異界にて

 三日月の夜、古の時代に偉容を現した悪魔城の一室にて、城主である伝説の吸血鬼が、あらゆる事象を映し出す水盤の前に立っていた。
 ゆらめく水面に映るのは本に記録されたこの時代とはまた違う、位相の異なる別世界の光景だった。

 鬱蒼とした森の中、ひとりの青年が一条の鞭を手になにものかと戦っていた。まんまるい体をした中型のコウモリだ。不規則にはばたき、青年の頭上を舞う。次の瞬間、青年は体当たりから噛みつきに転じる単純な攻撃をその身に受けた。伯爵の眉がいぶかしげに持ち上がった。彼は苦鳴を上げたあと、鞭を振り抜いて、コウモリを討ち払った。めまいをこらえるように眉間に手をあてて、頭を振る。青年は無人の城へと足を向けた。唯一の休息の場である苔むした城へ。

 伯爵は水盤から顔を上げた。事前に得た情報によると息子や青年の旧友もあの世界へ喚び出されたらしい。そして、自身とは性質がまったく異なる、はるか遠い時代の悪魔城の城主も。
 竜公は水盤の間から離れ、カーテンで仕切られた小部屋に向かった。しばらくして、厚い布地にも隠せぬほどの、秘めやかな、生々しい音があたりに響いた。燭台の炎がゆらめく。カーテンが開いて、竜公は足音も静かに部屋をあとにした。

 紫色の月が輝いている。空も地面も同じ色に染まり、荒れた大地には乾いた風が吹いていた。さびれた城の入り口に腰掛けて、生気のない面持ちで門前を見つめていた青年シモンは、かすかな足音を近くに聞いて、はっとした表情でそちらを振り返った。長身痩躯の貴やかな佇まい、黒の長衣を極めた気品ある物腰と、底に秘めた静かな気迫――同じ時代に相対した伝説の竜公だった。シモンは悲しいような動揺したような様子で表情を強ばらせたが、やがて旧友に向ける穏やかなまなざしで伯爵に笑いかけた。「やはり、来たか」

 お前なら来ると思っていたと、シモンは仕方ないように立ち上がった。伯爵は静かに歩み寄り、青年の頬へ手を伸ばした。
 シモンは一歩あとずさり、「どうしたんだ、退屈をしているのか?」とぎこちない笑みを浮かべた。伯爵はさらに歩み寄った。同じように、シモンもあとじさった。あたりを散歩するような足取りに変えようとして、それができずにいる様子だった。
 悪い予感が当たった――伯爵は胸のむかつきを抑えるように眉をねじませて、瞬間移動を用いて青年の目の前に立った。
 驚く隙を与えない早さで青年の胸元をはだけると、そこにはふたつのうじゃじゃけた小さな穴があった。
 シモンは伯爵の腕を強引にはねのけた。痛みを与えるような勢いで、汚らわしいといった思いで。荒い息をつき、やがて、どうしようもないという沈鬱なため息をこぼして、片手で顔を覆った。「嫌悪感を抑えられぬ」
 肌を触られるのも、顔を見るのも厭わしいとシモンは告げた。「今のお前がしたことではないのに、肌に触れられたとたん、あの魂をも犯される感覚を思い出して――許してくれ」
 伯爵はすいと顎で木蔭を示した。シモンは片手を下ろし、しばらく黙ったあと、そちらへ足を向けた。

 風が吹いて、もみの梢を寒々しく揺らした。
 外套で相手の体を包もうとする伯爵に対して、シモンは首を振った。「寒さを感じなくなった」聞こえないように、伯爵はシモンの体を外套で包んだ。
 青年は両膝を抱えて俯いた。肩を抱く手はとてもやわらかい。自身の体に穴を穿ったものと同じ存在とはとても思えなかった。なぜ自分の肌はこんなにも冷たくなってしまったのだろう。ここでの戦いを思い返すように、シモンはぽつぽつと話し始めた。

