ふと目を覚ましたシモンは、自分が伯爵の腕のなかにいることに気がついた。
脈のない腕は冷たい枕となって青年の首筋に横たわり、愛の名残を抱くように彼の肩を包んでいる。
薄いながらもたくましい胸から顔を上げると、息もかすかな伯爵の寝顔が目に入った。
高い鷲鼻と彫りの深い目元、整った気格ある眉のかたち――薄くやわらかな皮膚はよけいな色素を取り去ったように白くきめこまやかで、それらは植物が芽吹く寸前の大地とひとしい静けさをたたえていた。
愛された気だるさが青年の体の奥深くに泥の重さをともなってまとわりついていた。
シモンは上体をわずかに動かし、彼の寝顔をのぞきこんだ。
金色の髪が光を透かしたような音を立てて肩に流れた。
伯爵の腕が白いシーツへゆるやかに落ちてゆく。
体のすきまに肘をついた青年は、しばらく公の顔を見つめたあと、彼に覆い被さるような姿勢をとった。
金色の髪に隠れて、鼻と鼻とをこすりあわせる。
なついた子犬がするように、あるいは人魚同士が交わす挨拶のように、やわらかな骨を右に左にゆっくりと。
目はうっとりと閉じられていて、口元は次第にほころんでいった。
ふふ、と声がもれるころ、顎の下から、喉にかかる長いうなり声が聞こえてきた。
は、として彼の顔を見ると、下にある表情は眉間に深い皺をきざんでこちらを見つめ返していた。
にらむ、といったほうがしっくりくる。
「かゆい」
鼻の動きにあわせて頬にかかる髪の毛がうっとおしさをともなって彼の薄い皮膚を刺激していた。
甘い夢から我に返ったように、シモンは細かな汗を吹いて彼の体から身をはなした。その表情は赤く、肌は冷たい。
「あの、すまない」
そのまま慌ててベッドから降りようとする動きを見せたので、伯爵は彼の腕をがっちりつかんで、倒す勢いでふたたび自らのもとへ引き戻した。
青年にまたがせる格好をとらせて、背中を抱く。顔の横に両肘をつかせて逃げられない体勢になったのを確認したあと、彼は静かな声で青年にこう尋ねた。
「なぜあのようなことを?」
まったく赤みの引かない顔が間近にあった。
青年はただうろたえて、背や腕を汗でしめらせていた。逃れられないようだとわかると、彼は一度乾いた喉を嚥下させて、こう答えた。
「……子供のころ、よくこんなふうにじゃれあっていたのを思い出して……」
伯爵は値を定めるような意地悪い目で続きをうながした。もうないというふうに青年の口がつぐまれた。理由はすでに話している。
「思い出したから、寝ているわたしにそれをやってみたくなったと?」
そうだというふうにシモンの目線が横に流れた。眉を下げて、申し訳ないように唇をふるわせている。
自分の年を理解しているし、やっていい相手とも思えない。
気持ちの悪いことをする奴だと思われたかもしれない。
後頭部にひやりとした手がまわった。
またがった体勢のまま、青年はくちづけを受けた。どけたい、という意思を許さないように、がっちりと頭を押さえつけられて。苦しげな息がこすりあわせていた鼻からもれて、切ない声を喉の奥にこもらせた。やがて熱をこめた濡れた唇のからむ音となり、それらは枕辺の空気を密なものへと変えていった。
頭を固定する手がするすると背筋にまわり、もう片方の手が青年のひきしまった尻をつかんだ。
まだ理性の残る頭を上げて、青年が身をよじらせた。
だめだというふうにとまどいの声をあげても、それは聞き入れられずに、昨夜の濡れた感覚の残る部位に指が差し入れられた。
青年はとたんにびくつき、金髪をはねあげた。
両肘をついた体は、次第に敏感な感覚を呼び覚まされる技巧を受けて、耐えるようなふるえを起こした。
どこも見ずにいる切ない視線は悪戯をする指の動きを頭に思い描いているようだった。
「アッ」
火を点けるのに充分な指の動きに合わせて、青年の上体がのけぞった。
伯爵のもう片方の指先は枕辺にある潤滑剤を入れた瓶に浸してあった。それとかわるように奥深くある指先をすぼまりまで引き、開いたところにあらたな指を差し入れる。
「あはっ あっ」
冷たさと滑りの増した刺激にシモンは涙を流した。
懇願するように涙目で伯爵を見ると、彼は青年の胸元だけを見て――まるで後穴がどんなふうになっているのか見たいというような無関心さで――今の青年の表情には目もくれずに、彼の尻を揉みこんでいた。
シモンはその冷たさに悔しさを覚えた。
快楽にゆるく食いしばっていた口を近づけて、彼の唇を吸う。それにいい加減に応えながら、伯爵はさらなる刺激を奥に与えた。
ふうっ、ふうっと、泣きながらひくつく青年の忍び音を聞いて、彼はようやく自身のペニスを彼の尻にあてがった。
馬乗りにさせたままの青年の腰をつかみ、そのまま自身の腰を密接させるように、股間を上げる。たいした抵抗もなくペニスが熱い沼に沈んだ。
唇がはなれた。
「はあっ あぁ――」
公は腰をつかむ手で相手の角度を調整した。
青年の尻をまたがらせた状態で中空に固定する。
力を入れることの叶わない半端な姿勢で、肉棒を受け入れるだけの心地よい穴を維持させた。
自身の突き上げによってはしたない音を立てる厚い器。
「うあ、あ、や、ァ」
冷淡さを訴える泣き声が次第に意思をなくしていき、肘と膝の力だけで快感を耐える断続的なあえぎ声に変わっていく。
