待ち合わせ場所はいつものところ。
富士子パーラー前にて、ライドウはリンに「おかえりなさい」と微笑まれた。学帽の鍔で隠すようにして、ライドウも少しの笑みを向ける。
「いきなりだけど、ごめんなさいね。
探偵さんにお願いがあるの」
「僕にできることなら」
「ありがとう。この子のことなんだけれど」
リンは籐編みの籠を見せた。
中に白い文鳥がいた。
千代千代と鳴いた。
「あ」
「ね。鳴いてるの」
ものを頼む視線、つまりリンの上目遣いを見て、ライドウは何を言わんとしているかがすぐにわかった。
眼鏡の奥の瞳へ優しい微笑を返す。
「僕からもお願いがあります。その文鳥をこれからも大事にしてやってくださいませんか」
リンの笑みが輝いた。
「ありがとう。なついてからは離れ難くなってしまって。聞いて、手にも乗るようになったの。本当よ」
「伽耶さんも喜ぶと思います」
「そう? そうかしら?」
「そうですとも」
最後の言葉はライドウのものではない。小さな鐘の音が鳴ったと思ったら、富士子パーラーから伽耶が出てきたのだ。
驚くふたりを後目に伽耶は籠の中の文鳥をのぞき込んだ。
眦に細長い花びらが咲いているような微笑だった。
「リンと同じくらいに綺麗な声で鳴くのね」
いつでも月のように静かなリンの頬に朱が差した。頬をかすめるように伽耶の指がリンの髪の毛をすく。
「大事にしてあげて。それと」
眼鏡のつるを食むように、耳元に唇を寄せる。
「また、可愛い声を聞かせて頂戴」
立ち尽くすライドウと耳まで真っ赤に染まったリンを残して、伽耶はコツコツと歩み去ってしまった。
汗の吹く彼女を見てライドウは無遠慮にもこんなことを聞いた。
「伽耶さんは何を食べたの?」
「……ショートケーキ、よ」
「趣味が悪いな。ここは黒餡蜜がおいしいのに」
伽耶の唇は苺と生クリームの匂いがした。らしい。
千代千代。
文鳥が鳴いた。
飴色の光の満ちた所長室で、鳴海が金魚の柄の風鈴を飾っている。
水色の短冊がすらりと伸びるのを見て、彼は窓を開け放った。
窓硝子を開けた途端にゴウトがはばたき入ってきた。
バランスの崩した風鈴を慌てて受け止める鳴海を無視して、彼は部屋の中の外套掛けに居住まいを正した。
「いきなり入ってくる奴があるかよ」
まったくしょうのないという風に、鳴海はカラス一羽ぶんの間を開けて釘を打ち直し、再び風鈴をつり下げた。
しばらく見ていても短冊はひらりともしない。
風の止んだ正午だった。
鳴海は風鈴を見上げながら、湯治から帰る間際になって気づいたことを口にした。
「一週間、誰にも世話を頼まなかったけどさぁ。身体、大丈夫だった?」
ゴウトはむっとした様子でみどりの目を向けた。
『俺を誰だと思っている。心配をせずとも、帝都中のうまい木の実の在処くらい、完璧に知りつくしているわ』
「あーそー」
やはり口先だけだったらしい。
さして興味もないという風に、鳴海はゴウトのくちばしすっぱいはばたきを、髪の毛一筋動かさずに聞き流した。
ふと、耳をすます。
階段を昇る音が聞こえる。
鳴海はそちらへ目をやり、頬笑んだ。
足音が近づく。
楽しさのわかる足取りだった。
それが嬉しい。
たぶん、お互いに。
扉が開かれた。
鍵はいらない。ここは籠ではない。
鳴海は瞳に収めたいとしき鳥に、羽根包むようなやわらかな微笑みを向けた。
「おかえり、ライドウ」
風が吹いた。
風鈴の音が聞こえる。
終
07/09/02(日)