10/5
ライドウ、元気でいるか?
俺は相変わらずだ。ここから、机の前から一歩も動けずにいる。いや、正確に言えば椅子の上から、だろうか。まったくどうしてこんなことになったのやら、万年筆をくるくる回してみても思い当たることが見つからない。
足がこんなことになっていなければ今頃はお前と一緒に富士子パーラーなり多原屋なりへ出かけてうまいものを食っていただろうに、現在の俺はといえば水しか飲めないのだから少し寂しい。それしか受け付けない状態を、お前は考えたことがあるか?
結構平気なもんなんだよ。
興味がないというのかな、木や花があれだけおとなしいのも世間や俗物に無関心だからだろうな。
だけど俺は悟りを得た坊主のような生活は早いとこ終わりにしたいよ。即身仏になりたいわけでもないのに、どうして太陽の光と水と二酸化炭素だけで生きていかなきゃならないのか。
上半身だけは自由だからこうして手紙を書くこともできるわけだが、まぁとにかく暇なんだ。早いとこ原因を見つけて帰ってきてくれよな。足が木になるなんて奇病だか呪いだか災いだか、そんなことは俺には見当もつかんのだが、お前が奔走している間、他に誰も話し相手が見つからないのがえらく堪える。
今回はこれくらいの愚痴に止めておくが、ま、お前も無理をしないようにな。身体には気をつけろよ。それじゃ、また。
10/6
ライドウ、お前、行く前にこっそりと俺の銃から弾を抜いていきやがったな。行動はお見通しってわけか、小憎たらしいガキだ。
そうだよ、一日で耐えきれなくなった俺は引き出しから銃を手にとって引き金を引いた。こめかみにぶち当たるはずだった弾が出てこないんだから、いや、よくよく触った感じでわかったんだが、弾のぶん軽くなってて、くそ、お前の仕業かと銃を床に叩きつけた。お前まで俺の自由を奪いやがって、帰ってきたらどうするか覚えてろよ。二、三発ぶん殴って床の上で──いや、反撃されるだろうからやめとく。
なぁ、早く帰ってきてくれ。
原因が見つからないならせめて顔だけでもこの事務所へ出してくれ。
俺のそばにいてくれ。
日がな一日、客のこないドアを見続けるのは退屈を通り越して拷問なんだ。聞こえるのは鳥の鳴き声と車の音と町の外のざわめき、あとは風くらいだ。秋の虫も鳴いてるけどな、こんな状態じゃ決して風雅なもんでもなんでもない。それが世界と接触できている唯一の情報なんだ。耳まで木になったら俺はいよいよ恐ろしいことになりそうで考えたくもない。いや、今だって充分恐ろしい目に遭っているんだが。
せめてゴウトと話ができたらな。
あいつ、手紙を受け取ったらさっさと窓から出ていきやがる。カァとも鳴きやがらねぇ。お前と似て無口で面白味のない奴なんだなと(いや、面白くないのを通り越して冷たささえ感じる)そう思った。
とにかくこのままじゃあ死にはしないが頭がおかしくなりそうで怖い。
早く帰ってこい。
お前と話せば少しは気が楽になるかもしれない。
10/10
毎日毎日返事をよこすのはいいが、俺が見たいと思うのは便せんじゃなくてお前の顔だ。早く帰ってこいというのに付け足して手紙は書くなとメモするべきだった。
今、海の上だって?
どこまで行ってるんだよお前は。そこまでして行く場所に原因なんてあるのか。もうこの奇病を解決しなくてもいいから、早く帰ってきてくれ。そしてお前を抱きしめさせてくれ。こんなナリでも口づけくらいはできるんだ。今は少しでも人と触れていたいんだよ、わかるかこの気持ち。寂しさ。
今日気づいたんだが、お前、事務所の扉にも細工をしただろう。まじないというのか、人を近づけさせない結界みたいなのを張ったのか?
タヱちゃんらしき人影が見えたんだよ。足音も燐として明らかに目的があって来たって様子だったのに、ドアの前まで来たら呆けたように立ちすくんで、そのまま回れ右して帰っちまった。大家さんらしき人も足音荒立たしく事務所前まで来て、同じくくるりと帰っていった。家賃取り立てを忘れるほどの強力なまじないらしいな。
俺のこういう姿を他人に見られるのはまずいと、これはヤタガラスの命令か? それともお前独自の判断か?