相手を責める力は尻にかかる揺り上げのたびに頭から抜けるような気持ちよさにすり替えられた。
伯爵の首筋に自身の泣き声を沈みこませて、青年はすがりつくように彼の体を抱いた。
いやいやをして頭を動かしても、あまり邪魔をすれば、ぎりぎりまで引き抜かれた男根を一番苦しい位置に押し込まれてしまう。
ひい、ひい、と情けない声を上げて、青年はいやらしい責めに、ただただ、屈していた。
「あ、あ、もう、だめ、だめ――」
達しを許さないように、伯爵はシモンの頭を乱暴につかみ、舌をからめあわせた。
涙を流しながら、ひぐひぐというみっともない震え声を口元に這わせて、青年は射精した。
伯爵の腹に熱い精液が飛び散る。
すぼまりが一番急な力を伝える前に、伯爵は自身のペニスを奥深くに沈みこませた。
青年の震える尻や裏腿を抱き、無抵抗の体へと精液を注ぎ込む。
自身の立てた腿が快楽と心地よい征服欲に震えた。
まだきついすぼまりを楽しむように、二度三度引き抜き、押し戻し、青年をいいように喘がせる。
やめて、やめて――耳元で鼻をすする声が何度も奥に響いた。
伯爵はこのうえもない心地よさを味わい、瞳を閉じた。
ペニスが勢いよく引き抜かれた。
青年の尻は解放されなかった。
両手で尻たぶをつかまれて、そのまま中空に維持させられる。
これからされる辱めを知った青年は顔を上げて懇願するように伯爵を見たが、彼は薄く笑っているだけで、シモンを離そうとはしなかった。
「いや、だ――ぁ」
射精の果てに徐々に引き締める力をなくした肛門から、放たれたばかりの精液が降りてきた。それははしたない音を立てて、伯爵のまだ勢いのあるペニスや睾丸にまき散らされた。
白い液体が股間を伝い、シーツにたらたらと流れ落ちる。
青年の顔が苦渋と恥辱に赤く染まっていった。
耳にしたくない音はまだ続いている。
目をつむっていても、伯爵の冷淡な表情が想像できるようだった。
残りがないか、彼の両手はやさしく尻やすぼまりの近くをマッサージしていた。
最後にほんの小さな音を立てて、白い飛沫が股間に付いた。すべて出しきったのを確認したあと、伯爵はようやく彼に微笑み、キスをした。
頭をなでて、つらくこわばった背筋をさする。
いたわりをもって青年を隣に横たえさせて、もう一度キスをした。
青年はため息をふるわせて、瞳をきつく閉じた。
腕で顔を隠し、本格的にすすり泣きをはじめる。
伯爵はそんな姿もいとおしいというふうに、青年が泣きやむまで、甘い声音で慰めていた。
――――
「もうしない」
こう言ったのは伯爵である。
背を向けて横たわるシモンに対し、振り向いてくれという反省をこめて、青年に謝罪していた。
声も表情も、冷淡さとはほど遠い、あせりと動揺に満ちた(威厳のかけらもない)中年の態だった。
「つい……その、興が乗って……」
言い訳に対して、青年の反応は無視である。無言というだけかもしれないが、それにしても城主に対してとる態度ではない。
それでも伯爵は青年に話しかけた。
何度目かに、返事があった。
「なんでこうなる」
「……調子に乗ったんだ」
「鼻をこすりつけただけで、なんでこうなるんだ」
「そう、なるだろう」
いとおしいそぶりだ。
そう伯爵が伝えると、シモンは忘れたいように肩をすくませた。
表情を隠すような動きに伯爵の顔が首筋に寄った。
「シモン」
のぞきこむ囁き声が耳をくすぐった。
「君はどうしたかった? わたしが目を覚まして、同じように鼻をこすりあわせるだけで満足だったか? 笑いあうだけでよかったか? その先は、考えなかったのか?――」
眉を下げて青年は答えた。
「考えてするようなことじゃ、ないだろう」
「そう、だな」
「――あぁ、でも、お前にすることじゃなかったのかもしれない。悪かった、私も、もうしない」
首筋に伯爵の額がこすりつけられた。うずめるような切なさで。
背中から抱きしめる腕の強さと、ふくらはぎを寄せるさみしさが、シモンの胸をしめつけた。
自由のきく腕をまわして、公の手を握りしめる。
青年の目に涙が浮かんだ。よい方法が思い浮かばないので、しばらくのあいだ、桜桃の茎のように唇を結んでいた。
「いやじゃないのか」
「照れ隠しに唸っただけだ」
「かゆいんだろ」
「我慢する」
シモンはいい加減そうしたかったように、伯爵に向き直った。
きつく目をとじ、鼻と鼻とをこすりつけて、仲直りの意思を示す。
髪の毛のせいではないむずがゆい感覚がふたりの胸に同時に起こった。
顔をずらし、赤みの差した頬をシーツにうずめる。
青年の表情は後悔と恥ずかしさの色が濃い。
「……やはり、お前に対してすることでは……」
シモンは申し訳ないというふうに視線を下げた。
影が降りた。
鼻がこそばゆい刺激を受けた。
くちづけよりも感じ合うやわらかな骨の感触。
自分より大型の獣が愛を見せている。
「最初からこうすればよかったな」
ふたりは互いの腰を抱いて声なく笑った。
眠りに落ちる前の安らいだ体温が枕辺に淡く沁み込んでいった。
終
12/08/30(木)
鼻と鼻をこすりあわせる行為(エスキモー・キス)は長編に入れようかとメモしていたものなんですが、どこにも使えなかったので、のびのびエロを書ける世界で再利用しました。
実際に書いてみると自分でもびっくりするほど内容がありませんでした、すみません……。