その日の探索もいつもと同じく緊張感に満ちたものだった。
振り子から足を滑らしそうになった少女の手を引いたり、不規則な動きで少年たちを翻弄するのみ男をナイフで掃討したり、火柱に焼かれそうになった後進をあわやというところで引き戻したりと、シモンは先達の責任感からよく働き、仲間達の危うい場面を助けていた。遠くで鐘の鳴る音がする。どこかではエレベーターが作動する機械音が。一瞬の閃光を感じたあと、シモンは近くの狩人の頭を押さえつけて、自らも身を伏せた。幾層もの壁を貫く極太の破壊光線が部屋を焼いた。すんでのところで大火傷をまぬがれた後進は彼に礼を言い、シモンは無言で目礼を返した。そして顎を引き、活を入れるように奥歯を噛みしめた。
使命を果たそうと先を見据えるとき、彼はいつも歯を食いしばって、心身に気合いを入れ直すのだった。
翌日、古の城主の私室で目を覚ましたとき、シモンは顎に違和感を感じて、髭の伸びた頬をさすった。首をかしげて、二、三度大きく口を開く。鈍痛のような、妙な疲労感が残っていた。彼はベッドから身を起こして、洗面所に向かった。
身だしなみを整えたあと、鏡で歯の様子を見たが、素人目にはなんの違いもわからなかった。水を飲んでも歯は染みない。一時的な噛み合わせの問題だろうか。そう考えても、この疲労感は不安を覚えるものだった。もしも虫歯だったとしたら――満足にものを食べられない将来を想像して、シモンは寒気がしたように、ぶるっと身を震わせた。
朝食の席で、シモンはゆっくりとパンを咀嚼していた。スープを飲み、サラダを少しずつ食べる。その様子をじっと眺めていた伯爵は、片眉を上げてこう尋ねた。「食が進まないようだが、どうした」
(朝に用意するのも変な話だが)好物の肉にいつまでも手をつけないのを見て伯爵は不審に思ったのだ。なんでもないと返すシモンを伯爵は無言で見つめていた。青年が話したくなるまで、ただいつまでも静かに見つめていた。その視線を受けて、シモンはスプーンを置き「実は」と話し出した。気の通じ合うふたりだけの間の取り方だった。
「虫歯かもしれないだと?」顔色を変えて伯爵は立ち上がった。ずんずんとまわりこみ、青年のそばに歩み寄る。顎に手を添えて口を開けるよう促すと、シモンは素直に従い、口を開けた。伯爵のまなざしは真剣そのものだ。屈強な青年が好物の肉を食す、その姿を見ることは伯爵の大いなる喜びであり、なににも代え難い至福の光景なのだ。その姿を見られないとなったら大変なことだし、なにより青年の栄養問題にかかわる。伯爵は曇りのない目でシモンの口の中をのぞきこんだ。切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯……それぞれの歯の状態をチェックした伯爵は「異常はないようだ」と呟いた。指を差し込み、奥歯や前歯をなでては、ひとつひとつの状態を確かめる。「ぐらつきもないようだし、奥までしっかりと生えそろっていて、うむ、実に……」
伯爵のまなざしは、いつのまにか恍惚としたものに変わっていた。「美しい」呟く声音は陶然とした、聞くもうっとりとするものだった。
「なんという白い歯だ。それにこの歯並び。力強く、立派で、かたちの悪いものなどひとつも見当たらない。頬肉もつややかで、噛み痕もなく、舌の色もきれいなものだ。君は歯並びからして美しいのだな、シモン」
伝説の吸血鬼に歯並びを称賛されることは、つまり、歯医者に褒められるのと同等の価値があるのだろう。自らの誇りにも思う大切な部位を惜しみなく褒めているのだ。嘘偽りなどあるわけがない。いままでなんとも思わなかった歯の状態を心から褒め称えられて、シモンは困惑した。嬉しいが、なんとなく気恥ずかしい。指もいつまでも外してくれないし、唾もたまってきた。あうあうと抗議の唸り声をあげて、シモンは伯爵にやめてくれるよう頼んだ。伯爵は一旦手を離したが、興奮冷めやらぬ表情でシモンに「今度はいーってやってくれ。ほら、いーって」としつこく食い下がった。「診察は終わっているだろう」「いいから。これで最後だから」
