夜半(よわ)の寝覚

 伯爵は年若き狩人のなめらかな髪を思い出した。
 その絹のような手触りや、金の円光を生むつややかな色をなつかしんだ。
 会いに行こう。その想いから目が覚めた。

 部屋を訪ねると彼は鏡に向かい、髪を結い上げていた。
 こちらには気がつかずに、手慣れた様子で高い位置に髪を結ぶ。馬のしっぽのできあがりだ。
 青年は息をついた。暑そうにうなじを拭う。汗をかいていた。

「シモン」

 驚き振り向く彼の顔は『また』と言っていた。
 ドアを指さそうとするシモンに対して、伯爵は悪びれる様子もなくこう言った。
「ノックをする吸血鬼もおるまい」

 それはそうだが、という表情のシモンを無視して、伯爵は室内を見渡した。
 窓が開いていた。夜の空気を流していたようだが、部屋は蒸していた。
 熱帯夜に耐えきれずにベッドから起きたのだろう。
 睡眠不足を思わせる青年の火照った肌には細かな汗が噴いていた。
 目をとじ、額を拭うシモンは、急に、用事を思い出したような顔つきになってこう言った。「お前に頼みがあるんだが」

「なにかね」
「髪を切ってほしいんだ」

 ほら、以前にも前髪を切ってくれたことがあるだろうと、シモンはほほえみながらそう告げた。

「あまりに暑いからな――ばっさりと切ってもらいたいんだ」
「ばっさり、とは」
「リヒターやジョナサンくらいに短ければこのような夜も過ごしやすいだろう。いつもより身軽になれば戦いも多少は楽になるかもしれない」

 誰かに頼むつもりだったんだが、お前が訪ねにきてくれたのならその必要もない。頼むよ――という言葉は徐々に小さくなっていった。伯爵の表情が硬いまま微動だにしなくなったからだ。
 そんなになれなれしいことを頼んだだろうかとシモンが不安になるころ、ようやく、伯爵の口が開いた。「切る、だと?」

「君の美しい髪を? なめらかな波を打つ金色の髪を、ばっさりと?」
「そうだ」
「断る」

 切るのも許さぬと、伯爵はシモンの手首をつかんだ。
 互いに厳しい顔になり、シモンは、「なぜお前にそんなことを言われなくては」と睨み上げようとしたが――ふと、つかまれた手首の感触に目がいった。
 月の光が射す遺跡のような――。

「相変わらず、ひんやりしているな」青年は湖の水面を見つめるような静かな表情でそう呟いた。

 伯爵は星がまたたくような思いに至った。
 続けてなにかを言おうとしたシモンの背を抱き寄せ、外套の中に導いた。
 闇の眷属の、その君主にしか為せない、優雅な抱擁だった。
 夜の香りがする。不快さなどかけらもない、神秘的で、厳かな、青い夜の匂いが。

「少しは涼めるかね」
「涼める、だなんて、そんな」

 口をつぐむよう、伯爵は青年の耳元で、しーっと言った。
 シモンは一度目を見開いて、そしてぎゅっと瞳をとじた。
 こめかみに当たるこの感触は――。
 頬の赤みは引かなかった。胸の鼓動は徐々に高く、苦しくなっていく。
 脈のない体。イトスギのような高い背。
 窓から流れる生温い風が、立ち並ぶ木々の葉擦れの音が、彼の胸元では涼風のそよぎに感じられる。
 心地よいはずの低温が、青年の体にふるえを生む。
 肌寒さからではない、恋い慕うものの胸に抱かれて吐くため息として。

 広間の大時計の音が聞こえた。深夜をまわったのだ。
 抱き合いながら次の日を迎えたふたりは、片方が眉を下げた。伯爵だった。
「こんなに熱いのか」と、いまさらながらわかったように。
 それは青年が顔を見上げるような意外な言葉だった。わざと言っているわけではないらしい。
 仕様がないというふうに、理解と思いやりをこめて、伯爵はこう促した。

「これではたしかに過ごしにくいだろう。椅子に腰掛けたまえ」

 いやだ、と青年は思わず口を開いた。
「いや、その」慌てて目線を下げて、そうじゃなくて、と呟く。
「髪は、切りたくない」

 まばたきをする伯爵に向かい、シモンは顔を上げて、まっすぐに見つめ返した。
「お前に髪を梳かれる感触を思い出したんだ」

 髪の毛をくるくると指に巻き付ける仕草や、頭をなでる手のひらのやわらかさを思い出してと、シモンはそれきり口をつぐんだ。

 伯爵はほほえみ、青年の髪の毛をほどいた。
 手ぐしを入れると、髪の毛は少し湿っていて、途中で指がつかえた。
「風呂に入らないか」

 汗をかいたろうと囁くと、シモンは恥じらいながらも、期待を隠しきれない様子で伯爵を見つめた。
 伯爵は思いに応えるように、変わらず優美なほほえみを浮かべていた。
 胸元に抱かれているときに感じた護符の感触は錯覚ではなかったらしい。
 伯爵は外套に手をかけた。

