きざしの地

「ドライブにいこう」と伯爵に誘われても、シモンにはなんのことやらわからなかった。眺めていた画集が彼のとまどいを表すように、一枚めくれる。

「水も食料もたっぷりと積んである。夜の砂漠は冷えるから君はしっかりと厚着をして」

 ちょっと待てとシモンは両手を使って伯爵の気を鎮めようとした。

「ドライブとはなんだ」
「くればわかる。マントを忘れるな。五分後に城門前で落ち合おう」

 有無を言わせず、伯爵は分厚い音を立てて強引に本を閉じた。
 紺碧の外套をひらめかせるその背中へ、シモンは何度もまばたきを返した。先ほどまで見つめていた想像上の青空がかすんでは、高い背筋を透かして遠目に消えた。

 銀色に輝くピックアップトラックが城門前で水牛の鼻息のような振動をあげていた。
 運転席から片手を指し示す伯爵を認めなければシモンは聖鞭から手を離そうとしなかったろう。助手席に乗り込むよう言われたが、青年はしばらくのあいだ窓越しに伯爵を見上げた。

「不安か?」

 荷台を見て、伯爵を見つめた。いつもと変わりない、自信と力に溢れた、落ち着いた男の顔をしていた。

「目的は追々聞かせてくれるな?」
「機会があればな」

 あってないようなものだがと、伯爵は高い鼻から息をついた。シモンは一瞬、竜公の寂しそうに細められたまなざしを見た。
 どうして自分は彼の隣にいないのだろう、そんな寂しさが移ったように、青年はマントをひるがえした。

 白紙のページをゆくクラシカルなトラック。
 銀砂の尾を引いて月の砂漠を走り続ける。昏夜に浮かぶ月は満月だった。

「いつもと違う月だな」
「そうだな」見事な玉輪だと伯爵は応えた。「君と会うときはいつも弓のようにぴんと張りつめたかたちをしていた」
「見通しがよくなっていいな」
「ゴミがこうちらほらとあってはな」

 曲がりくねった巨大な時計、古代生物の骨、砂が詰まった蓄音機、とげとげしい植物など、走行の邪魔をしない大きさのものはひとつとしてなく、それらはすべて砂中に埋もれている。
 平坦だが注意深い運転を求められる道のりをゆくあいだ、伯爵は車とはなにかを青年におおまかに話し終えた。そして、彼から当然尋ねられるであろう疑問を待った。

「この車をどこで」
「うむ」伯爵は口ひげをいじりながら、とある場所へ赴いたときの出来事を話した。

 狂気にとりつかれたひとりの画家が支配する世界へ、ぷらぷらと足をのばしたさいに、この時代に復活したときに見かけたある機械のことを思い出した。ふたりのハンターが呼吸を合わせてそれを乗りこなし、道を切り開いた鉄の馬。

「バイクがあるのだから、車があって当然だとわたしは考えた」

 あちこちをひっぺがすようにして車探しをしていたら、騒ぎを聞きつけたのか、あの世界の支配者であるブローネルとかち合ったという。

「まぁ自分で言うのもなんだが、醜い言い争いになってな」

 力では圧倒的に自分のほうが勝っているのだから、少々の文句も気にせず受け流してやろうとそのまま車探しを続けていたのだが、どうも言葉の端々にこちらを見下す調子が感じられる。語気も荒くなってきた。肩をつかまれた。その手をふきとばすかわりに、わたしはそっと呟いた。

「血の、芸術、か」

 毒々しい茨の車輪や無数の生首をかわしながら、「まぁ待て」とわたしは奴によびかけた。

「お前の絵はどうしてそうもグロテスクなのだ。人の生き血や汗を絵の具として使いたい――まぁまぁ、趣味の悪いことだ。おまけに単純。嘆きや怒りを乱れた色で表現するなど安直な発想だとは思わんか。たまには――そう、気が向いたらでいいのだがな――戦争のおろかさや途方もない喪失感を表すような、爽やかで、とても見事な青みを感じさせる絵を――そういう絵を描いてみてはどうだ」