シモンは諦めた心地でいーっとした。前歯を見た伯爵は感嘆の声をあげてその白い歯並びに見惚れた。顎に手を添えて、「すばらしい、なんともはや、すばらしい」と鼻息も荒く称賛する。「いままでに見た人間のなかで一番の歯並びをしているぞ、シモン!」
どんな状況で人間の歯並びなどをいちいち観察していたのだろうか――「それはどうも」と呆れた気持ちでシモンは診察を終えた。
「しかし異常がないとしたらこのだるさはなんなのだろう」
「疲労感がたまって一時的に調子が悪くなったのではないかな。ほら、君は歯を食いしばる癖があるから、ふだんの生活から緊張感が続いて顎に負担がかかったのだろうさ。身に覚えはないかね?」
昨日の探索のことを思い出して、シモンはこっくりとうなずいた。気にもしていなかったが、緊張はみなぎっていたし、なるほど、顎はきつく噛みしめていた。気合いが入りすぎて知らずに消耗していたのだな――納得いったようにシモンはほっと息をついた。
「虫歯じゃないとわかって安心したよ。半日も経てば元の調子に戻るかな」
「そのためにはしばらく探索を休んだほうがいいな。コウモリを使いに出すから、手紙を書いて今日はここで過ごすといい」
伯爵はシモンの膝にそっと手を重ねてこう囁いた。「わたしも君ともっと一緒に過ごしたいし」
熱っぽい瞳だった。シモンはほんのりと頬を赤らめて、うつむいた。どうしようか決めかねている。伯爵は膝小僧をさする手に思いを込めて、続けてこんなことを囁いた。「昨日に引き続き、まだ書き物がたまっていてな。今日一日で終えられるように、君にも協力してもらえたらと思ったんだが――」
シモンの頬はますます赤らんだ。目線をあげて「……また、あれを?」と尋ねる。悩ましげなまなざしはシモンを捉えて放さない。膝をついた伯爵は、シモンの胸に甘えるようにすり寄って、彼からの答えを待った。激しい鼓動が聞こえる。「わかった」と答える声は、隠しようもない興奮で静かに震えていた。
伯爵は書斎で机に向かい、何百枚と積まれた書類にサインをしていた。城の補修案件から、壁に埋め込む食料のチェック、兵士の配置や部隊の総員数の確認など、細々とした仕事が次から次へと舞い込み、城主はためこんだ書類へせわしなくペンを動かしていた。
ノックの音がして、死神が書斎に入室した。昨日に引き続き、今日も懸命に働く主に感動の目を向けながら、死神は机に音もなく移動した。書類を携えた死神の手元をちらりと見て「新しい仕事か?」と伯爵は尋ねる。
「お手を煩わせるようですが、半魚人たちが産卵の季節を迎えまして、孵化した五百体について、新しい配下としての契約のサインを一枚ずつ頂きたく」
「あぁ、いいぞ。今日は調子が良くてな、何枚でもこなせるだろう」
机の下からくぐもった声がした。押し殺したような響きに死神が首をかしげて、様子を伺おうとしたが、伯爵に「そこに置け」とひとこと告げられ、死神は黙って机の上に書類を置いた。伯爵は鼻歌まじりにペンを動かしていた。まるで仕事が長引くのを楽しんでいるようだった。かすかな水音と振動する音が聞こえる。死神はしばらく無言でいたが、調子の良い主の姿を見て、それ以上は尋ねずに「失礼します」と退室した。
おかしな戯れ方をしていたようだが、主が仕事に精を出せているのならそれでいい。なにも気づかなかったことにしよう――昨日も今日も順調に書類が片付いているのを考慮して、死神は主と狩人のためにそれ以降の入室を控えることにした。
