロープの切れ端はおそらく研ぎも鮮やかなものだったろう。壁を上るのも不可能、土中を行くのもまた――伯爵はふたたび門を見据えてどうしたものかなというふうに小首を傾げた。

「開かぬか。閉じ込められたな」

 肌をなめるような冷たい風がさわさわと吹いた。急に日暮れが近づいたようだった。シモンは伯爵を不安げに見つめ、なにごとかを言いたいものの、それをせずに黙っていた。まなざしの先が急に人のかたちではなく、一匹の蝙蝠に姿を変えた。とっさのことに声も出ず、シモンはただ呼び止めるかたちに手を上げることしかできなかった。そんな青年を振り返りもせず、大型の蝙蝠は門の高みに到達し、そのまま城壁を飛び越えた。しばらく空中に留まったまま、あたりの気配を探るように腹心の姿を、声を確かめようと心を澄まし――そして彼は飛来したときと同じようにシモンのもとへ戻った。
 じっと黙って見上げていた青年の相貌が、信じがたいものを見たというふうに徐々に視線を降ろし、横を向いた。伯爵はそこで普段通りの人の姿に立ち返った。

「だめだな、なんの音沙汰もない。奴め、ここをこんなふうにして、一体どこへ行ったのやら」

 公の呟きに対してシモンはなんの反応も返せなかった。呆然と、ただただ意表を突かれた現実に、目を澄ますばかりだった。
 伯爵は青年の様子を見て「どうした」と尋ねた。「そんなに閉じ込められたことがショックだったのか」
 彼は静かに「ちがう」というふうに首を振った。

「戻ってきてくれるとは、思わなかった」

 伯爵はこともなげに言った。

「あぁ。まだ充分な力が足りていないからな」

「そうだとしても――いやたぶん嘘だ。町へ降りた時から非常に強い力を見せていたのだから、三日も休めば行動に足りるほど回復したはずだ。なにを考えている?」

「そう思っていたのなら、なぜ君こそわたしをここへ連れてきた。蝙蝠に身を変えて、自分を閉じ込めたまま行きたいところへ行くと、考えなかったわけではないだろう」

「考えたが、しかし、この異変はいずれわかることだ。それならばという意味もあるが、ほんとうのところは、あまりに心浅い話をした自分が許せなくて、この状況にあってどうするのか、お前の判断に任せようと思った……ともにここへ来てもらえるかどうかなど頭になかったと、今になって気づいたが……」

 シモンは徐々にうつむいて、無意識に両拳を握りしめた。顔は恐れと後悔の色が強い。なによりもまず恥じ入っている。伯爵は彼の言葉を思い返した。

 お前が眠りについてからすぐにおかしなことが起こった。

 この三日間、ひとりでなにを考えていたことだろう。
 伯爵は納得のいった体で棺に身を横たえたが、用心深い死神が自分の主を消滅させぬため、青年をここから外出させぬよう要塞自体を檻にした。
 きっと、こんな顔をする青年のことだから、外へ出かけるつもりもなかっただろうが、やがて伯爵が目覚めたときのことに思い至り、ひどく恐ろしい気持ちになったのだ。
 もしも力が足りて、蝙蝠に身を変えて要塞を出て行けば、自分は死ぬまでここにいることになる。なにより外で悪逆の限りを尽くすだろう魔王を止めることもできず、肝心の鞭も伝来の手段を使えないまま、ベルモンド一族の聖鞭による狩りの歴史は終わりを告げる。

 誓いとして立てた証はとうに意味が無くなっていたのだ。
 それでも彼は伯爵が目覚めるのを待った。

 ふつうなら自分の命運が尽きたとわかった時点で、効く効かぬを抜きにして、わずかな可能性を信じて魔王をふたたび100年の眠りにつかせるために杭を持って忍んでいくところだが、彼は決してそうしなかった。自分を信頼して眠りについた竜公の安らぎを妨げようとはしなかった。恐れや迷いを心に留めぬよう聖鞭を持つにふさわしく在る鍛錬を続け、結果としてその音が伯爵を目覚めさせた。

 やはり、なにか、不思議な力があるのやもしれぬ。
 伯爵は彼の腰に下がる聖鞭を見据え、そして青年の頬に手を寄せた。
 突然のことに肌が強ばりながらも、シモンは黙って顎を噛みしめ、彼のするがままに任せた。

「この三日間、ろくに食事を摂っていなかったのか」

 気は張り詰めていたようだが、感触も血色もよくない。青年がいつにも増して饒舌になったのは不安に耐えかねてのことだったのだろう。食物が喉を通るはずもなかった。シモンは伯爵の手を静かに解いた。その顔は気遣いを受けるに値しないというような申し訳ない表情だった。

「君の不安はわかる。わたしがここに残ったとして、食料や水の問題があるからな。充分な量はあるだろうが、わたしがそれを支配して君をいいように嬲るかもしれぬ。閉じ込められた身ではそう考えて当然だ」

 人に鬼畜とみなされるものの考え方を公はごく自然に頭においていた。そう捉えられるのは慣れていた。それが一対一で戦った相手であっても。青年の態度も理解の内だ。門前に戻れば彼はすぐに次の脅威に思い至る。そしてそのとおり、伯爵の言ったような疑念が頭に浮かんだことに、シモンは慚愧ざんきの念を覚えたのだ。なにも確証はない。しかし尋ねずにいられなかった。

「そういうことは、しないか?」

「しない。だいいち、黙って備蓄食料の汚染を許す君ではないだろう。おかしな振る舞いを見せたらまた首を締め上げられるかもしれん」

 それを聞いてシモンはきょとんとして、今までの緊張がどこかへいったような調子で「それもそうだな」と呟いた。
 自由を奪われるというのは不当な状況への対処の仕方をわからなくさせる。
 迷いから正常な思考へ導いたのが邪神崇拝の対象であるこの魔王とは。

「しかし、どうしてまたここに戻ってきたんだ?」

「……死神が姿を見せるかもしれぬ。どうせ待つなら力を蓄えられるここにいたほうがいい」

「呪いを糧にしてか」シモンは鼻から小さくため息をついた。「生きても死んでもお前の利に働くのだな、私の命は」

 公はシモンを見つめた。絶望に彩られた弱者を見るのではなく、7年のあいだ呪いに耐え抜き、いまも機を伺い続ける狩人の立ち姿を風に吹かれながら、黙して見つめた。力は失われていない。

「わたしの腹心に監禁され、憎まぬか。怒らぬのか。わたしと君はいずれ殺し合う立場にあるのだぞ。奴が姿を見せる前に、首をへし折ってでもわたしを討とうとは思わぬのか」

「……清めなければならぬ場所で殺し合いをするつもりはない」

 伯爵は瞳を閉じた。互いに真意を明らかにすることはできぬ。そういう立場だ。このままここにいて、これ以上、なにか変わることがあるのだろうか。

「……もう、行こう。日が陰ってきた。肌寒くなってきたし、夕飯の支度もしなければ」

 夕日に伸びる青年の影がどこか物悲しかった。
 伯爵はこの年若い狩人が自分を帰路に誘ったことを気づかせようかと、少しうつむいて考えたが、結局はなにも言わず、彼のあとを数歩遅れて歩んでいった。