 利いたふうな口であれこれ喋るのは妙に気が高ぶるものだ。当然のことながら、返ってくる言葉はなにごとかをわめきちらす声ばかり。戦いにもならぬ戦いに飽いたわたしは、奴の背後に立ち、「車はどこだ」と尋ねた。この世のものとも思えぬ冷たさを感じ取ったか、奴のはちきれんばかりに浮き上がった血管は見る間に凍り付いた。絵筆の指し示す空間をこじあけると、そこには銀色に光るピックアップトラックがあった。――

 話を聞き終えたシモンはひとこと「気の毒に」と呟いた。ひとりの画家へ向けての心からの思いだった。言い争いにもなっていない、いいように翻弄しただけではないか。最初から車のありかを尋ねていれば、お互いに心を乱すこともなかったのに――。

「作風に対して挑発するようなことまで言って。お前はいったい、なにをしたかったんだ」
「さて、な。自分でも出発した目的が曖昧な部分がある」
「記録から離れた場所なんだ。このまま進んでもなにも」
「なにもないと?」

 シモンは口をつぐんだ。横目で伯爵の顔を伺う。なにかを探しているんだ。そして、それを見つけるまで帰らないつもりだ。どうして自分はそれに付き合わされているのだろう。自分が必要だったからか?

「なにを探しているんだ?」
「青空を」

 革命を告げる言葉を耳にしたように、シモンは隣を見た。男の横顔はその宣言を成功させるにふさわしい張りがあった。

「自分がなにを言っているのか――」
「わかっているとも。今から君に運転方法を教える。車とはなにかを理解したなら、操作は簡単だ」
「帰る」
「ならぬ。まずキーを入れて」
「止めろ!」
「シモン」スピードをゆるめながら、公はミラー越しに青年へ語りかけた。「わたしが自殺するとでも?」

 鏡に映らないそのまなざしが見えるようだった。シモンは口を閉ざした。

「心配するな」と伯爵は小さく笑った。「この車には棺も積んであるし、いざとなれば小さなコウモリになって君のマントにもぐりこめばいい。そのときのために君に運転技術を教えると言っているんだ」

 嘘は感じ取れなかった。
 シモンは黙り、うつむいて、指を組んでじれるようにこねまわしたあと、たまらないように伯爵のほうへ振り向いた。「ずっと前からこのことを考えていたのか?」
「そうでもない。ごく最近だ。君から夢の話を聞いたとき、わたしも似たような夢を見た。それが気になって、用意だけは整えていたんだ。出発をいつにするか考えようとラウンジを訪ねたら、君が青空を綴じた画集を眺めていたと、まぁそんなところだ」
「夢の話?」
「覚えていないか」

 考えるように天井を見つめていたとき、車体が大きく跳ねた。ふたりとも頭をぶつけて低くうめいた。と、シモンが「思い出した」と、視界に星を散らしながら叫んだ。

「大声を出すな」
「ドアの話だ。砂漠にぽつんと置かれている木製のドアを開けたら、そこに別の世界が――青空が広がっていたというあれだ」

 シモンは頭をさすりながら「お前も似たような夢を見たのか」と尋ねた。
「体が焼けるようだった」と、片手で髪をなでつけながら伯爵は答えた。「しかし、君は喜ぶだろうなと思って――」

「喜ぶ――」シモンの言葉にハッとして、伯爵はハンドルを握りなおした。青年の頬が赤らむのを見ないようにして、こちらも気を改めようと咳をする。車中にこそばゆい空気が流れた。
 記録から遠く外れた場所で、狭い空間にふたりきり。
 それは、嗅ぎ慣れた雰囲気だった。

 とろとろと速度が落ちてゆき、固いねじを回すような音を立てて、車が止まった。
 窓から見える景色には生き物一匹見かけられない。
 青みがかった黒い夜空にプラチナのような星がまたたいている。

 青年の腿に手が伸びた。びくつく体は抵抗をしなかった。マントの裾から侵入した手が武骨な草摺に当たった。
 車内は身動きするには少しつらい狭さだった。

「あの」とシモンは赤みの差したまなざしで伯爵を遠慮がちに見つめた。「私は平気だから」と彼の手をどかせて、金具が擦れる音を立てた。猫のように身をくねらせて、伯爵の股間に顔を寄せる。彼はなにも言わなかった。シモンの動作を熱っぽい目で見つめて、するがままに任せている。
 シモンは公のスラックスから一物を取り出して、目を閉じたまま口に含んだ。
 苦しい体勢のせいか息づかいが荒い。口端から漏れる唾の絡む音もいつもより激しい。
 耳から快楽を伝えようとしているのか、吸い上げる行為にわざとらしい頭の振りをきかせている。
 公はその一部始終を、熱っぽいまなざしから一転して、冷めた目で見つめていた。

