蝉と文鳥・11

 待ち合わせ場所はいつものところ。
 富士子パーラー前にて、ライドウはリンに「おかえりなさい」と微笑まれた。学帽の鍔で隠すようにして、ライドウも少しの笑みを向ける。

「いきなりだけど、ごめんなさいね。
 探偵さんにお願いがあるの」

「僕にできることなら」

「ありがとう。この子のことなんだけれど」

 リンは籐編みの籠を見せた。
 中に白い文鳥がいた。
 千代千代と鳴いた。

「あ」

「ね。鳴いてるの」

 ものを頼む視線、つまりリンの上目遣いを見て、ライドウは何を言わんとしているかがすぐにわかった。
 眼鏡の奥の瞳へ優しい微笑を返す。

「僕からもお願いがあります。その文鳥をこれからも大事にしてやってくださいませんか」

 リンの笑みが輝いた。

「ありがとう。なついてからは離れ難くなってしまって。聞いて、手にも乗るようになったの。本当よ」

「伽耶さんも喜ぶと思います」

「そう? そうかしら?」

「そうですとも」

 最後の言葉はライドウのものではない。小さな鐘の音が鳴ったと思ったら、富士子パーラーから伽耶が出てきたのだ。
 驚くふたりを後目に伽耶は籠の中の文鳥をのぞき込んだ。
 眦に細長い花びらが咲いているような微笑だった。

「リンと同じくらいに綺麗な声で鳴くのね」

 いつでも月のように静かなリンの頬に朱が差した。頬をかすめるように伽耶の指がリンの髪の毛をすく。

「大事にしてあげて。それと」

 眼鏡のつるを食むように、耳元に唇を寄せる。

「また、可愛い声を聞かせて頂戴」

 立ち尽くすライドウと耳まで真っ赤に染まったリンを残して、伽耶はコツコツと歩み去ってしまった。
 汗の吹く彼女を見てライドウは無遠慮にもこんなことを聞いた。

「伽耶さんは何を食べたの?」

「……ショートケーキ、よ」

「趣味が悪いな。ここは黒餡蜜がおいしいのに」

 伽耶の唇は苺と生クリームの匂いがした。らしい。

 千代千代。

 文鳥が鳴いた。


 飴色の光の満ちた所長室で、鳴海が金魚の柄の風鈴を飾っている。
 水色の短冊がすらりと伸びるのを見て、彼は窓を開け放った。

 窓硝子を開けた途端にゴウトがはばたき入ってきた。
 バランスの崩した風鈴を慌てて受け止める鳴海を無視して、彼は部屋の中の外套掛けに居住まいを正した。

「いきなり入ってくる奴があるかよ」

 まったくしょうのないという風に、鳴海はカラス一羽ぶんの間を開けて釘を打ち直し、再び風鈴をつり下げた。
 しばらく見ていても短冊はひらりともしない。
 風の止んだ正午だった。
 鳴海は風鈴を見上げながら、湯治から帰る間際になって気づいたことを口にした。

「一週間、誰にも世話を頼まなかったけどさぁ。身体、大丈夫だった?」

 ゴウトはむっとした様子でみどりの目を向けた。

『俺を誰だと思っている。心配をせずとも、帝都中のうまい木の実の在処くらい、完璧に知りつくしているわ』

「あーそー」

 やはり口先だけだったらしい。
 さして興味もないという風に、鳴海はゴウトのくちばしすっぱいはばたきを、髪の毛一筋動かさずに聞き流した。
 ふと、耳をすます。

 階段を昇る音が聞こえる。

 鳴海はそちらへ目をやり、頬笑んだ。
 足音が近づく。
 楽しさのわかる足取りだった。
 それが嬉しい。
 たぶん、お互いに。

 扉が開かれた。


 鍵はいらない。ここは籠ではない。


 鳴海は瞳に収めたいとしき鳥に、羽根包むようなやわらかな微笑みを向けた。


「おかえり、ライドウ」







 風が吹いた。
 風鈴の音が聞こえる。


 終
 07/09/02(日)