どっちにしろ俺はお前を簡単には許せそうもない。
帰ってこい、だけど「おかえり」なんて優しい言葉を期待するなよ。
10/15
水だけは本当に、目覚めるたびに水差しいっぱいに備蓄されてるな。
これもお前がやったんだろうな。悪魔を従えるくらいなんだから、精霊だか妖精だかに水を絶やすなと命令するのも簡単なことなんだろう。だけどな、こんなまじないをする必要はないんだよ。すべてお前が帰ってきたら事足りる状況なんだ。
なんで帰ってこないんだ?
手紙の返事なんかいらないと毎度、紙の端に書いてあるだろう。
読めないのか?
俺のことを気遣う文章を書く前に、俺に謝る前に、俺の目の前に顔を出せ。そうしたら大体のことは許してやるから。
ライドウ、俺はいつまで耐えられるだろう。
動かない、根がびっしりと生えた足を見るたびに死にたくなってくる。怖いんだよ。怖いんだ。ついさっきなんてゴウトをレターナイフで切りつけようとした。あっさりとかわされたがな、俺は今、無性に誰かを傷つけたくて仕方がない気分なんだ。
お前が帰ってきてもそうなんだろうか。
それともそんな気持ちはきれいさっぱり消えてしまうのだろうか。
それをわかりたい。確認したい。
あぁ、帰ってきてくれ。
自由な耳にお前の銀の鈴のような声を聞かせてくれ。手紙を書くだけの手に、水を飲むためだけの口に、お前のあたたかい感触を思い出させてくれ。
返事はいい。今度こそ姿を見せろ。
舌を噛み切ろうにもできない、これもお前のまじないなのだろうか?
人を殺さないためのまじないを使えるなんて、お前はたいした悪魔召喚師なんだな。
お前の舌を噛みちぎってやりたい。
10/21
ライドウ、今日はゴウト以外の客人が来た。窓から入ってきたから人じゃあないがな。可愛いツバメだ。お前みたいに綺麗な黒い背をして、のびやかに部屋じゅうを飛んだ。虫を食ってるくせに格好はスマートだ。
今、俺の手に止まった。書きかけの手紙をついばむようにのぞきこんでいる。あ、飛んでいってしまった。
あぁそうとも、お前の手紙にあるとおり、なぜかどんどん気分が落ち着いてきている。心まで木になってしまったようだ。そんなわけがあるかと思いたいが、無理矢理怒ろうにも心はそんな気分にならない。ある朝目覚めたら突然に、だ。波紋ひとつない湖のようだ。心は平静でいて、それが当たり前のようにも感じている。
俺はどうなるのだろう。
そんなことを考えるよりも前に、お前の文字の可愛らしさについつい微笑んでしまう。丸っこくて狭まった間隔の、相変わらずの字だな。性格を表してるよ。習字でも習わせたいと、手紙がくるたびにそう思う。
今日は風が気持ちいい。日差しも穏やかだ。空気が爽やかなのは俺が光合成を行っているからだろうか?
上半身で二酸化炭素を吐き出して、下半身でそれを呼吸する。そして酸素を作る。便利というか、奇妙な循環だな。俺ひとりがこういう状態でなければ、他の人も皆こうなら、世界はもっと穏やかに、平和に朝を迎えることができるだろうな。
現に、俺は何事もなく、朝とともに起きて、夜とともに美しい夢を見る。ここではない夏のような眩しい世界を魂のみで自由に漂っている、実に開放的な夢だ。お前にも見せてやりたい。
そうだ、詳しいことは書かれていないが、ライドウはまだ歩いていられるんだよな。飽きもせずに原因とやらを探し回っているのか?