「シモン、もういい」

 とまどう声も聞かずに、伯爵は青年の頭を無理やりどかせた。
 シモンはそのひややかな目を見て、ひどく打ちのめされた顔になった。
 痛む胸と震えるくちびると萎縮した体を座席に戻し、遠い耳でドアが開く音を聞く。
 砂を蹴る足音。長身がまわりこみ、激しい音を立ててすぐそばのドアが開いた。
 おどろく間もなく腕をつかまれ、座席から引きずり出された。
 怯えた足取りのまま荷台まで連れてこられて、先にのぼった伯爵に体を上まで引っ張り上げられる。
 積まれた毛布をもどかしいように敷き広げている伯爵に、途中、じろりと睨まれてしまった。「なにをぼうっと見ている」

「あの」
「マントを脱げ。その邪魔な鎧も武器もすべて脇に置け。これからする行為に不要なものは全部だ」
「やめよう、こんなところで」
「わたしに口淫をした君が言うのか」

 シモンは黙りこんだ。くちびるが震えている。月明かりの紗が降りて、音が澄み渡るように青年の頬を照らした。
うつむく顔は泉に浮かぶ蓮の花を見つめるように静寂としている。
 頬にやわらかな手が触れた。
「シモン」公は青年を抱きしめて、乱暴を詫びるように、なやましく頭を寄せた。「君と愛し合いたい」
 外套の下にまわる腕が伯爵の背中を抱いた。
 青年は肩に顔を埋めて、目元や鼻筋を甘く、切なくこすりつけた。

 筋肉と脂肪の究極的なバランスが露わになり、青白い光に照らされた。

「思ったとおりだ」伯爵は唾を飲んでその肢体を見上げた。「月明かりに照らされる君は、とても美しい」

 シモンはブーツを脱ぐ間もなく膝をついた体を抱きすくめられた。切迫さに息がつまる。
 青年は胸に顔をうずめる伯爵の頭をいとおしいように撫でた。
 砂漠でひとり裸になるという体験したこともない解放感に、奇妙な興奮と恥ずかしさを覚えているようだった。

「美しい」と囁かれ続け、鼻で、舌先で甘くくすぐられる。
 毛並みのよい毛布に導かれると、背中から幾重もの繊維による愛撫を受けた。
 絶え間ない抱擁と安心を覚える温みを感じたいように、肩や腰を動かして、全身で愛に悶える。
 伯爵の口淫により、青年は吐精した。嬌声が星空に吸い込まれた。
 シモンは宙に浮いているようなめまいを覚えた。星が流れる。
 慎重に、しかし急き立つ思いを隠しきれないような指の出入りを受けて、青年は可能なかぎり力を抜いた。
 彼が早く気持ちよくなれるように、一度達した身をなんとか元の血流に戻そうと、腰を浮かせて風にあたる。

「なにもしなくていい」脚の付け根に口づけられながらそう囁かれて、シモンは涙を浮かべた。
 肌寒さを忘れたいように腕を曲げて、背中をよじる。
 わき腹から胸へ撫で上げるやわらかな手が何度も肌を這った。弱い愛撫だった。
 たまらないようにシモンは泣き声を上げた。
 彼を受け入れる部分はまだ充分に開かない。早く、早く――。

「そういえば、シモン」青年の乳首に軽く爪をかけながら伯爵は尋ねた。「私は平気だからと、そう言ったな」

 口淫する前のことだ。突然の問いかけにとまどいながらも、シモンは素直にうなずいた。

「わたしを満足させて、君はそのあと、どうするつもりだったんだ?」

 先端をついばむように二度三度爪でいじる。後穴に挿れている指はそのたびにしめつけられ、公はそれがおもしろいように薄い笑みを浮かべていた。
 青年はその笑みから視線をそらして「別に、どうも」と答えた。「……そのまま、旅を続けるつもりで……」

 乳首をつまみあげられ、シモンは「あんっ!」と抑えきれない悲鳴を上げた。その声に頬が染まり、シモンは口元を甲で隠した。「嘘をつくな」執拗に乳首をこねあげながら、伯爵は舌先でもう片方の乳首を責めた。

「欲情したまま座席に座っているつもりだったのか? 違うだろう?」

 もしもわたしがドアを開けなかったらどうしていた? 脚をもぞもぞさせながら車に揺られていたのか? いやらしい匂いをぷんぷんさせながら、わたしの顔をちらちらと見て、涙ぐんでいるつもりだったのか?

