忘れじの詩(うた)・31

 幾たびもの季節を繰り返し、今年も新雪の積もる冬が訪れた。
 道も足も雪に埋まる安寧の時期に外出するものは、風によって凍る前に、やわらかい新雪を目的地まで踏み抜いてゆかねばならない。
 体力をつけるのに丁度いいと、孫を連れだし、シモンは自分のそばを離れぬよう、ジュストの雪のように白い頭へときおり手を添えるようにして、ともに雪道を歩いていた。まだ背の小さい孫は雪に足を取られて一歩一歩が大変そうだ。そんな孫が腰まですっぽり雪に埋まるたびに、シモンはその脇の下に手を差し入れ、かるく引き抜いた。痛みのない、この力強い感覚に、孫のジュストは不思議な敬慕の念を抱いていた。祖父の横を歩いて、頭に手を添えられたり、たまに手を引かれるのが嬉しくてしょうがなかった。

 シモンは孫の手をとりながら、この子の性格について思いを馳せた。
 ジュストは両親や自分の言うことをよく聞く子だ。このままいけば素直な性格に育つことだろう。人に翻弄されるきらいもあるが、早いうちに字に親しみ、魔術書のたぐいにも興味を示すような賢い子だから心配はいらない。
 友達も頼りになる性格だから、面倒ごとに巻き込まれても、ふたりで乗り越えていってくれるだろう。

 ふたりで。

 胸がしんと痛むような響きだった。
 手に握るアネモネの花は、青みがかった白で、木立の下に積もる雪と似た色をしていた。

 祖父と孫は森を抜けて、ひとつの墓が立つ湖のほとりに足を運んだ。
 湖は凍り、墓は雪に埋もれ、息のつまる静寂に満ちていた。

 シモンは墓前にひざまずき、墓石に積もった雪を払いのけ、あたりをきれいにするよう雪を掻いた。
 ジュストも見よう見まねで祖父を手伝い、その小さな手をかじかませた。
 用意が終わると、シモンは花を手向け、祈りを捧げた。
 同じように、ジュストも祈った。

 毎年毎年、誰の墓を見舞っているのか、今日一緒に行けば教えてくれる約束だった。字の読めるジュストには教わる必要もないことに思えたが、墓碑名を見つめると、なぜこのような行為をするのかがわからなかった。それを教えるために自分をここまで連れてきたのだろう。賢いジュストはそう思って、祖父が祈りを終えるのを待った。

 やがて、祖父は祈りの手を解いた。
 目をあけて、墓碑名を指でなぞり、「ここには、私の友が眠っている」と孫に伝えた。

「150年先も文明の途絶えない未来を知っていながら、決して自身の存在を否定しなかった――強い男だ」

「詩のお話ですね」

 眠る前によくおとぎ話の代わりとして、詩を暗唱してくれたものだった。
 どこの誰の詩かと尋ねたら、150年先に生まれる詩人の詩だと祖父は語った。
 竜公の城での戦いの途中、本に飛びかかられた内容がそれだったと――しかしなぜ、その詩が未来の記録であるのか、聞いても答えてはくれなかった。
 誰かが教えた――いったい誰が?

「詩を諳じるのが誰よりも上手かった。一度聞いたきりだが、私は強くそう思う。遠い日の出来事で、私も随分と年を取ったが、今でもはっきりと、あの美しい声を思い出せるよ」

 おとぎ話の一種なのだ。
 正しく、まっすぐに育てば、世界を破滅させるほどの力をもった男とも友達になれるよと、そんな教訓めいた、夢のような話を聞かせて、祖父は自分を教育してくれているのだ。
 賢いジュストはそう思った。

「さぁ、足跡をたどって先に橋まで戻りなさい。お前の足なら、あとからでもすぐに追いつける」

 そんなふうにはならないという決意をこめて、ジュストはむっと口を引き結び、言われたとおりに足跡をたどった。自分では早足のつもりで、もたもたと。
 後ろ姿をほほえましく見つめたあと、シモンは墓前を振り返った。

 DRACULA

 150年先の未来――復活を果たしたあとも、混沌と邪悪の象徴である自身の存在は、決して人の世を――文明を潰えさせない。その事実を、彼は未来の書物によって知っていた。
 知っていながら、彼はひとりの青年のために詩を諳んじた。
 かつての青年は公がいつか目にするだろう遠い未来と、その日の彼のことを思い、空を見つめて、涙を流した。
 ともに肩を並べて光を透かしたまなざしは、彼の墓碑銘を前にして、忘れじのうたを映し見る。
 なにを為すか、どう動くか、遠い地に在る竜公の声を胸に抱きながら、この最も高名なる吸血鬼狩人は、これから先も答えの出ない正道を歩み続けていくのだろう。
 それでも、生きているかぎり、何度でも。

「また来るよ、ヴラド」

 どんな呪いにも負けなかった狩人のその目は、旧友の安らぎを心から祈る、深い優しさに満ちていた。

 終
 12/06/24(日)