 シャワーの勢いにも紛れない激しさで、伯爵はシモンの尻に腰を打ち付けていた。
 壁に手をつかせて、腰を抱き、出し入れによる連打を楽しんでいる。

 シモンが喘いだ。吐精し、のろのろとくずおれる体を、伯爵が背後から抱きしめた。
 青年の体を痛めないように床へと導き、自らの体温で熱を冷ますように、シモンの全身をくまなく撫でさする。
 しばらくして、伯爵が達した。
 青年の内へと注ぎ込み、くにゅくにゅと名残惜しいように小刻みに挿入を繰り返す。
 あぁ、と青年が泣くような声を上げた。

「もう、出したい」

 腹にたまった精液のことを指していた。
 際限なく求められ、ふたりにもさんにんにも犯されているような回数を達したシモンは、尻を高く突き上げた姿勢のまま、後ろを振り向いた。
「そうだな」と、伯爵はシャワーを止めた。
 お湯に流されることなく、じっくりと、精液が滴り落ちるさまを見るつもりだ。
 シモンは諦めたように瞳をとじて、肉杭が引き抜かれるのを待った。

「ほんとうはベッドの上でこの光景を見たかったが――」

 伯爵は彼の内から身を引いた。そして彼がとまどう隙もなくあざやかに、青年の鍛え抜かれた体を仰向けにひっくり返した。膝の裏に手を入れ、そのまま彼の頭へともっていく。
 下半身が――尻が、宙に浮いた。
 さかさまの桃のようになる体。
 たくましい太腿、勢いの衰えない男根、ひくつく穴。
 すべてが丸見えになるあられもない姿勢と、これから起こることへの衝撃に、シモンは「あぁ、いや、いやだ」と、やめてくれるよう、伯爵に懇願した。

 彼は薄くほほえんだまま、脚の間から、青年を見つめていた。
 シモンはふるえ、涙を浮かべたあと、きつく目をとじた。

 括約筋に力を入れてその瞬間を迎えるのをこらえようとしたが、弛緩した部位は青年の抗いに応えることはできずに――シモンの顔めがけて、内のものを、勢いよく噴出した。

 顔中が白い熱情に犯されていく。
 はしたない音を立てて、二度、三度と放出される精液のシャワー。
 鼻へ、口へと流れ込むあたたかいとろみ。

「あ、あ」

 シモンの表情はすべてを受け入れていた。
 淫らな姿を見られることに喜びを感じていた。
 潤む瞳、かたちのよい唇、それらは男性的な美を失わずに、彼から与えられた愛に浸り、熱く蕩けていた。

 伯爵は青年の男根をやさしく握り、位置を決めて、こすり始めた。
 最後に彼自身の熱情を顔に浴びせるために。

 それは時間をかけずに果たされた。
 今までで一番熱いものが放たれて、青年はそれを口に受けた。
 伯爵と自身のものが舌の上で混じり合う。
 美味しいと、彼は思った。

 尻の穴になにかが当たった。彼が覆い被さっている。苦もなく内に分け入るいつもの感覚。
 か細い喘ぎ声の中、シモンはとぎれとぎれに、「ヴラドの、いっぱい……いっぱい……」と、熱に浮かされたように呟いていた。

 気がつくと、シモンはベッドに寝ていた。
 伯爵の腕に抱かれて、頭を撫でられている。髪の毛をいじられ、くるくると指に巻かれている。
 あぁ、この仕草がとても好きだと、彼は思った。おそらくは、彼もこうするのが好きなのだろう。

「切らないでよかった」

 胸にすり寄り、発した声が、自分でも驚くほど甘かった。
 あやすようによしよしとされると、シモンは急に、汗が浮くような恥じらいを覚えて、彼から離れようとした。できなかった。額にキスをされて、かたく抱きしめられたのだ。どうやら、伯爵のほうが甘い気分に浸りたいらしい。

「寝苦しい夜にはこうやって君のもとを訪れようか」

 よく寝ていたと、伯爵はシモンに伝えた。
 そこではじめてシモンは、室温の変わらない部屋で、心地よく寝息を立てていたことに気がついた。
 ひやりとした体。夜の香りがする首筋。
 やさしい腕枕は肩をしっかりと抱いてくれる。

「お前のその気持ちだけで充分だ」外套の中に導いてくれたこと。熱の逃げない体を心配して髪を切ろうとしてくれたこと。「お前の想いを抱いて横になれば、暑さを忘れて眠りにつけるだろうから」

 そして私も、夢の中でお前のことを想うのだろうな――シモンはふふと穏やかに笑った。
 伯爵は水を掬うように髪の毛を梳いた。
 豊かな髪は金の音色を立てて、さらさらと手のひらから流れ落ちた。
 手ぐしを入れる。指を通す。
 青年の瞳がとじられようとしていた。

「君を想って目が覚めたときは――また、ここを訪ねてもかまわないか」

 シモンは「ん」と、安らぎに満ちた声音で、ゆっくりと答えた。「ノックをしてくれるのなら――」

 伯爵はシモンの髪の毛を梳きながら、どう返事をしようかなと考えていた。その答えを、シモンは耳にしなかった。寝息を立てていたのである。

 腕の中は、静かな夜によく似ていた。

 終
 13/07/10(水)

 あまりに暑いので。
 伯爵様の体はきっとひんやりして気持ちいいと思います。