「明日帰る」と、ひとこと

「引き続き、ブーツを探しにいく」

 これからどうすると尋ねられたとき、シモンは数時間前と変化のないプランを風魔に告げた。これで三日目、シモンは移動速度を速める魔法がかけられたブーツのたぐいを探して、数々の堅牢な戦いの地に赴いていた。成果のない戦いが続いたせいか、青年の顔には疲れが浮かんでいる。風魔は眉をしかめた。手伝いを申し出ても、これは自分のことだからと青年は顔を横に振るばかりなのだ。ともにできるのは小休憩のお茶くらいで、カップを見ればそれも終わりに近づいている。コーヒーを一気に飲み干したあと、シモンはソファから立ち上がった。めまいがしたように上半身が揺れた。慌てて体を支えた風魔に向かい、彼は肩越しに謝罪した。

「外壁登りというのは神経を使うんだな」

 蠅の王が支配する悪魔城の、罠と仕掛けに満ちた外壁を何度のぼったことだろう。振り子仕掛けの刃が交差するあいだを縫って跳躍を繰り返し、王を討伐すること幾百度――申し訳程度の崩れる足場を渡った疲れが、気を抜いた途端にどっと全身に吹き出したのだ。「今日はもう休んだほうが」青年は首を横に振った。あとひとつ、どうしても行きたいところがあるという。風魔は労りを断られたのとは別の意味で眉をしかめた。「あいつのところか」シモンはうなずいた。

「城の防衛程度は通常と同じところへ行く――私も無理はしたくないからな」

 心配しないでくれと言い残し、シモンはラウンジを立ち去った。
 後ろ姿を見送ったあと、風魔はソファに座り直した。カップを手にとり、残ったコーヒーをじっと見つめていると、陶器から伝わる熱が急に冷めた気がした。ふと後ろを振り向くと、そこには霧から人の姿を現そうとする黒い影があった。シモンと同時代に存在した古の城主、ドラキュラ公だった。その表情は風魔ではなく、さきほどまでともにいた年若い狩人の姿を求めていた。

「一足違いだったな」

 城主は片眉を上げた。どこへ、なんのために行ったのかと尋ねる伯爵に対して、風魔はブーツ探索の旨を伝えた。

「足が速くなる靴だと? そんなものが必要なのか」

 青年の技量のほどを知っている伯爵にとって、狩人の求める品は意外性に満ちたものだった。彼は通常と同じ歩みでも攻略に支障をきたさない腕前なのだ。目的の遂行に向けてゆっくりと歩む青年のスタイルに似合わない品に思えてしょうがなく、伯爵は不満そうに眉をしかめた。風魔はなにも答えなかった。「早く帰れ」という言葉に、伯爵は気を悪くしたような冷たい目になった。その目が慌てた色を見せたのは「お前のところに向かった」という呟きを聞いたときだ。外套をひるがえす音を背中で聞いたあと、風魔はカップに残ったコーヒーを飲み干し、ため息をついた。

 本に記録された17世紀の悪魔城にて、シモンは時計塔まで順調に歩を進めていた。時計塔まで、だ。疲労が高じてか、ノミ男の跳躍を避けようとして動く足場に飛び乗ったとき、敵を討ったのはいいが、攻撃の勢いでバランスを崩し、そこから滑落してしまったのだ。鉄の棘が敷き詰められた床が視界の斜に見えた。
 被害を最小限に抑えようと、彼は歯を食いしばって両脚で着地した。全身が貫かれなかったのは幸いだ。青年のブーツに大きな穴があいた。骨と肉を貫通した激痛にも彼は低く呻くだけで耐えた。脂汗がどっと流れ、痛みに蒼白となった顔で、足場のゆくえを見つめる。足を引き抜く恐怖をこらえて、彼は頭上をゆっくりと動く石の板にタイミングを合わせて飛び乗った。
 天守に続く階段に腰を下ろしたあと、彼は負傷した足に神薬を振りかけた。みるみるうちに傷が癒えたが、穴があいた靴からは一度破裂した肌がのぞいていた。大きく息をつき、汗を拭ったあと、シモンは立ち上がった。血の足跡を振り返らずに、階段をのぼった。