「……か、陰で、処理しようと……」

 毛皮による背中からの抱擁。風に吹かれて、鋭敏な感覚に突き立つ肉茎。だらしなく開脚して、時折浮かせては淫猥に揺れるブーツ。

「事が済むまでわたしに待っていてもらおうと?」

 見上げられている。のぞきこまれている。熱く上下する胸元から、いやらしく頬を染めた自分の顔を。
 こんな広い場所で、こんな格好で――月はあんなに明るい。

「しょ、うがない、から……」

 ふふ、と公は吹き出すように胸に息を落とした。

「いじらしくて、かわいそうで――あぁとても、かわいらしいよ、シモン」

 青年はぽろぽろと涙をこぼした。
 ほんとうにそうなっていたらどんな気持ちだったろう。寂しくてみじめで、座席で知らんぷりをしている彼をうらんだかもしれない。でも自分は声をかけられないのだ。早く済ませようと焦って、事を終えられずに時間だけが過ぎて――いまはこうして、やさしい彼に何度もキスを受けている。嬉しい。嬉しい。

 彼が深く体重をかけた。
 幸福な圧迫感に息が抜ける。
 誰もいない遠い地で、開けた場所で、愛する男に裸を見られている。
 涙を流し、喜びに身を震わせながら、シモンは快楽の声を上げた。

 暗紫色の空が広がる雄大な砂漠。
 星はいまにも消えようとして、砂はわずかに黄味を帯びている。天地の境が曖昧になり、中央部が真白く抜けていく。
 地平線の彼方から黄金の光が射す。
 暁の終わりだ。
 窓から射し込む明かりに思わず目をかばう。
 手のひらを血管が通っている。赤く透ける命の流れ。
 まぶしい顔で隣の座席を見る。シートベルトがたわんでいる。目を見開く。冷たい座席を触る。

「ヴラド」顔を上げて、ドアから飛び出す。毛布が地面に落ちた。「ヴラド!」

「どうした!」

 荷台から駆け寄ってきた伯爵に身を起こされた。
 何度もまばたきをするうちに、シモンは公の頭の後ろにある満月に気がついた。外はまだ夜だった。夢を見ていたらしい。
「あぁ」うつつと混じり合ってパニックを起こしたのだ。「よかった」それしか言えなかった。
 夢の内容を察知した伯爵に座席へ連れられるとき、シモンは毛布を渡された。一枚の毛布とマントだけでは寒いと思った伯爵が、荷台からもう一枚、毛布を取りに行っていたのだ。目覚めたとき、彼が隣にいなかったのはそういうわけか――シモンはため息をついて、背もたれに身をあずけた。

「お前はほんとうに、目的のものを見つけてしまうからなぁ」

 伯爵は隣に乗り込んで、キーを回した。

「寝ていてもいいぞ」

 アクセルを踏み込む伯爵の横顔を見ながら、「なぁ」とシモンはぼんやりと呟いた。

「旅はもう、やめにしないか」
「断る」

 そう言うだろうなと思いつつも、口にせずにはいられなかった。
 シモンは顔を背けて、放置物ばかりの砂漠を眺めた。
 遠くの柱時計や絵画がゆっくりと後方へ流れていく。

「なにが描かれているんだろう」

 なんのことだと伯爵が尋ねた。

「遠くに絵画が捨て置かれていたんだ」

 車を急反転させて、伯爵はシモンが目にしていたであろう地にハンドルを向けた。
 座席に沈みこむ青年を気にかけず、公はトラックを飛ばす。
 激しい振動の末に、伯爵は目指すものの前で車を止めた。
 砂漠の地に斜めに突き立つ一枚の額縁。そのなかにはカンバスがしっかりとはめこまれていた。
 ふたりは車を降りて、絵をまじまじと見つめた。
 人ひとり入れるような巨大な絵画には、美しい風景画が描かれていた。

