「鳴海さん、いいものをあげますよ」
正しいという顔が表す生真面目な口調で、ライドウはなにかを乗せた両手を差し出した。
ちり紙いっぱいに包まれたそれはacorn(どんぐり)だった。
「遠慮なく喜んでいいですよ」
困った顔をする鳴海に向かい、少年はおもんぱかるという言葉など今は不要という眼差しで、どんぐりにこめた気持ちを押しつけた。
彼は一応、受け取った。
内心こう思う。
『俺、馬鹿にされてんのかなぁ……』
少年は満足したのか、口の端を少し持ち上げ、自室に帰った。
手元に残されたどんぐりは、ややぬくまっていた。握りしめていたのか、懐に入れていたのか、少年が声をかけるまで鳴海は窓際に立って紅葉を見つめていたから、それはわからない。
屑入れに秋の実を見つけた。
それはそう時間がかからず、翌日の朝に、掃除のついでに目に止めたものだ。
少年は十五粒あるどんぐりをひとつつまみ、しばらくじっと見た。殻斗の部分に黒い斑点があった。
鳴海が自室のドアを開けても何も言わず、ライドウは屑籠を逆さにしてどんぐりを捨てた。
「おはようライドウ」
「おはようございます」
声のトーンはいつもと同じだった。
少年が外へ芥を捨てに行ったとき、鳴海はどんぐりの転がる音を聞いた。
それで安心した。
やはり別にたいしたものではなく、あれは冗談だったのだなと。
怒れば謝るだけだ、軽口のひとつも叩いて拾い上げれば済むこと。
それきり忘れて、今日の朝食は何かなとぼんやりした。
銀楼閣のてっぺんにとまっていたゴウトも、芥箱に落ちるどんぐりの音を聞いた。捨てる少年も見た。その肩に舞い降りる。
『なんだ、あっさりしたものだな』
「鳴海さんはお気に召さなかったらしい」
『まぁ、あいつもいい大人だからな。お前がいいと思ったものを全て喜ぶとは限らんさ。結構長い間拾っていたがな』
「別にそれはいいよ。僕の選び方が悪かっただけだ」
『しもやけは治ったか』
「あんなの、十分も経てば治る――なんだ、今日はやけに僕に構うな、ゴウト」
『そうか?』
朝焼けが眩しい。吐く息が白い。
睨むように青空を見上げて、もうそろそろ冬の季節が来ることを少年は肌寒さをもって感じ取っていた。
空のちりとりを持って探偵社に戻る。
いつもと同じ足取りだった。
降り積もるものが枯れ葉から雪に変わるころ、鳴海探偵社は『変わったもの専門』らしい仕事を請け負った。
依頼は白い袋を探すこと。
使いの子供が言うに、それがないと始まらないらしい。とんがり帽子が不安そうに揺れる。
「初めて見た。ほんとにいるんだな、エルフって」
デスクで腕をゆったりと組む鳴海に向かい、ライドウは「もちろん引き受けますよね」と尋ねた。
「なにお前、なんか熱心だね」
「届くはずのものが届かないとなると、子供でなくとも落胆します」
「そうねぇ」
思考が鈍ったかのようなやりとりが続き、結局のところ、乳歯が抜けた分と同じ枚数の金貨を報酬として頂く、という契約で仕事を請け負った。
「じゃあひとつよろしく頼むわライドウ」
学帽を深くかぶり直して、ライドウはエルフと連れだって外へ出た。
鳴海はストーブの上に置いたやかんからお湯を注ぎ、カップを傾けた。
しょうが湯の溶けた飲み物は、熱く、喉にしみた。
彼は風邪を引いていた。
たった20枚の金貨で仕事を請け負ったことを後悔するのは、これからかなり後のことである。
ヒホヒホ言う悪魔を追いつめるのに、さほど時間はかからなかった。
ジャックランタンである。
ランタンと一緒に白い袋を持っている。
袋小路でゆらゆらと揺れて、暗闇の広がる口をかくかく鳴らしている。
『あまり驚かすな……見ろ、怯えているじゃないか』
鴉の言うのももっともで、探索中のライドウは筑土町のビルヂングから目標を発見するやいなや、管を眼下10メートルへ向けて召喚、ライホー君を悪魔の目の前に差し向けて逃げられなくしたのち、自らは軽々と地表へ飛び降りたのである。
ふわりと舞う黒外套と雪煙の美しさ、少年の常人離れした身のこなし、悪魔でなくとも怯えてしまう。
『理由を聞こうじゃないか。盗んだわけを』
それを聞いてジャックランタンの怒ったこと、ランタンと自らの身体をぐるぐる回してぷんぷん言っている。
「ヒホ! 盗んだわけじゃないホ! 少し借りようと思っただけだホ!」
『借りてどうする』
「オイラ達ハロウィンの国の王様、カボチャ大王さまが今年のクリスマスの主役、つまりサンタクロースになるんだホ」
