ほんもの

 それは霧深い夜のこと、在りし世の竜公は、城門前のなかば朽ちかけた石像を見上げて、修繕か建て直しかを思案していた。鞭の殴打か、魔法の弾か、踏みつけによる足跡もあり、傷跡は深く、むごたらしい。

 魔王の討伐という大義名分はあろうが、古の城主にとって、己の欲望のままに侵略行為を重ねる狩人たちは、配下を殺し、宝を奪い、城全体を老朽化させる悪質な存在に他ならなかった。たったひとりを除いては、竜公の目には、野卑で汚らわしい、軽蔑すべき不逞の輩として映っていた。

 この城に挑むものは、同じ時代に生きたあの狩人ひとりでいい。実際にそうなればこの厭世的な気分からも解放されるだろうに、昨日も今日も狩人どもは――。

 鬱々とした精神を落ち着かせるような穏やかな声がかけられた。竜公の忠臣である死神だった。すずしく光る研鎌に似た白い顔を見上げて、何用かと伯爵は尋ねた。

「珍しい品が手に入りまして」

 それは酒だった。濃緑色のボトルにコルク栓がされたワインだ。

「ザガムが申すには、御酒(ごしゅ)を精錬する最後の段階に蓮の花の咲く音が混じり、このようなえも言われぬ芳香のワインに変わったと」

 グリフォンの翼を持つ牡牛、ザガムは、ブエルやレライエと同じように、竜公の配下にある悪魔だ。錬金術に精通したこの悪魔は、水をワインに、ワインを血に変えるという、聖体拝領の儀式を逆さまに演じる冒涜の力を持つ。伯爵の力を維持するのに欠かせないものとして御酒が献上されるのだが、今回のそれは失敗作ではなく、稀少な品と呼ぶべきものだった。ボトル越しにもわかる深い色合いは瓶の底に神秘性が沈まっているかのようで、艶は玉女のほほえみを思わせる。
 伯爵は死神の手から酒を受け取り、やさしく眉を開いた。その横顔はこの稀なる酒をともに楽しむ相手として、あるひとりの青年を想い、微笑をたたえていた。「彼を呼ぼう」

 城主の一室にて、ローテーブルを挟み、向かい合うように座るふたりがいた。伯爵とシモンである。グラスに注いだ神秘的な色合いのワインを掲げて、ふたりは同じ夜を祝した。

 シモンは葡萄酒をまじまじと見つめ、グラスの縁に鼻を近づけた。青年は静かに息を抜き、「すばらしい」と潤んだ瞳で伯爵を眺めた。喉を湿してもう一度、「まったく、すばらしい」とため息をこぼす。語彙の少なさを恥じているのか、早くも酒に酔ったかのように頬を染めた。伯爵はそんな青年を愛おしむようにほほえみ、きわめて優雅にグラスを傾けた。上品に息を抜き、青年を見つめる。不意にしゃっくりが出た。その音におどろき、取り繕うように、伯爵は「君の後進たちのことだが――」と呟き、口をつぐんだ。責任感の強い彼のことだ、城内での暴虐を青年に話せば、悩んだあげくに、罪悪感によって胸を潰してしまうに違いない。もうすでにわかっていることのように、伯爵の言葉に対して、青年は眉をひそめたのだから。

「すまない」シモンはグラスを両手で包むようにしてうつむいた。「あまりにも無軌道な行いはやめるよう注意しているのだが」

「気にするな。君が彼らを罰するわけにもいかぬ」

 戦いにしても公は割り切っていた。相手を殺さねば自分が殺されるのだ。力無いものはその場に倒れるだけ。それは自身にとっても同じこと。

 伯爵はグラスを傾けた。エレガンスとはほど遠い、あおるような飲み方だった。しゃっくりが出た。口元を隠し、まばたきをする。「わたしが城の防衛を強化すれば、このような事態には――」額をおさえ、うつむいた。悩み深い、切ない息が漏れた。「――うむ」

 シモンは伯爵の様子を不安そうに伺った。「ヴラド」伯爵の膝へ手を伸ばし、顔をのぞき込もうとして――次の瞬間、勢いよく上げられた顔の、その表情を見て、ぎょっとした。目がすわっていた。吸血鬼にあるまじき頬の紅潮と息の酒臭さ。ほんの一杯グラスを傾けただけで、竜公は、酔った。

「君の像を作りたい」

 勢いよく、しかし、芯を斜めに打ったようなふらりとした言葉も、青年にとっては脈絡のないものに聞こえた。

「狩人とは、英雄とはかくあるべきという象徴的な像をこしらえて、城門前に設置するのだ。いざ魔王を討ち果たさんとする若き狩人たちが、思わず己を律するような迫力と美に満ちた全身像を、ぜひ、君をモデルとして!」

 落ち込みから一転して多少は建設的な思考になったのはいいが、シモンは解決策にはならないような気がして――そして自身があまり乗り気ではないため、このように、やんわりと断った。

「私はお前が言うほど美しくはないし、身なりも武骨で、みすぼらしいから、彫刻のモデルになど向かない」

 言い切らないうちに、シモンの手が力強く握りしめられた。ローテーブルに膝が乗っている。身を乗り出した伯爵は、無念そうに、愚かさを諭すように、「なにをいう、なにをいう」と、潤んだ瞳で、シモンをじっと見つめた。
 震える手を青年の頬に寄せて「君はまだ自分の美しさを理解していないのか。竜や鷲に匹敵するほどの誇り高い、力強い体躯に、神秘性のある顔立ち。それらは光のような精神性と相まって君の全身を輝かせているというのに」

