長雨

 風魔はシモンの目の前で手を打ち鳴らした。
 続いてなにごとかを話す。口の動きから見るに『聞こえるか』と言っているらしい。青年の名前を呼び、反応を待つ。
 シモンは耳栓を抜いた。

「すごいな、何も聞こえない」

 それはよかったというふうに、風魔はやわらかく首を傾げた。茜色の髪の毛がさらりと流れる。
 この本の世界で誰よりも未来の時代から喚ばれた青年は、簡単な道具なら手近にある材料だけで五分と経たずに作り上げてしまう科学力を持っていた。綿や布をつめるのとは違う、まわりの空気がなくなかったかのような完全遮音を為す耳栓だ。
(主にプラネタリウム展のおみやげとして売られていたものだが、シモンにはそう説明されても、なにを言っているのか理解できなかった)
 見た目は古風だが、高い知性と健全な精神、そして頑丈な肉体を持つ未来人の彼は、元の世界では、他の者からすれば超常的とも思える不自由のない生活を営んでいた――魔歴元年という悪しき時代を迎えるまでは。

 風魔は窓の外を見つめた。雨が降っていた。耳栓を作るあいだ、やまないかと願っていた雨はいっこう色を変える気配がない。用途は癪だが、仲の良い青年の頼みを断る理由もなかった。
「ありがとう」シモンは礼を告げて、ラウンジをあとにした。古の城に赴き、そこの主に会うために。
 湿気を含んで若干膨らみを見せる青年の金色の髪の毛と、期待に満ちたその後ろ姿を、風魔は一本の若木のように黙して見つめていた。

 青い部屋に設えられた棺桶の前にひざまづき、シモンは静かに蓋を開けた。
 頑丈な板を斜めに立てかけ、城主の顔をのぞきこむ。
 余計な色素をぬぐい去ったかのような白銀色の髪の毛、白い頬。高貴さを為す彫りの深い顔立ちは瞳をとじて静寂をたたえていた。胸元で組む手はあくまで細く長く、節くれ立った指先は、肌のやわらかさと同時に、齢に応じた力強さを感じさせる。男性としての完璧な美。シモンは遠く睡郷の淵に在る竜公の姿を、長く、しんとして、見つめていた。
 格子窓の向こうでは肌を響かせるような大粒の雨が降っている。

 シモンは耳栓を取り出して、それをそっと竜公の耳につめた。
 自分のしたことがおかしいように、眉を下げて、眠っている伯爵に向かい、ほほえむ。
 彼は目を覚まさなかった。微笑がゆっくりとなりを鎮める。
 とがった耳やこめかみに触れた指先の感触をたしかめるように、シモンは自分の手をやわく握った。

「これで少しは紛れると思う」

 彼の厭う雨音を遠ざけたいと考えたのだ。
 現実と変わりなく変化する天候は長雨が続き、二、三日前から、彼も棺から起きなくなった。
 それはそれで、平和でいいのかもしれない。だが。
「聞こえなくなれば、きっと」ふたたび静かな夜が訪れたかと、彼が身を起こすかもしれないから。

「お前がいるときに雨が降るなんてな。干ばつが多かった私の時代にしてみれば慈雨と呼べるものだろうが」

 シモンは寝ている竜公に話し続けた。腰を下ろし、片膝を立てて、その脚に重心をおくように背中を丸める。

「おかしな世界だな。世代の異なる狩人たちが一堂に会して、お前たちもまた時代の違う城をかまえて」

 耳栓の効果は体験済みだ。なにも聞こえないと思うと、次第次第に心の中をぽつぽつと呟きたい思いにかられていった。
 普段から話していることから、面と向かっては言えないことまで。

「またお前と一緒に中庭を散策したいな。そよ風を受けて、生い茂る葉の匂いを嗅いで、花を噛んだり、木蔭に座って髪を撫でたりして――」

 青年の横顔は未来を幻視する詩人の面影をかすかに宿していた。声はいとしいものにささやきかけるように、低く、甘く、かぐわしい響きに満ちていた。
 お前が起きたらあれをしよう、これをしようと、楽しい空想をめぐらせては唇に思いを乗せた。そのうちに、シモンの表情はひとつの翳りを見せるようになった。皆の様子を話していたときのことだ。
 元気でいるが、その――と、青年は、このさいだからというように、身勝手な願いを口にした。

「できればな――起きたら、そのまま私の部屋へ来て欲しいんだ。ラウンジを通らないといけないことは知っているが、そこにいないとわかったら、すぐにその場を離れてほしい。なぜって――」

 子孫たちや、親類の狩人たちの、頼りになる顔が思い浮かんだ。
 うら若く、健康的な、美しい女性たちの様子が目に浮かんだ。
 麗人のような彼の息子や、圧倒的ともいえる強さの、魔王の生まれ変わりという少年の姿が心を横切った。
 青年と仲の良い、高貴な育ちの未来人の彼の横顔も――。

