こころゆくまで愛し合ったあと、伯爵は隣に横たわる青年の金色の髪を梳きながら、こんなことを尋ねた。戦いの最中に覚えたあるひとつの気がかりだ。
「どうもこの頃、聖鞭の威力が弱まっているように思えるのだが」
あぁ、やはり気づいていたかと、シモンは瞳をとじた。枕に顔をうずめて、沈んだ声でぽつぽつと呟く。
「……力の伝達がうまくいかないんだ。数日前から、だんだんと聖鞭が手になじまないようになってきた。強烈な念ではないが、どこか冷たい意思を感じる。まるで鞭自身から拒まれているような気がして、少し――いや、かなり焦りを覚えてしまってな。威力が衰えたように感じるのは、鞭と使い手のあいだに隔たりが生じたためだろう。鞭自体は聖なる力を失ってはいない。問題は私のほうにある」
「君自身に問題など」
「あるとも。性交に耽る私を見てお前はなにも思わないか。はしたなく乱れる私の姿を、鞭はいったいどう捉えているのだろう」
伯爵は静かに口をつぐんだ。先ほどまでの行為をすべて思い出しながら、彼はこう尋ねた。
「聖性が失われたと、そう思うのか」言いながら、彼は傲慢に鼻で笑った。
「人の倫理とはなんと愚かしいものなのか――わたしと君はただ愛し合っているだけなのに、それが原因で聖鞭から拒まれたと、君はそう言いたいのか」
シモンはなにも答えなかった。無言のまま、自分の意見を述べていた。
伯爵は腹の底に重苦しいものを感じながら、なにかを必死に留めようと言葉を強めた。「では、君は――わたしから離れようとするつもりなのか」
「そこまでは言っていない。ただ、しばらくこの関係を控えたほうがいいのではと」
言ってから、シモンは羞恥に頬が染まった。
しばらく? いつまでだ。限りのある禁欲に効果があるとでも?
ところが、返ってきたのは侮蔑の言葉ではなく、他の意味を含まない、純粋な賛同の意見だった。伯爵は顎に軽く手を添えて、ふむと呟いた。
「試してみる価値はあるかもな。先ほども言ったように、人の倫理とは愚かしいものだ。ひとたび君が禁欲生活に入れば鞭もすぐに考えを改めるかもしれぬ。逸脱した肉欲も持っていない君への拒絶反応など簡単に消え失せてしまうに違いない。そうとも、禁欲は聖性を取り戻すにはふさわしい行いだ。シモン、応援するぞ。一度くらいならやってみるといい」
いや、その、と口を挟もうとしたが、聞き入れられることはなかった。
とまどっているシモンを放っておいて、伯爵は着々と準備を進めていた。
魔王と狩人ではやはり倫理観が異なるらしい。
あれこれとすさまじいスピードで物事を考えたあと、伯爵は物品取り寄せの術で虚空からなにかを取り出した。金色に光るネックレスだった。
「これは?」
「何度も情を交わした体だ。一度魔王の精を受けた肉体はそう簡単には快楽を忘れることなどできはしない。肉欲の虜とならない君の強靱な精神力にはいつも感心しているよ。普通の人間だったらとうに色欲に狂って――あぁ、これだったな。これは白沢(はくたく)と獏と淫魔の涙を錬成したものだ。どことなく神秘性と猥雑さが混じり合った色をしているだろう? これを身につけて眠れば、夢の中で余計な精を解放してくれる。日常生活に支障を来すような強烈な欲望を睡眠中に処理してくれるのだ。いくら君が常人とは比較にならない鉄の精神を持っているにしても、わたしとの愛をそう簡単に忘れられるはずがないからな。うずきが起こらぬように、夢の中で昇華してしまうといい」
応援しているぞと、禁欲のなんたるかをまるでわかっていない魔王は、青年にそっと魔法のネックレスをかけた。
シモンは口をつぐみ、胸元に光るネックレスに手を伸ばして、それをじっと見つめた。
なにかを言おうとして、伯爵とまともに顔を合わせたが、自信満々の屈託ない彼の表情を見つめると、なにも言えなくなってしまった。
シモンはゆっくりと困り顔をほぐして、できるだけ自然にほほえみを返した。
そしてやわらかく目を伏せて、伯爵に静かに口づけた。
唇を離して、見つめ合う。声は波紋ひとつない湖のように平静だった。
「ありがとう。そうだ、私からも贈り物があるんだ」
シモンはベッドから身を起こして、道具袋の中を探った。取り出したのは金の指輪だった。内側に『我が友ヴラドへ』と彫られている。
「器用な道具屋がいてな。注文したらなんでも誂えてくれるんだ。指輪に入れるメッセージなんて5分で彫ってくれる。以前これと同じものを作ったんだが、その、どこかへ行ってしまって。今日、お前に渡そうと思ってたんだ」
しげしげと指輪を見つめた伯爵は「我が友、だけかね」とシモンに尋ねた。
質問の意味をわかっているように青年は頬を赤らめた。
「その、続きを言おうと思ったんだがな……照れくさくて、まごまごしているあいだに『ほらよ、持っていきな』と指輪を渡されてしまって……」
「なんと続くのだ?」
シモンはふたたび困り顔を見せた。しかしその表情には、青年がふだんは見せない一種の構えが宿っていた。
踏み込ませない、静かな微笑。
伯爵はそれ以上は尋ねずに口をつぐんだ。その唇にやわらかな感触が触れた。
そっと交わしたキスは特別に甘やかだった。
明日も同じような関係が続くよと――そんなことを物語る口づけで、青年の唇には、先の約束を少しも疑わせはしないぬくもりがあった。