鴉と共に深川を訪れた際、少年は昔のことを思い出した。その記憶を辿るように江戸から明治の町並みが残る家屋方面へと歩いていく。
立ち止まったのは見せ物小屋の前だった。不気味な呼び声でおぞましき非日常を見せようとする呼び子を無視して、少年はそこに立ちすくんだ。
鴉は尋ねる。どうかしたのかと。
「人も悪魔の心もたいして変わらないなって」
「うん?」
「どちらも望むから互いの存在があるんだって、昔、気づかされたことがある」
「ほう」
聞かせろと鴉は少年の肩にとまった。少年は郵便ポストの前まで移動して昔話をした。
「ゴウトも覚えがあると思うよ」
金王屋で金丹ひとつ買えなかった頃のことだ。
貧乏書生と老人に嘲笑されたことが唇の端に出ていたらしい。とがらせたまま情報収集のため深川に立ち寄ったところ、見せ物小屋の前で背後の仲魔がこう言ったのだ。
「わちきがライ様以外の方にも見えはりましたらねぇ」
ずるりと這う音がした。
オキクムシがククッと笑いながらそう呟いたのだ。相変わらずのうつろな瞳で見せ物小屋を眺めている。
なにを言わんとしたか理解したライドウは屹然とした態度でこう告げた。
「僕は十四代目葛葉ライドウだ」
「ええ、わかっておりますんえ。お名前に傷がついたら一大事」
子供扱いされたような気がしてライドウはきつく唇を引き結んだ。
「僕はこう思うよ。お前たちと出逢っていなかったらどんなによかっただろうと。伝承や口伝えによって存在を消すことを許されないお前たちが僕の前に現れていなかったらと」
「あらそれは無理というものでありんす」
「なぜ」
オキクムシは艶然と微笑んだ。
赤い唇がなまめかしく動く。
「わちきの成仏をお望みでありんしょう? けれど心残りがひとつ、わちきを現世に縛り付けますんえ。
ちょうどこの手首の縄と同じように、きつくきつく心を縛る存在が」
――ここに。
オキクムシは顎で目の前の主を指した。そして艶やかな唇を持ち上げる。
「心酔しきっておりますんえ」……
陽は遠く、あまりにも高い。
「僕はもう何も言えなかった。子供だとも思った。いたたまれなくなってその場を足早に立ち去った時、何気なく後ろを振り向いたんだ。オキクムシはついてきた。相変わらず、ずるりずるりと虫の身を這わせて」
高い陽があった。
あの時と同じような日差しを少年は遠い瞳で見つめていた。
「奴隷みたいにさ。
僕はどこかおかしいなと思って笑った。
だってその姿はね、とても美しく思えたんだ。怖いなんて微塵も思わなかった。惹かれて、惹かれ合って、僕と彼女はそこにいたんだ。悪魔と人間の立場も似たようなものなんだって、その時わかった」
思い出し笑いをするようにライドウはくすくすと笑った。無邪気だった。
ゴウトはつまらなそうに羽をすくめた。
「嬉しそうだな」
「ああ、とても」
話は終わりと、少年はあの時と同じように駆け出した。
足取りは随分と違っていたが、迷いもなにもないその歩みにゴウトは少しの頼もしさを感じた。
そしてそのことを否定するように鴉は一声鳴いた。
まだ子供だ。
そう思わなければその感覚に恐怖を覚えてしまうだろう。
『馬鹿なことを』と心から信じた。
そうだとも。
美しいなどと――。
夕日があった。
黒い外套が遊ぶようにひらめいていた。
それはそれは無邪気に。
終
06/06/11(日)