人形使いが支配する世界。
その一角である降雪地帯に、穏やかな歩調で会話をするふたりがいた。
耳が詰まるような静けさのなか、ふたりが交わす言葉や足音を感じ取ったものは、魔物であれ小動物であれ斉しく陰に身をひそめた。伝説の城主と高名なる狩人がそろって雪景色のなかを散策していたのである。
魔法の本が回転する台座の近くにきた伯爵は「もっと厚着をしたらどうだ」とシモンに向けて本を指さした。
「大丈夫だ」と青年は首元に手をかけながらほほえんだ。年齢に見合わない気遣いをされて困ったというふうに。
代々伝わるマントに身を包んだ彼は、ふだんと違い長衣の鎧下を着込んでいた。手袋やブーツの部分までしっかりと肌を覆うその格好を見ても、伯爵はしばらく不満げに眉をひそめていた。本から新たなマントを取り出して青年をモコモコにくるんであげたい、そうされたら彼はきっと困るだろうから――という妙ないたわりによるいたずら心が芽生えたのだ。その顔つきで察したか、シモンは台座から離れてひとり建物のなかへ戻ろうとした。
「あ、待て」と伯爵は手を伸ばした。
もうちょっとこの景色をともに楽しみたい、掃除機の音が響く場所へなどゆかせるものか――視界に広がる白雪にぴんと閃くものがあり、公は指先から魔力を飛ばした。
青年の目の前の雪原から、ひとかたまりの雪が宙に浮いた。
風を切ってこちらへ飛んでくる雪のかたまりを青年は避けることなく横目で追い、そのまま後ろを振り返った。
伯爵の手のなかにおさまる飛行物体。それは焼き上げる前のパン生地のように丸みを帯びていた。
伯爵は次に木々のほうへ視線を飛ばした。
なにかがちぎれる音がして、のばらの低木に降り積もっていた雪が無造作に落ちた。
手のひらの雪をかかげた伯爵のもとへツバメのように飛来するいくつかの破片。
それらは白いかたまりに突き刺さり、かたちを為した。
ゆっくりと歩んできた青年が目にしたそれは――「なんだ、これは?」
手のひらをのぞきこむシモンに対して、古の城主も思わず口ひげを触って首をかしげた。
「うさぎ、のはずだが」
のばらの赤い実と葉っぱは、丸い体表のてっぺんにそれぞれてんでの方向に埋められていた。
赤い実はサイコロの2のように斜めであり、葉っぱは縦に二枚、垂直に立っている。
「おかしいな、息子が言うにはこの材料で合っているはずなのだが」
「アルカードが?」
「日本にいるとき、弥那という娘に作りかたを教えてもらったと――」
蒼真とかいう小僧の幼なじみという話だが、雪うさぎとはもしや、なにか特別な造形センスがなければ現せられないものなのか――きまじめな顔で沈思黙考する伯爵をよそに、シモンはちょいちょいといびつな雪のかたまりに手を入れていた。
目は左右に揃えて、耳はななめに寝かせて、しかし音を捉えるようにぴんと突き立てて。
「こうじゃないのか」
狩人の手が加わったことにより、そこには立派な雪うさぎが誕生した。
青年の顔と手のひらの小動物を交互に見て、伯爵は気を改めるように咳をした。
「おそらくそうだ」伯爵は続いて「どうだ」と手のひらのうさぎに感想を求めた。
「大胆な特徴の捉えかただな。弥那という子はおもしろいことを考える」
「日本に古くから伝わる遊びだそうだ。本来は南天の実と葉で作るという」
「日本には赤い目のうさぎがいるのか」
「体も雪のように白いそうだ」
「なるほど、だから雪でうさぎを作るのか」
「うむ」
うさぎの背をそっと指でなぞりながら、シモンは顔をあげた。
「めずらしいものを見せてくれてありがとう」
話しているあいだ、青年はまばたきをしたり、目を細めたりしながら、ずっと優しくほほえんでいた。
手のひらのうさぎをのぞきこむ姿勢も寒さを忘れたようにひとつのことに集中していた。
楽しい時を過ごしていると、のばらの実のきらめきのような目がそう伝えている。
伯爵は黙り込み、青年をじっと見つめて、手のひらのうさぎに視線を落とした。
青年が指でなぞったところが溶けていた。