 青い天守の間に首が浮かび上がった。長身を為したそれは、聖鞭を構えた狩人を見て、眉をしかめた。顔は疲労の色が濃く、髪は乱れ、胸当ては薄汚れ――どこから見てもみすぼらしい。汗で汚れた腿はいつもの通りだが、やけにぼろぼろのブーツからは素肌がのぞいていた。穴があいているのを見て取った伯爵は、紅い眼の光を落ち着かせて、こう呟いた。

「傷は癒えているようだが、身なりがボロボロではないか」
「換えの衣類はいくらでもある」
「靴も穴だらけだ」
「……多少動きにくいが、今は関係ないし、これもあとで繕う」
「繕うなどと貧しいことを言うやつだ」

 どうでもいいことだろうと青年が声を張り上げようとしたとき、伯爵の手がひらめいた。虚空に現れたのは一足の赤いブーツだった。目の前に出現したブーツをシモンはあわてて両腕で抱え込んだ。見るとそれは移動速度を速める魔法がかけられた靴、ダッシュブーツだった。
 とまどうシモンに向かい、伯爵は顎を軽く動かし「受け取れ」と合図した。

「どのみち戦いが終わればこれを贈るつもりだった。金箱から出すまでもない」
「どちらが勝つかまだわからないのに」
「いままでにも何度も金箱を出しておいてなにを言う。いいから受け取れ、貧しい光景は嫌いなんだ」

 まったく、最初からわたしのもとへ来ていれば靴の一足や二足、すぐに出してやったものを――伯爵のぶつぶつとした呟きに、シモンはうつむいた。しばらくそうしてから、青年は顔を上げた。なにかを言いたそうに伯爵を見つめている。言葉を促すように伯爵がやわらかく首を傾げた。

「……魔法の靴が手に入れば、あまり時間をかけずにお前に会いにいけるかと思ったんだ。だから、これをもらえて、嬉しい」

 ありがとうヴラド、とシモンは礼を告げた。
 そのまなざしはまっすぐで、表情には飾りがなかった。
 いっぽう、青年の素直さに、伯爵はかりそめの胸の高鳴りを覚えていた。
 青年に歩み寄り、してもいいのかどうかわからない様子で、頬に手を添える。シモンは微笑を浮かべた。伯爵の胸の鼓動は幻の音をいっそう確かに奏でてやまなかった。伯爵はほのかな火に導かれるように青年を抱きしめた。シモンは相手の胸に顔をうずめて、その体を抱き返した。ふたりとも、安らいだように瞳をとじて、相手のぬくもりを感じていた。
 名残惜しいように抱擁を解き、見つめ合ったあと、シモンははたと困ったような顔をした。

「帰らないと、皆が心配する……」

 大丈夫だと、伯爵は青年の背を押した。ともに自室へと向かう足をとめずに、早口にこう言う。

「コウモリに手紙を持たせる。ペンと紙をやるから書くといい――あぁ、簡潔にな」

 伯爵は時間が惜しいようにシモンの肩を抱いた。机は自室にある。書き終えたら風呂に入らせて、その傷ついた体を労ってやろう――早足になるのを抑えきれずに、伯爵は肩を抱く手に力を込めた。

 終
 13/03/31(日)

 これも実体験からです。
 PS3版を始めた当初、ブーツを求めてハード章をあちこち巡ったあと(一足も出ませんでした)最後に赴いたノーマル10章の伯爵様からダッシュブーツを頂いたという……時計塔の棘で瀕死になったところも同じです。
 性能はもちろんウィングブーツやソニックブーツに劣りますが、なんというかもう、この展開が嬉しすぎまして……書かずにいられませんでした。
『レジェンドブーツ』とは趣が違いますが、これはこれとして楽しんで頂けたら嬉しいです。