「皆、強くて、美しくて、頼りになって、とても魅力的だから……その……」

 お前の目はきっとそちらを向くだろう。そのまま気を引かれることもあるだろう。興味をもって、話し込むことになれば、おそらくお前は、私にも見せたことのないほほえみを向けて、そのうちに――。

 シモンは抱えた膝に頭を埋めた。胸を潰す思いを振り払おうともせずに、沈黙した。
 衣擦れの音ひとつさせずに、棺から上半身が起き上がった。
 棺の主は青年を見つめて、無表情に首を傾げた。耳の違和感に気づき、栓を抜く。雨音が“以前よりも”大きくなった。
「シモン」声をかけると、青年ははっと顔を上げた。

「魅力的だから、どうしたと?」

 えっと、青年はそれきり声を失った。訴えるように、伯爵の手に握られている耳栓をまなざしで示す。
 伯爵は水抜きをするように、とがった耳の穴に優雅に指を入れた。
「こんなもので吸血鬼の聴力が変化するとでも思ったのかね」

 ちなみに君が天守に赴いたときから目が覚めていたと、竜公は無慈悲に語った。

「寝たふりをしてこちらの話を聞くなんて、ひどいじゃないか!」

「熱そうな頬だな。途中まではとても心地よい声だったのに、これでは台無しだ。心臓の音も。雨音に混じって胸を潰すような音が聞こえたから起きたというのに、いまはうるさいくらいに激しく脈打っている」

「それ、なら」シモンは真っ赤な顔をこれ以上は見せまいというように、うつむいた。「理由くらい、わかるだろう」

 伯爵は湿気を含んで重くなった青年の髪の毛を、手のひらで包むように静かに撫でた。冷たいと想像していた頭が地熱を思わせるほどに熱くなっていた。
 伯爵は顔を寄せて、青年のこめかみにキスをした。ついばむような音が青い部屋に響き、伯爵はその音も大事にするように、青年をやさしく抱き寄せた。「君以外に、誰も見ていない」とささやいて。

 青年はベッドの上で何日かぶりの愛撫をその身に受けていた。耳に栓を入れて、である。
 バンダナで目隠しをされて、腕を後ろ手に拘束されて、伯爵を内に迎えたまま、その体に跨がされていた。
 自身の鼓動と喘ぎ声しか聞こえない状態で、自ら腰を動かし、絶え間ない快楽に身を濡らしていた。

『わたしは耳に栓をされていた』
『目をとじていた』
『手を組んでいた』

 なにをされていてもおかしくない状態だったと、青年の不躾な振る舞いを咎めるように、伯爵はその耳にささやいた。
 そうして、青年の耳も目もふさぎ、自由を奪い、わずかな支えだけを頼りにして腰を動かすよう、シモンに命じたのだった。
 伯爵は青年の二の腕を触り、胸をもんでは、後穴のとろみを味わった。
 乳首をつねれば青年は甘く高い声を出していやいやをした。
 指の腹でこねるように先端をいじり、爪先でぴんと弾く。

「あっ、あっ」

 きついすぼまりに変じたことに、思わず笑みがこぼれた。青年はそれすらも聞こえないのだ。どんなになじっても聞こえないのなら、ただひたすらに、情熱的に愛し続けよう。伯爵は腿をさすった。青年の動きが止まれば容赦なく尻を叩いた。切なげな声と、屹立して濡れそぼったそれを無視して、胸を責め続けた。

「あっ、んぁっ、あぁっ」

 次はどこを触られるのか、叩かれるのか、シモンは何もわからずに身を揺すった。
 どうしたら満足するのだろう、高みへと導いてくれるのだろう、そんなことを考えながら、闇の中、泣き出したくなる気持ちをこらえていた。

「んむっ」

 口の中に指を入れられた。小鳥をあやすように舌先をすべる一本の指。
 青年は抵抗を示さなかった。それを喜ぶように、伯爵はゆっくりと指を出し入れして、熱っぽい唇の、ニュムニュムという淫らな感触を楽しんだ。
 シモンは頼るものがないまま、従順にそれを吸い上げた。二本、三本と増えてゆくそれを丁寧に舐め上げて、時折、身をくねらせる。
 一番欲しいところに刺激をもらえるように、唇をすぼませて、舌を使った。

 指が引き抜かれた。唾液まみれのそれが触れたのは青年の乳首だった。
 シモンは悔しそうに顔を上向けて、喉をつまらせた。
 気持ちいい。でも。
 ぬるぬるとした指の動きに、シモンはどうしようもなく翻弄された。