「緑の森と、湖と、それと」
「青空だ」

 息のつまるような静けさをたたえた淡いタッチ。
 朝靄を思わせる透明感にあふれたこの作品は、豊かなイマジネーションを備えたものにしか描けない優美さがある。
 遠い昔にあったかもしれない風景はしかし――。

「見事だが、これは」シモンはくすんだ黄金色の額を触った。
「ただの絵だ」伯爵の眉は落胆に応じなかった。そのまなざしには、そうそう望むものは得られない、そういった経験と、あきらめを覚えない粘り強さがあった。「魔力は感じられぬ。この世界へ行けるはずもない」

「そう。そうだな」青年は伯爵とブローネルとの痛ましい話を思い出した。

 挑発したのは望む絵を描いてほしかったからか――けれども、そのようなやり方では、当然、願いなど叶うはずもない。
 もしも似たような絵があったとしても、このような不毛の大地に存在する確証はなかったのだ。

 それならば、なぜ、ふたりは旅に出たのか――。

 きざし。しるし。それらを思いだそうと、シモンは頭をめぐらせた。
 ふと視線を落としたときに、青年は肩を軽く叩かれた。
 伯爵の指さす方向になにかが見える。
 絵画と同じように斜めに突き立つ一枚の板。遠目に見えるあれは――。

 ふたりは焦らずに、その影に駆け寄った。
 広大な砂漠のとあるところで、月と星に照らされて、木製のドアが銀色のノブをきらめかせていた。
 シモンは用心するよう、伯爵に離れているよう目で合図した。伯爵はうなずき、開閉角度とは反対に、遠くへ身を置いた。

 青年がドアを開けた。その身が黄金(きん)の光に照らされた。
 視界をかばうように伯爵が外套で顔を覆う。
 シモンは長いこと立ち尽くし、ドアの向こうを見つめていた。
 川のせせらぎ。鳥のさえずり。そして、瞳に映る青い空。

 青年はドアを閉じた。
 夜が戻った。
 静寂と、星のまたたき。月明かり。

 シモンは信じられないという顔を伯爵に向けた。
 伯爵はそれを当然といった顔で受け止めた。
 ふたりが夢見たきざしは現実のものとなった。
 夜が輝いている。

 荷台には布にくるまれた木製のドアと、名画が積まれていた。
 目的のものを背にしながら、ふたりは荷台から脚をぶらつかせていた。
 シモンは干し肉を噛みながら月を見上げた。

 明日はタイヤの跡を辿って皆のもとへ帰るだけだ。その日は待ち遠しいが、いまだけの充実感を深くゆっくりと味わっていたい。水も食料もたっぷりと残っているし、もう少し寄り道をしても――。
 すずやかな風が吹いて、シモンの金髪が横に流れた。

 伯爵は荷台から降りて、座席へ向かった。
 シモンは眉を下げた。
 もう出発するのだろうか、そう思ってあわてて干し肉を飲み込むと、伯爵が毛布を持って戻ってきた。

 公は青年に毛布をかけた。そして、その端で自分をくるんだ。
 ふたりはぎこちなくくっついて、一枚の毛布に身を包んだ。

 ぱちぱちとまばたきをするシモンを横目に見て「一枚ずつにするか?」と伯爵は尋ねた。
 シモンはうつむいている状態から上目遣いに伯爵の顔を伺った。
 寂しそうに、どこかきまらないように遠くを見つめている。腕は窮屈そうに膝に乗せていた。
「あの」とシモンは毛布の端をつかんで、かけなおすように布を払った。
「すきま風が入るんだが」シモンは腰を寄せて、「よかったら肩を」と丁寧に伝えた。

 伯爵は黙ったまま、腰を寄せて、青年の肩を抱いた。
 シモンは落ち着いたように頭を寄せて、彼の腰を抱いた。
 毛布のなかはすぐにあたたかくなった。
 ふたりは長いあいだそうして砂丘の彼方を眺めた。

 丸い月、白銀の星。
 月明かりが光の傘となってふたりを夜闇から守っていた。

 終
 12/12/01(土)