体温の高い青年が触れると、手袋の上からでも雪はすぐさま水に変わってしまうらしい。
伯爵は雪うさぎに指を伸ばし、爪から新たな魔力を飛ばした。
「なにをしたんだ?」
「保存の魔法だ。気温の変化で溶け崩れることはなくなる」
「気に入ったんだな」
ふふ、とシモンは白い息で笑った。
伯爵は凍り付いた湖のように、しんとした表情で青年を見つめた。
まなざしを受けて、シモンは明るい顔のまま、首をかしげた。どうしたというふうに。
「半端に作りかたを聞いたわたしを笑おうとはしなかったな」
「あたりまえじゃないか」
お前がなにかをしてくれようとしたんだからと、ほほえみながら答える前に、シモンは伯爵の――旧友の思いをその表情に見た。
ほんの些細なことだ。けれど、まったく迷惑ではない。むしろ、とても嬉しい。
そういった思いを、青年は汗ひとつ落とさない笑顔で表した。シモンは「もしも、よかったら」と両手を差し伸べた。
伯爵はその手にうさぎを手渡した。この状況においても笑いはしない、大切な人物に贈るように。
「台座は近くにある。預けてはどうだ」
「このまま持ち帰るよ」
「皆にからかわれはしないか」
「どんな反応を見たとしても、誰もうらみはしないよ」
笑顔でいるだけだと伝えるように、青年はうさぎの背をなでた。丸い体は光を受けてきらきらと輝いている。
新雪が伯爵の頬をかすめた時に、青年の腹がぐうと鳴った。
伯爵は青年の顔が赤らむことを予想したが、それに反して、彼は当然といったように、そして申し訳ないといったように眉を下げた。
伯爵は「おい」と低い声で尋ねた。
「まさかうさぎを見て食欲を覚えたのではあるまいな」
「小ぶりだが肉付きは良さそうだからなぁ……このサイズでもシチューにすればいい腹の足しに」
「これは愛玩用だ!」
「愛玩用」シモンは信じられないという様子で目を見開いた。「日本ではうさぎを食べないのか」
「食べる場合もあるが、昔に比べて今はさほど食用としては――ええいよくは知らんし、そんなことはどうでもいい。一瞬の目の保養に対して君はなんといやしいことを」
「いやしいとはなんだ、こちらにとってうさぎは立派な狩りの対象だ。うさぎを見てうさぎの味を懐かしんでなにが悪い」
言い合いをしている最中にも青年の腹の音は止まない。どんどん欲求が深くなっていく。
伯爵はこめかみに手をあてながら、限界に近い声でこう叫んだ。
「ようするに腹が減っているんだな、だからわたしからの贈りものを前にしてそんなことを考えるんだな」
「ほ、ほんとうにいやしいように言うな」
ようやっと顔が赤くなった青年を見て、伯爵はたたみかけるように、しかし少しのフォローも交えて、穏やかにこう告げた。
「なら、いまからわたしのところへ来い。うさぎよりも肉付きのいい具を入れたシチューを食べさせて」
やるから、という声より先に腹の虫が答えた。
恥ずかしさより興味のほうが強い青年に対して、伯爵は「来るんだな?」と尋ねた。シモンはうなずいた。
雪がしんしんと降っている。
一連のさわぎをかき消すような風があたりに吹いた。新雪を舞わせて、ふたりの声を遠くへ運び去っていく。
大きさの違う足跡がその場から見えなくなった頃、草場の陰から赤い目をした白いうさぎがぴょんと飛び出した。
うさぎは鼻をひくひくとさせて、ふたりが歩んだ先を静かに見つめた。
やがて、やわらかな色をした白うさぎは、ひとつの足跡に身をすり寄せた。
平たいくぼみは狩人のつけた皮製の足跡ではなく、歩む姿も高貴な古の城主のもので、うさぎはその爪先へ愛を誓うように、耳を垂下げ、雪上にくちづけるのだった。
終
12/11/19(月)
野薔薇(のばら)。野茨(のいばら)とも。
たぶんシモンさんは「日本ではハトを食べないのか」ということでも驚くと思います。
そしてなんとなくですが、白馬神社にはハトがたくさん集まると思います。
あと、この本の世界で雪うさぎを見てからかうような人もいないと思います。