「見切れるはずの攻撃なのに、どんなものの攻撃でも、それが発動されたら、誰も決して避けられぬのだ」

 ここでの戦いは元の世界とあまりに違うとシモンは話した。
 攻撃の手はずもひとつひとつを順繰りに選んで決めねばならぬ、それもうまくいくかどうかは運次第のようなもので、己の意思の力で相手に攻撃を仕掛けねばならぬ。その意思の力が具現化したとき、それはあらかじめ定められた未来としてこの世に働く。相手は決してその攻撃を避けられぬのだ。決定事項として目の前に現れ、対峙したもの同士は、どの相手の攻撃も必ず一度はその身に受ける。
 お前も知っているだろうが、攻撃を避けられぬ狩人など狩人としてまともに戦えぬ。元の世界ならお前のもとへもたどり着けない。
 必殺の一撃とも呼べる攻撃で倒されて、私はあいつの牙を受けた。抵抗できない体に穴を穿たれるあの屈辱は筆舌につくしがたく……。
 餌食としたものを完全に服従させるため、あいつは今夜もここへ来るのだろう。
 いつものように一撃で昏倒させられたあと、嬲るようにこの穴から生気を吸われるのだ。どこまで正気を保てるのかわからないが、なんとかあらがう術を見つけなくては……。

 伯爵は青年の話を黙って聞いていた。なにも言葉を発しなかった。
 山陰の霧を眺めるような横顔で遠くを見つめている。
 シモンはその沈黙を受けて膝小僧を握りしめた。なにを話しても相づちひとつ打たず、慰めることもしない無関心な様子を見て、次第に顎を噛みしめるようになった。冷たい肌、色の悪くなった肌。やがて絞り出すような声で「やはり、私が汚らわしく見えるか」と伯爵にきつく言いつのった。

 苦痛ばかりではなく、強烈な快感を感じるのも事実なのだ。股間を固くして血を吸われる自分のことを未来のお前は決まって薄く微笑みながらなじり続ける。そして仕方ないように膝を曲げて、衣服の上から乱暴に性器を弄るのだ。それだけで私は簡単に果てて――

「口をきくのも厭わしいのだろう、弄ばれる私を蔑んでいるのだろう。なぜここへ来た、未来の自分とともに私をあざ笑おうというのか」

 外套を払いのけて立ち上がるシモンから目を離さずに、伯爵はゆっくりと腰を上げた。動作も優雅に、慌てることなく。そして懐をさぐったあと、両腕を青年の首筋にまわした。びくついたが、そのあまりの誠実な動きに、シモンはなすがままに立ち尽くしていた。やがて細く長い指先は青年の首筋から静かに離れた。首にはかつての世界で自分が身につけていた、狼の牙で作られたネックレスがかけられていた。
 なにが起こったのか確かめようと、ネックレスを手にとって改めたとき、シモンははっとした。顔を上げる頃には伯爵の姿は遠くにあった。手を伸ばし、言葉なく呼び止めるも、伯爵は霧の中に消えていった。

 無人の城の門前に、無数のコウモリが集まった。
 黒いかたまりになったあと、それは人の姿をとった。
 猫の耳のように立てた長く白い、豊かな前髪、豪奢な外套、気品ある物腰――ドラキュラ伯爵だ。遊びは今宵かぎりで終わりにしようと、宿敵のひそむ無人の城へと赴いたのだった。
 ふたたびコウモリに変身して門を越えようとしたとき、重々しい音を響かせて、内側から門が開いた。ほう、と伯爵は興味深いように眉を上げた。観念してのことか、それともなにか打開策を講じたのか、堂々と目の前に現れたシモンに対して、伯爵は薄い笑みを向けた。精査するように気を向けるも、青年の力は今までと変わりなく感じられた。笑みが嘲るものに変わる。
 シモンははっきりとこう告げた。「さあ来い。何度でも滅ぼしてやる」

 くだらぬ、とひと言呟き、伯爵はいつもと同じように、必殺の一撃をシモンに放った。時間をかけるつもりはない。昏倒したところをいつものように嬲ってやろう――空と同じような紫色の光がシモンの身に迫り、そしてそれは弾けて消えた。伯爵は驚愕の体で目を見開いた。青年の目の前に巨大な盾があった。その力の繋がりは青年が首にかけているネックレスから感じられた。
 狼の牙に見えるあれは――あれは古の吸血鬼の体の一部だ。自身のあばら骨が盾と変じて狩人を守ったあの力と同等のものを感じられる。微細だが必要充分かつ、効果的な力を。もしも古の吸血鬼自身が助勢に加わっていたら用心をして決して近づかなかったであろう確かな力が、今、目の前に現れている。
 鞭に祈りを捧げ、銀色に輝く鉄球付きの聖鞭へと威力を増した必殺の一撃を、シモンは強大なる力をもつ吸血鬼へと振りかぶった。