『……どこかで聞いた話だ』
ゴウトは物知りだなぁと思っている間にも、ライドウ抜きで袋をめぐる交渉が続いてゆく。
「みんなきっと喜ぶホ。コウモリの死骸やヘビの詰まった袋、逃げても逃げても追いかけてくるゲロキッチュな人形を子供たちにくばるんだホ~~」
『絶対に喜ばん。悪いことは言わんからやめておけ、餅は餅屋に任せてお前らは次のハロウィンまで準備を進めておけばいいだろう』
「あと335日もあるホ。退屈だからもう一騒ぎしたっていいと思うホ~~」
『言ってもわからんようなら、おい』
ゴウトの合図にライドウは刀を向けた。雪だるまを作っていたライホー君も、ぴょこんと立って右手を上げる。
いつでも氷結攻撃ができる構えだ。
――
ランタンの炎が揺らめいて、なにかが蒸発する音を立てた。
炎がともる目玉からこぼれた涙だ。
落ちた麻袋を拾うライドウに恨みがましく、しかし悲しみを伴ってぐすぐすとこう言う。
「驚かすだけなんて嫌になるホ……
たまには贈る側に立ちたかっただけだホ、どうしてそれがいけないホ……」
「別に悪いことじゃないさ」
ライドウは興味深げに白い袋を見やり、中身を探ってみた。『おい』というゴウトの声も無視して、ライドウは一握りの飴を取り出す。
「ただしそれは誰かに迷惑をかけないなら、という条件がいる。望まないものを贈っても相手にとっては困るだけだよ」
飴玉を受け取ったジャックランタンは涙をこぼすのをやめた。
ひとつ口の中に放り込み、すぐに燃え尽きた飴に対して不思議そうにカボチャの首を傾げる。彼はだからずっと飴をもらい続けなければならない。
その甘さがわかるまで。
「じゃあ、さよなら。カボチャ大王によろしく」
ライホー君を管に戻し、ライドウは鴉と共に立ち去った。
ゆらゆらと漂うハロウィンのお化け。
袋小路に灯っていたランタンの明かりは、しばらくして消えた。
あとには月の明かりに映える雪と、正反対の暗闇が残るばかり。
いや、それだけではなかった。
しんしんと雪が降る真っ白い地面に小さな足跡が残った。全てを見届けていたエルフがライドウの後を追っていった。
銀楼閣の三階の明かりは11時を回っても、ほのかな檸檬色の光をぽうとたたえていた。
かじかんだ手でドアノブを掴もうとした時、扉が内から開いた。
「おかえり、ライドウ」
鳴海が熱っぽい声で出迎えた。
「寝ていなくて大丈夫なのですか、鳴海さん」
「ちょうどこの人の相手をしていたところなんだ」
鳴海の肩越しに見ると、赤い服の老人がエルフと共にソファに座り、カップを傾けていた。「ウー」と妙な声を上げる。しょうが湯を飲む鳴海と同じ渋面をしていた。
ストーブのきいた探偵社は暖かかった。ライドウは外套も脱がずに報告をしようとするから、鳴海がそれを押しとどめ、「まずうがいと手洗い」と洗面所へ追いやった。
少年の背を押す鳴海を見て、赤鼻の老人は皺を深めて微笑んだ。
外套をかける鳴海に向かい、何事かを話しかける。北欧の言葉だった。鳴海もさらりと老人の国の言葉で返した。どちらも落ち着いた大人の微笑をたたえていた。
からころと水の跳ねる音が止んだ後、しばらくして学生服のライドウが洗面所から出てきた。
白い袋は持っていない。外套と一緒に鳴海に手渡したのだ。
「ご苦労さん。あの人が確認したところ、間違いなくこれだとさ」
「それはよかったです」
「ついては報酬なんだがな。俺が再交渉したところ、金貨の他にも一回だけご褒美がもらえるようになった」
「ご褒美?」
「袋から好きなもんを出していいってよ。一回だけ」
ゴウトはライドウの横顔を見た。いつもと変わらぬ寡黙な、しかしどこか幼さの残る顔を崩さなかった。
「僕はいいです」
「なに言ってんだよ。こんなチャンス、一生のうちでこれっきりだぞ」
「もう袋の中からひとつ、出してしまいました」
「え、なにを」
「飴玉です」
「お前、そんな」
エルフはこしょこしょと老人に耳打ちをした。うなずいた老人は、鳴海の背に何事かを話しかけた。鳴海の顔が哀れみから一転、ロウソクの灯のように明るくなる。
「おいよかったな。あれはサービスで、もう一回引いていいってよ。俺にはよくわかんねぇけど、エルフが一部始終見てたそうだ」
悪魔を慰めたぶんはサービスということか。ゴウトは羽にくちばしを入れて、冷えた鼻先を暖めた。