 これはまずい、とシモンはうっすらと瞳を細めて、伯爵の興奮を鎮める方法はないものかと考えた。しかし、頭を使おうにも呆として、うまく考えをめぐらすことができない。悪い兆候だ。伯爵は無意識のうちに眼力を発しているのか、シモンの体は徐々にしびれを覚えてきた。真正面にある眼が薄く朱色を帯びている。

「もちろん、君のいうこともわかる。軽鎧とはいえ武骨な身なりは気になるものだろう。安心したまえ、わたしの着想は君の憂いを完全に払拭する。服も宝石も、余計なものはなにもいらないのだ。君という存在はすでに最高のものとしてこの世に現れているのだから。聡明にして勇敢なる友よ、わたしの考えを祝福してくれるな? そう――君の生まれたままの姿を英雄の像として再現するつもりだ」

 つまり、全裸――裸夫像とでも呼ぶべきか。

 いよいよまずいとシモンの鼻筋に汗がにじんだ。しびれに屈しないように伯爵を睨みつけるも、声は出なかった。竜公の調子はとどまるところを知らず、声は歌うように高らかなものとなってゆく。

「すばらしいものになるぞ。アポロン像やダビデ像のようなポーズを取らせるか――いや、既存のポーズは君に対して失礼だ。もっとこう、狩人の勇壮さ、たくましさを表現するにふさわしいポーズがきっと」

 稲妻にも似たひらめきに衝撃を受けたように、伯爵の薄付きの手のひらが垂直に開いた。

「そうだ、強大な城とその城主に立ち向かわんとする決意ある後ろ姿が――鞭を振りかぶり地面を踏みしめるポーズがふさわしい。1986年にゲームのパッケージ絵として描かれるような、君の肉体美が一番映えるポーズをとってもらおう。もちろん、裸で!」

 一枚の布も身につけていない状態で鞭を持てというのか。いくらなんでも異常すぎる状況ではないか。
 実際にそんな像が創られて悪魔城の城門に設置されたらどんなことになるか――恥辱だ。どんなに精巧に創ろうが、蔑視の対象になることは間違いない。
 伯爵の恐ろしい夢想をやめさせようと、シモンはとうとう、「いいのか」と、乾いた喉から声を絞り出した。

「お前の配下はおろか、ほかの狩人たちにも、その――私の、裸が見られてしまうんだぞ」

 酒に酔ったのではない。驚くほど冷静だから、こんなに頬が赤くなるのだ。
 顔を真っ赤にしながら睨み付けるシモンを見て、伯爵の頬はすうっと熱が引いた。白くなるどころか真っ青になるような冷気が自身の内から生まれたのだ。
 伯爵はソファにどっかと腰を下ろした。無表情になり、声を落として、「いやか」と尋ねる。「当たり前だ」と声が返った。

 しかし、こんなにも青ざめているのに、伯爵はまだ彫造の夢を捨てきれないでいるようだった。
 口元を隠すように思案し、目だけを青年に上向けて、「もしもその、なんだったら、わたしの部屋にだけ飾るというふうにも」と提案した。

 シモンは大きなため息をつき、大股に回り込んで、伯爵のソファに膝をついた。そのたくましい掌でぐいと首根っこごと振り向かせて、伯爵に口づける。熱を分け与える甘美な音が部屋に響いた。
 シモンは秘めやかに顔を離し、男性的な魅力をすべて集めたような、静謐かつ甘いしびれを起こさせる表情で、伯爵にこう告げた。「酔い覚ましだ」

 唇から毒を吸われたように、悪夢を醸した酒の影響が伯爵の内から抜けていった。
 首元の感触の、乱暴かつ情熱的な思いに応えるように、伯爵はシモンの頬をやわらかな手のひらでそっと包んだ。瞳をとじ、熟しきった大人のキスを返す。角度を変えて、何度も何度も。
 三日月は沈まない。憂いのような霧が晴れてゆく。

 数日後、城門前の修繕された彫刻はそれきり壊されなくなった。
 どうしたのかと狩人たちの変化をシモンに尋ねると、彼は笑ってこう答えた。

「アルカードに相談したんだ。なんといってもお前の息子だし、普段は無口だが、やはり皆が言うことを聞くような先導者の素質があるからな」

 どうしたのかは知らないけれど、皆の和を保ちながら、その士気を良いほうへと向けてくれる――心からそう言うシモンを見て、伯爵は様々な思いが沈澱した静かな表情を返した。

「君の思いもきっと――」いや、と伯爵は言葉を濁した。そして、まなざしをまっすぐにして、きっぱりとこう言った。「息子の働きもあろうが、先達である君をならって皆も態度を改めたに違いない」

 シモンは伯爵の思いを酌み取るように「そうだな」と微笑を返した。眉を下げていた。
 伯爵はシモンの横にならび、その手を取った。あたたかい手のひらだった。頭を寄せると、シモンも首筋に顔を近づけた。
 外套の襟元に隠れるように、ふたりはひそひそと、楽しげにこう言った。

「やはり実物がいい」
 シモンは伯爵の手をぎゅっと握り返した。「私も、そう思う」

 終
 13/05/30(木)

 蓮さんへのお誕生日祝いとして当初は小説をと考えておりました。
 リクエストを受けて書いてみたいという気持ちがありまして、頂いたのが『ドラシモが一緒にお酒をのんでいるお話を』というものでした。
 思いついたお話が、こういう飲み方じゃない(リク外れ)というのは百も承知でしたので、事前にあらすじをお話して書き始めたのでした。(リクとお時間頂きありがとうございました!)
 初代パケ絵のすばらしさはもうね、悪魔城ドラキュラのすべてを物語っている傑作ですよね。
 改めまして、お誕生日おめでとうございました!