 霧深い森のなか、シモンは伯爵の姿を探していた。
 名前を呼ぼうとしたそのときに、背の高い影が遠くに見えた。木蔭から姿を現した彼に向かい、シモンはネックレスを外しながら、足早に駆け寄った。「ヴラド」
 伯爵は手を伸ばした。玄妙なる力が働き、ネックレスから二本の牙だけを自身のもとへ引き寄せた。シモンは足をとめて、背中を向けた。彼の姿を決して見ないように瞳をとじる。秘めやかな音が聞こえた。やがて青年の背中に声がかけられた。「シモン」
 振り向くと、美しく牙の生えそろった伯爵が狩人を見つめていた。穏やかかつ、友好的なまなざしで。

「ようやくまともに話ができるな」

 ふたりは抱き合った。首筋に顔が埋まっても嫌悪ひとつ感じない相手へとシモンは心からの礼を告げた。

「ありがとう、ヴラド。私のために」

「なんのことはない」伯爵は瞳をとじて、頬をすり寄せた。青年の体はあたたかかった。

 幾分乾いた木蔭の下で、ふたりは膝を揃えて座っていた。
 青年に改めて首筋を見せてもらうと、牙の痕は完全に消え失せていた。伯爵を討ち果たしたシモンはその呪縛から無事に解き放たれたのだ。

「勝てるだろうと信じていた」

 伯爵の言葉に、シモンは照れくさいように胸元を閉じて「負けられるはずがない」とひと言告げた。
 伯爵は青年の金色の髪を梳き、頬に口づけた。角度を変えてついばむように何度もキスをすると、シモンの喉から切ない息がこぼれた。甘い吐息は嘘だというように、慌てて顔を逸らす青年の耳へ追いすがるように唇を寄せる。熱があった。
「ヴラド、こんなところで」

 なにを言うと、伯爵はシモンを押し倒した。「こんな扇情的な格好をして」
 革でできた軽鎧と腿をむきだしにした短いズボン、そしてブーツ。いつもの格好だが、異なる世界ごとに少々趣の違う衣装に身を包む青年の姿は、今回、伯爵の目には大変な色気が宿って見えた。
「これは戦装束だぞ」と抵抗を示す青年を無視して、伯爵は鮮やかな手つきでズボンを脱がした。草摺と呼ぶにはあまりに薄い長い布だけを残して、下半身があらわになる。シモンは頬を染めて「待て、水浴びもしていないんだ」と最後の抵抗を見せた。弱々しい手を払いのけて、伯爵は毅然とした声でこう言った。「かまわぬ」

 だいいち、あんな話を聞いてこのまま黙って帰ると思うのかと、伯爵は青年の脚を開かせた。前垂れをめくり、その立派な一物を口に含む。シモンの背がのけぞった。服の上から乱暴にこすられたのとはあまりに違う、愛のこもった口淫を受けて、いくらもしないうちに、シモンは涙を流して達していた。
 厚い胸が上下する。愛撫の名残か、甘く痙攣する青年を見下ろして、伯爵はさらに昂ぶった。力なく脚を開いたその姿がいとおしい。もっともっと気持ちよくしてやりたい。伯爵の目に前垂れが映った。彼はそれを手にとり、青年の口元へ近づけた。なにを、と尋ねるシモンの声がくぐもった。前垂れをくわえさせられたのだ。伯爵は興奮しきった表情で「君の知り合いが近くにいるともかぎらない」と囁いた。声を抑えろということだろう。『そんなはずは』と視線で訴えたが、シモンは黙って前垂れを噛みしめた。きゅっと引き結ぶ唇がかわいらしい。伯爵はその素直さに息を荒くして感じ入った。

「いい子だ」囁きひとつにも繊細な反応を返して、シモンは伯爵の愛撫に身を委ねた。腕や腿をさすられ、勢いの衰えない男根に舌が這う。シモンは頬を染めて、ひとつひとつの愛撫にびくつき、声を殺しながら、涙を浮かべた。時おり地面をこする自身の足音にまで淫靡な快感を感じてしまう。ん、ん、と喉の奥にこもらせる喘ぎ声がひどく熱く耳に響いた。
 やがて伯爵が奥に分け入ってきた。久しぶりの圧迫感に涙があとからあとからこぼれ出た。
「シモン」頬の涙を舐め取られる。「シモン」こめかみや、鼻筋にキスを。
 ――なつかしい、この情熱的な息づかい。シモンは自身に覆い被さる彼の姿を潤んだ瞳でじぃと見つめた。
 楽しそうに、嬉しそうに、夢中で身を揺らす伯爵のことがいとおしくて仕方ない。
 あぁ、かわいい。なんてかわいい男なのだろう。
 シモンは前垂れを噛む力をほんの少しやわらげた。そして、最初のうちは悦楽のままに動いていた体から、少しの嫉妬がその揺らぎに表れたのを感じ取った。
 深く顔を埋めて、首筋に――あの穴のあいた部位に口づける仕草からも、いたわりと憤りが同時に伝わってきた。
 前垂れが邪魔に思えて、シモンは顎の力を抜いた。伯爵の顔を抱き寄せて、口づけをする。甘やかな舌で牙をなぞり、息を深く絡ませた。「お前になら、いいよ」