ライドウは少しうつむいたあと、鳴海の手から袋を受け取った。
取り出したものを見て、彼はひとつ、まばたきをした。
どんぐりだった。
「この前は粗悪品を贈ってしまい失礼しました」
ライドウは学帽の下から片目だけ覗かせて、不器用に口の端を持ち上げて笑った。
「見て下さい、今度のは虫喰いの穴もなければ黒ずみもない。斑点もない。光沢がきれいでしょう、この時期じゃあ絶対に手に入りませんよ」
片手いっぱいのどんぐりを差し出して、少年はいつか聞いたような言葉を口にした。
「遠慮なく、喜んでいいですよ」
鳴海は両手を腰に当てて、ふっと息を吐いた。わずかに下がる肩。方眉を下げて、ポケットからなにかを取り出す。
どんぐりだった。
「俺はほんとうに、自分のことしか考えていない、だめな大人だなぁ」
なぁライドウ、と声をかける。
学帽の下で見開いている目はなかなか元の瞳孔の大きさに戻ろうとはしなかった。
うがいをしたというのにかすれた、潰れたような声で尋ねる。これをどこでと。
「お前より前に袋から出してもらった。あの時、俺が捨てちまったあのどんぐりをもう一回ってな」
「馬鹿だ」
「即答だな」
「何度でも言いますよ」
少年は顔を上げた。
「あなたは大馬鹿者ですよ。生涯のうち、これっきりしかないプレゼントの選択を、こんなものに」
「あのあと、ゴウトにぶつけられたんだよ」
「なにを」
「芥箱から拾ってきたどんぐりさ。頭をつっつくように何度も命中させるもんだから、俺もどんぐりを拾ってよーく考えてみてさ」
ライドウは外套かけに居住まいを正していたゴウトを見た。鴉は知らん顔をしている。
「どこで拾ってきたのか知らないけど……まぁ、名も無き神社あたりにはこんなのがたくさん落ちてそうだけど……わざわざひとつひとつ拾ったんだろ。選別して、土を払って、形まで気を配って。親指の爪よりでかいこれをさ。手もさぞ冷たくなったろう、かがんだから腰も少し痛くなったかもな。受け取った時にわずかなぬくもりも感じた。大事に大事にここまで運んできたんだろうな。なのに俺はあっさりと捨てた。お前は何も言わなかったが、今やっとわかったよ」
鳴海はどんぐりを持っていない左手で、実の詰まった音のする少年の右手を握りしめた。甲を包み込むようにして、もう片方の手でどんぐりごと指を重ね合わせる。いくつかの実が、からころと跳ねて、転げ落ちた。
お互いの顔を見る。
鳴海の手は暖かく、ライドウの手は冷たかった。
あの日と同じだった。
「ありがとう。嬉しかったよ、ライドウ」
微笑みを受けて、少年は上向けていた視界が少しぼやけた。が、すぐにうつむき、学帽の縁で目元を隠した。
鼻をすすり、顔を上げたとき、少年は空いている左手で学帽をふわりと脱ぎ、ただ一言を紡いだ。
「よかった」
天使さえも放心するような、輝かしい笑顔で。
――
鈴の鳴る音を雪に響かせて、トナカイの引くソリは夜空を駆ける。
白い袋にぱんぱんに詰め込んだプレゼントと、クリスマスの父を乗せて、慌て者の来訪者はエルフ達の待つ国へと帰っていく。
鳴海はしょうが湯ではなく、珈琲を飲みながら、窓の外を眺めた。
ポケットにはどんぐり。
思わず差し入れた手の感触に少し驚く。
(今の時期でも、探せばあるもんだなぁ)
風邪を引いた原因を思い返す。
場所が場所だけに、少しの期待があったのだ。霊場である名も無き神社には、いまだ雪に埋もれたまま朽ちていない木の実があるのではないかと。
カンは当たった。
その替わりに風邪まで持ち帰ったというわけだ。
クリスマスの父が活躍する日まで、あと23日。
だいぶん早いご登場だったわけだが、おかげでちょっとしたいたずらができた。ついでに良いおみやげまで頂戴してしまった。
(当日が楽しみだよ)
デスクの引き出しには、白い袋から取り出した一度かぎりのプレゼントを忍ばせてある。
それは“少年の最も望むものを”と願い、手にしたものだった。
包装紙と赤いリボンに包まれた長方形の薄型の箱。
中身はライドウ本人にしか知り得ない。
23日後のサプライズを待ち望んで、鳴海は部屋の明かりを消した。
どんぐりは机の上に転がっている。
雪明かりを浴びて、それはきれいにきらめいた。
光沢の良さを見て微笑んだ少年は、あたたかいベッドに守られて眠りに落ちた。
足元がもぞ、と動く。
――靴下が欲しいな。
そんなことを想いながら。
終
06/12/06(水)