しばらくしてから伯爵は「怖かったかね?」とペンを動かす手を止めずに呟いた。鼻をすする音が聞こえた。机の下で、素裸のシモンは、伯爵の股間に顔をうずめて、逸物を口に咥えていた。尻には振動する張型を挿れられて。
昨日、伯爵が言うにはこういうことだった。書類仕事がたまっているのだが、座りっぱなしでは足腰の中心で血流が滞って、体の調子が悪くなる。人肌に近い温度で、下腹部に凝り固まっている血流をほぐしてもらえたら良いのだが――たとえば君の熱い口内で。
あくまで病気にならないために、悪くなったところを癒すためにという名目で、伯爵はシモンに口での奉仕を頼み込み、押しに弱いシモンは、散々ねだられたあと、恥じらいながらも了承した。裸なのは伯爵の一種の気遣いからだった。張型を取り出した伯爵は、シモンの尻を丹念にほぐしながらこう言った。「わたしばかり気持ち良くなっては申し訳ないからね。君の体も芯から楽にしてあげないと」そしてゆっくりと張型を挿入した。
説明するところによると、この特殊な張型は青年の快いところを刺激し、一定の間隔ごとに秘薬を注入して、体の内から疲労を回復する作りになっているという。その言葉どおり、振動とともに秘薬が注入されるたびに、青年の体にはじんわりとした熱が走り、翌日には、凝りがほぐれたように身が軽くなっていた。淫猥な道具だが、疲労回復というのは嘘ではないらしい。ただ、刺激が強く、意地悪なタイミングで振動と軟膏の注入が始まり、青年をよがらせてしまうだけで、体を痛める心配はまったくない代物だった。
そうして昨日に引き続き、伯爵は今日も青年の熱い口内による丁寧な奉仕を受けながら、書類仕事に精を出していた。喉の奥まで飲み込まれ、ぬめらかな舌で裏筋や陰嚢を舐め上げられる。亀頭や鈴口は愛で包むようにちゅぱちゅぱと吸われ、また全体を飲み込まれる。きつくすぼめた頬で竿を吸われては、思考まで持って行かれそうな快楽を味わった。そんな時にはサインをする手を一時止めて、青年の頬や頭をいとおしげになでるのだった。
死神が尋ねてきたときには、魔法を働かせて、青年の奥深くに入り込んだ張型を動かした。悲鳴を押し殺して快感に耐えるシモンをちらりと眺めては、ご褒美のように、感度を上げる媚薬入りの軟膏を注入した。「あんん」シモンの手は自由にしている。堪えきれないようにあげる声は自らをしごいて達したしるしなのだろう。熱くほとばしる若い匂いを感じては、伯爵は青年の喉奥に、たぎりきった欲望を注ぎ込むのだった。
青年は最初のうちは我慢をしていたが、幾度も尻の中をこねられ、秘薬を注入されるうちに、次第に空いている手を使うようになった。はじめはおずおずと、やがてせわしなく、両方の胸をもみあげて、乳首をいじった。薄紅色の乳首をつまみ、こすっては、うずきを起こす突起を指ではじく。指先の動きは彼の愛撫を再現していた。片手で胸を慰め、もう片方の手で自らのものをしごきながら、腰をくねらせて、尻にかかる振動に身悶える。張型はまるで意思を持ったように青年の中を自在に動いては、彼がもっとも感じ入るところを刺激した。その突き上げは青年を後ろから抱かれている錯覚に陥らせた。まるで机の下にもうひとりの伯爵がいるようだった。彼のものを上の口でも下の口でも咥え込みながら、彼しか知らない部分を貫かれ、花開くような快感を迎え入れる。彼を模した張型はシモンを丹念に愛撫し、何度も何度も熱いとろみを放った。あふれるほどの液状の座薬は、そのまま青年を乱れさせる媚薬となって、自身を慰める手の動きを早めさせた。
「あうぅ、あんっ、んんんっ……」