身体には気をつけろよ。あまり無理はするな。
俺がこうなった今、いや本当はずっと前から、お前だけの人生を生きてもよかったのだから、そこそこにして葛葉の連中に報告しておけ。新しい所長ともうまくやれることを願っている。
――
あれから何日経ったのか、よく覚えていないが、お前からの手紙はきちんと受け取っている。
返事を出さなければいずれ忘れるだろう、諦めるだろうと思っていたのに、不満顔のゴウトを使いに出すことをお前は決してやめようとはしない。
いつだったかは深く考えすぎたのか、新しい便せんと封筒、それに万年筆をゴウトの身体に結わえつけてきたことがあったな。よたよたと飛んできたゴウトを見て俺は苦笑したよ。別に紙やインクが無くなったから手紙を出さなくなったわけじゃないんだ。
お前の文字の震えからお前が今すごく怯えていることがわかる。問題を解決するまで帰ってくるわけにはいかないと書かれてあったが、そういうわけではないだろう。
お前はもうすでに別の所長と暮らしているはずだ。俺に会うことも、本当は手紙を出すことも禁じられているのだろう。
誰になんて今ここで書くことじゃない。
いいか、これっきりで手紙を出すのをやめろ。元所長からの命令だ。俺はそれなりに、いや、これ以上はないほどに平和に暮らしている。お前からの刺激がなくとも満ち足りている。お前は新しい生活になじむんだ。それがお互いにとって幸せなことだ。
懐かしい夜を思い出さないわけじゃないが、いかんせんこの身体ではどうしようもない。なにより、心がお前を求めていない。どうしたって、たとえお前が俺の目の前に現れても、今は抱擁する気にもなれないだろう。
俺はほぼ、一本の木になりつつある。
お前は帝都を守護する役目がある。そんなものは捨てろと言ったこともあったが、今はそれさえもどうでもいい。
正直、手紙を書くのもおっくうなのだ。
お前が、帝都がどうなろうとも、木になった俺にとってはすべてどうでもいいことだ。興味のないことなんだ。
だからこれが最後の手紙だ。
もうお前から手紙がきても受け取ることはない。封を開けることもない。俺は瞳を閉じて、風と光を感じて、安らかな時を過ごしていく。
さようなら、ライドウ。
人間らしい感情で言うなら、お前に幸多からんことを。
つまり、幸せにな。
幸せに生きてくれ。
じゃあな。
――――――
さて、どこから書こうか。
目が覚めると部屋はひざ小僧までくる手紙の山、身体を動かすと服はぼろぼろに風化して塵になった。
足は動いた。
心地よい木の足が人間のそれに戻ってしまったのだ。
とりあえず、人間だったころの習慣から手近なものに記録して状況を把握しておこうかと思う。
机の上にはものすごい量の埃のほかに、黄ばんだ便せんがあった。万年筆のインクもあった。
だからこうして今、お前に手紙を書いていた頃のことを思い出して、机に向かっている。
それにしても、ずいぶんと時間が経ってしまったんだな。
埃を払った時に正の字が見えた。
俺がまだ外の世界に興味が残っていた頃、日付の代わりにつけていた印だ。日の出とともに正の棒を一画ずつ机に刻みこんでいった。
木として眠っていたのに、どこかしらにまだ人間としての習慣というか、心残りがあったのだろう。なにせ起きた時に手に持っていたのが錆びついたレターナイフだったのだ。それには木の破片のようなものが埃と一緒に汚らしくついていた。
ざっと机の上の埃を払ってみたら、おびただしい数の正の字が現れた。
数えてみたよ。時間がかかったし、途中で嫌になったけれど、なんとなく責任というものを感じて集中してみた。
20000。二万だ。俺が木になってから二万日経ったのだ。よくもまあ、飽きずに、習慣としてナイフを動かしていたものだ。
書かなきゃいけないことは他にもあるが、この数字を見たら大体どんなことが起こったのか、お前ならわかるだろう。火事や地震もあったろう。もしかしたら戦争のひとつやふたつも。
なのにここだけは、何かに守られていたかのように、まったく様変わりしていない。ずっと以前のままなんだ。外は一体どんな風になっているのだろう。
お前が俺の足を元に戻したのには間違いがないのだろうけれど。
しかし、この手は誰の手だ。
ペンを持つこの手は本当に俺の手なのだろうか。
二万日ねぇ。
まぁいいさ、今度は俺がこの手紙を出しに行こう。
足が動くのだから、できないことなんて何もない。手紙を渡すことなんて簡単だ。太陽だって変わりはない、風も吹いている。
だから今日はこのへんでペンを置くよ。もし俺が準備を整えて出かけるまでの間、お前がここへ帰ってくるのであれば、俺はためらいもせずにこう言おうと思う。
「おかえり、ライドウ」
ってな。
終
06/09/05(火)