「しない。決してしない。それだけは」

 もう二度と言うなと、竜公は、シモンの体を強く抱きしめた。
 シモンは藻のように広がる木々と紫色の空を遠く見つめた。首筋に受けたキスをきっかけにして、シモンは果てた。内からぎゅうと伯爵のものを締めつける。シモンは慌てて離れようとする彼の体をきつく抱いた。「このまま、中に」
 伯爵は言うとおりにした。

 数日後。
 思わぬところで風魔と再会したシモンは、その日のことを懐かしく話していた。

「お守りにくれたんだ」

 シモンは左手にはめた指輪を見せた。「自分の力を宿す指輪を身につけていたら、あいつは警戒して姿を現さないだろうからって」
 君が無事に使命を終えて、一日も早くわたしのもとへ戻ってこられるように――そう告げて、伯爵は元の世界へと帰っていった。
 風魔はたき火に枝葉を投げ入れながら「抱き合って、それで別れたのか?」とシモンに尋ねた。

「そう、だが」

 ふうんと言って、風魔は干し肉をかじった。

「ではあの日、森の中で聞いた声はお前たちのものではないのだな。あのふたりはあの後もずいぶんと深く睦み合っていたようだが」

 似た声もあるものだと風魔は呟いた。シモンは細かな汗を噴いて、火に当てられたのではない赤みを頬に宿した。伯爵の言ったように、やはり森の中には知り合いがいたのだ。

「アルカードは」

 話を変えようと、シモンは懐中時計を直しに道具屋まで赴いているもうひとりの仲間のことを慌てて尋ねた。
「もうすぐだ。もうすぐ、帰ってくる」風魔は風の音に混じる足音を精査するように瞳をとじた。しかし、その表情は難しいように眉をしかめるものに変わった。「もうひとりいるな。あまり嬉しくないのが」

 お守りとして渡された指輪は逆にシモンの存在をいつでも探知できる品として効力を発揮してしまったのだ。おそらく古の城主はこうなることを知らずに青年に渡してしまったのだろう。風魔は波動剣の柄に手をかけた。盾とまではいかぬものの、その指輪のなんらかの加護が働くことを信じて、風魔は干し肉の最後のひとかけを飲み込んだ。
 なんのことだと尋ねるシモンに対して、答えはすぐに現れた。アルカードのすぐそばに、伯爵が並んで歩いてきたのだ。

「ドラキュラ」

 立ち上がり、鞭をかまえるシモンに対して、アルカードは頭が痛いようにこめかみを押さえた。
 父親が仲間になったことをどう伝えようか、それも仲間になりたそうにこちらをじっと見つめていたことを、いかに口止めされた状態で皆に納得させればいいのか、悩みぶかい表情でその貴やかな唇を開くのだった。

 終
 13/10/25(金)

 オレカバトルとは若干設定が異なっております。ほんとうに好きなように書かせて頂きました。
 シモンさんが「俺」でなく「私」とか、性格の違いとか……。
 (オレカのシモンさんは台詞が理想とは違いましたが、ビジュアルやアニメーションが大変格好良くてかわいくてエロいので大好きです)
 (漫画版のオレカシモンさんはひたすら愛でたいくらいにかわいいです)
 月下伯爵様と一対一で戦ってもこのシステムじゃ(ガチ避けできないんじゃ)勝てないでしょう……と思ったので、初期伯爵様のお力を借りて、今回、話の中だけでも勝たせて頂きました。
 このあと、結局、月下伯爵様を含めてパーティを組むことになるのだろうなと思います。
 またなにかあったら古の城主様が助けに来るのだろうなとも。
 あぁ、オレカシモンさんにいやらしいことができて満足です。