そんな欲望の解放を三回は迎えたころ、伯爵はようやくハッと目を見開き、『これが青年の顎を疲れさせた原因だったのか』といまさらながら気がついた。探索から帰ってきて、ここに遊びに来てから一晩中、伯爵の書類仕事の苦痛をやわらげるためという名目で、ひっきりなしに口内を動かしていたのだ。素裸のまま、大きな体を机の下に縮こまらせて、誰かが来たときには声を上げないように気配を忍ばせる。軟膏によって自らの体も癒されるものの、その姿は恥辱的で、精神的なストレスは相当なものだったろう。歯を食いしばっていたほうがまだましというような負担を顎にかけていたに違いない。
伯爵はペンを置いて、シモンの頬をそっと包んだ。上向いた顔は『もういいのか?』と尋ねている。伯爵は「すまない」と呟き、椅子を引いて、シモンの体を助け起こした。ふらつく体から張型を引き抜いて、膝の上に青年を抱える。胸に顔をうずめて額をこすりつける伯爵を見て、シモンは何も言わずに伯爵の頭をやさしく抱いた。
いとおしい想いで通じ合っても、欲望のたぎりは収まらなかった。伯爵はシモンの尻を抱えて、ゆっくりと自らの熱情を押し込んだ。シモンはしがみつく格好で息を抜いた。椅子ごと抱えるようにして脚をまわし、伯爵を抱きしめる。「あぁっ、あぁっ」みだらな音を何度も立てて結合部が熱くこすれる。全身を預けた格好で伯爵の想いに感じ入ったシモンは、尻からとろけてなくなってしまいそうになった。涙目で見つめるシモンを見て、荒く息をついた伯爵は、尻ごと全身を抱えて机の上に押し倒した。膝の裏に両手をすべりこませて、大きく開脚した青年の内に入り込み、奥深くまで突き入れる。書きかけの書類に脚がかかり、雪崩となって床に落ちた。「あぁっ」悩ましく身をよじったシモンは、胸や首筋への熱烈な愛撫を受けながら、伯爵の頭や背中をかき抱いていた。達しが近い。シモンはぎゅうと伯爵の体にすがりついたまま、痙攣する肉体を怖れるように首筋に顔をうずめて、声もなく射精した。きつく締め上げる肛肉の動きに、伯爵は低くうめいて放出した。はぁはぁと息をつき、見つめ合う。シモンは震える声で「ヴラド、もっと」と囁いた。
「シモン、実は君の顎を痛めたのはわたしが原因で」
「うん、私も途中で気がついたけど、でも……いいよ、お前の助けになるのなら」
何度でもしてあげるからと、甘い声で囁きながら、シモンは伯爵にキスをした。「書類仕事、お疲れさま」
伯爵は身悶えんばかりにてっぺんから燃え上がった。やさしいほほえみを向けてくれる青年を満足させるまで、何回でも、何十回でもがんばろう。その最中に、口内を癒すような熱烈なキスを交わして、美しい歯並びを舌のすみずみで堪能するのだ。そして彼のものを、わたしの口内でも味わいたい。自分が注ぎ込んだ以上に、彼に吐き出させるまで、懸命に、心を尽くして奉仕してあげよう。昨晩と同じく、痛みの原因を忘れるくらいに、愛を込めて――。
シモン、と叫びながら、伯爵はふたたび青年の身に覆い被さった。
翌日、軽々とした身のこなしで敵を倒し、冷静に状況を見極めて仲間の危機を救うシモンのことを、後進たちは惜しみなく称賛した。順調に進む一行は、壁の中からうまい肉を発見した。仲間のひとりが気遣うようにシモンを見る。
「顎が痛いって言ってたけど、大丈夫か? 別の部屋にベリークルーラーがあるから、それにしようか?」
心配はいらないというようにシモンは首を振った。「大丈夫だよ、どんな肉でも」
そしてシモンは伯爵のことを思い出した。机の下の狭い空間を、脚を広げたあの匂い立つ部分を、やわらかな内腿の感触を、顔を赤らめながら思い返した。
「……頬張れるよ」
その赤面の意味は誰にもわからなかった。
終
15/09/05(土)
ツイートで呟こうとしたネタがとんとんと膨らんだ話です。
歯フェチな伯爵様って良いですよね。