「は……はぁ……うっ……」

 青年の息が調子を整えるものに変わり、腰の動きが規則正しいものになっていった。
 どうせ刺激をもらえないのなら、快い部分を見つけて、自分ひとりで達するほかない。
 そんな強がるような、すねた様子に気づいた伯爵は、身を起こして、青年のバランスを崩した。
 膝の裏に手を差し入れて、シモンを真後ろへひっくり返す。

「やめ――」

 大きく開脚させられた青年は、いいように突き入れられるその姿勢の苦しさと、頭の中で明滅するような快楽に、ひ、ひ、と限界に近い声を漏らした。シーツに顔を埋めて、身をよじる。
 さんざんに喘がされる最中に、耳栓を外された。
 あまりの声の大きさに青年は驚き、そして恥じ入った。
 伯爵が目隠しがわりのバンダナを解くと、シモンはぎゅうと目をとじたまま、すすり泣いていた。

「こんな、ことのために、用意したものじゃないのに」

 わかっているよというふうに、伯爵は青年の頭を撫でた。

「とても嬉しかった。心地よいまどろみをもらえたよ」
「起きていたじゃないか」
「夢のなかにいるようだった」伯爵は青年の拘束を解いた。凝り固まった肌を撫でさすり、抱擁のかたちに腕を肩にまわさせた。「できれば、耳栓でなく、君の手で耳をふさいでほしいものだ」

 ふたりはくちづけた。
 熱っぽいキスを何度も交わして、長い突き上げののちに、ふたり同時に達した。
 ぐじゅぐじゅとした結合部が心地よくて、シモンは赤ん坊のように脚をだらしなく開いていた。
 甘えを理解するように伯爵のくちびるが彼をついばむ。中のものがふたたび固くなってゆく。
 シモンは気持ちよさに涙を浮かべながら「あぁ」と喘いだ。
 窓から閃光が見えた。遅れて、部屋を揺るがす雷鳴が轟いた。
 興奮を誘うような雨がざんざんと降っている。
 揺り返しを行うふたつの影が燭台の明かりに大きく照らされていた。

 背を向けて横たわる青年の腰に腕をまわし、伯爵はその手に指を重ねた。隙間に差し入れるようにすると、シモンの肩がびくついた。指の間が弱いことを知っていての愛撫だった。シモンはぎゅうと目をつぶった。ぶるぶると震えて、枕に顔を埋める。「元気だな」固くなったものを見て、伯爵がささやいた。

「お前に触られると、だめなんだ」
「いやらしい体になったものだ」
「うるさい」

 ささやきに抵抗を示すように振り返った青年は「あ」と声を上げた。視線の先には窓が見えた。表面にわずかな水滴を残すのみで、窓の外は静けさが広がっていた。

「一週間ぶりかな」

 シモンの言葉に伯爵は首を傾げた。「一週間?」
 自身が聞いてきた長雨の期間と一致しないように思えたのだ。「わたしは、どれくらい眠っていたのだ?」

「二、三日は目を覚まさなかったぞ」
「なんと――」

 青年と会ったのは昨日のことのように思っていた。
 これでシモンの行動や自身の疑問に納得がいった。
 雨が降っているからといって、彼は二、三日も青年を放ってはおかない。
 長雨は伯爵の感覚を狂わせたのだ。
 深い眠りに落ち込んでいたとは知らずに、神妙な様子で耳栓をはめに来た青年を不思議に思ううちに、このような時が経っていた。
 呆然としたままそのことを話すと、シモンは少しだけ眉を下げて、「よかったな」とほほえんだ。
 もう雨はやんだのだ。すべては済んだことだった。

 ふふ、と微笑を浮かべる青年を眺めるうちに、伯爵はいつもの優美かつ威厳ある表情を取り戻していった。
 そして、心から不思議に思うように、彼の青い瞳をまっすぐに見つめた。

「そのようにほほえむ君をないがしろにして、わたしが誰かほかのものを気にかけるなどと――君はどうしてそんな根拠のない不安に襲われるのかね」

 静かな声は青年の胸に水のように染み渡り――シモンの頬は多少の恥ずかしさと、大きな喜びで朱に染まった。

「自分でもわからないが、その――」シモンは彼の顔を見ることができずに、胸元に視線を落として、こう尋ねた。「お前のその言葉は、私が大切に思われていると、そう受け取ってかまわないのか」

「一番にな」

 君はどうだかわからぬが、と伯爵は意地の悪いことを言った。

「ばか」

 シモンは仕方がないやつだというように顔を上げた。
 そして、唇にキスをした。
 伯爵はそのくちづけを当然のように受け取り、瞳をとじた。

 抱き合うふたりの姿が窓から差す明かりに照らされていた。
 三日月の光がさらさらと流れている。

 終
 13/06/20(木)

 シモンさんに「ばか」って言わせたかったんです。
 指の間が弱かったらたまらないなぁとも。
 お寝坊さんな伯爵様は良いですねぇ……。