今年もまた例年どおりに騒がしい――嵐童は眉間に皺を寄せたが、その表情は普段と変わらないので、彼の不快さに気付く家臣はいない。新年ということで楽も踊りも華やかに、きらびやかに、思い思いに飲んで騒いで、来るべき春を言祝いでいる。
上座では彼の弟、27代目当主の月風魔が、ほんのりと赤い顔をして、脇息に軽く身をもたれながら酒を飲んでいた。
弟にとってはこの空気は苦痛ではないらしい。
兄に比べたら弟は要領が良く、場にも馴染みやすい性格で、損にならない程度に人付き合いをする。
何事もそつなくこなす弟は、家臣に気を遣わせることもなく、終始和やかに宴を楽しみ、頃合いを見計らって外の風に当たりに行く器用さを持つ。
自分もそうできたらと嵐童は思う。
ただ険しい顔をして酒を飲み、早く場が開けぬかと待つばかりの自分を、周囲の者も見て見ぬ振りをする。
座る場所も本来逆であるはずの兄と弟の、難しい立場のほうに好き好んで話しかける者はいないのだ。
が、今日はしこたま酒を飲んだ外弁の男が、なにやらおかしいように兄と弟を交互に見ていた。
兄弟でこうも違う立ち居振る舞いを見て、ははぁ道理でと言うようにわざとらしく俯き、口角を上げる。
今の立場も当然であると、兄弟を肴に酒を飲んでいるのだ。
嵐童は思わず手に力を入れ、二寸盃の水面を一瞬揺らめかせた。
口に出すことなく雄弁に語るそのいやらしい眼差しに盃を投げつけたく思ったが、嵐童は強ばった顔のまま男を見つめるだけに留めた。
月氏一族きっての実力者である嵐童は、その気になれば眼光だけで相手を心底から寒からしめることができるが、今宵は宴の席なのだ。まわりも怯えさせたあとに再び祝宴の雰囲気に戻すことは難しい。楽しく飲んでいる弟のことも思うと、不穏な空気にすることは避けたかった。
先ほどのことは忘れるから、もうそのような態度は控えてほしい――嵐童はそう告げる誠実な面立ちで男を見つめた。
しかし男はどうということもなく蕪の粕漬けを口に運んでいる。
そういう視線も貴方様の悪い癖なのですよねと、嵐童の眼差しをものともしない様子で。
男の余裕は隣に27代目当主がどっかりと座ったことによって一変した。
驚き戸惑う外弁の男が思わず息を止める酒臭さ。
とろりと据わった目に顔半分を占める赤い色。泥酔している。
弟は向かいの席から調子っぱずれの大きな声で兄に呼びかけた。
「随分この男を見ていますねぇ、兄上! 何か気に入る点があるのですか?」
嵐童はへらへらと笑う弟を呆然と見ていた。
兄の視線をよそに弟は、慌てる家臣を扇子で小突きながらこうも言った。
「この男に気を取られて全然わたくしを見てくれないじゃありませんか! せっかくの宴だからいつもより上等な着物を着てきたのに、褒めてくれもしないで!」
言い終わる前に嵐童は立ち上がり、弟を家臣から引き剥がした。
完全に引き剥がされる直前に弟は男の頭を扇子ではたいた。(妙に力のこもった音がした)
なおもいやいやをして「兄上のことを一番好きなのは私なんですからね」とわけのわからないことを喚く弟を引きずるようにして大広間を出る。ざわつく宴会場の音を背中で聞きながら、弟を連れて当主の部屋までのしのしと歩いた。
弟に頭をはたかれるあの男を見て多少気がスッとしたが、こんなことを許しておくわけにはいかない。
当主の自室の障子を開けると用意が良く布団が敷いてあった。宴のあと、すぐに休めるようにとの配慮だろう。
嵐童はそこにいささか乱暴に弟を抱き下ろした。
「酔いが冷めるまで横になっていろ。あとで話がある」
厳しい声音でそう言ったが、立ち上がろうとする前に、袖口をしっかりとした力で掴まれた。「兄上」その力はどこか必死で、真に迫ったものだった。
「戻る必要はありません」
平静な声に驚いて相手の顔を見ると、先ほどの赤味はどこへやら、弟は澄んだ眼差しをこちらに向けていた。兄を見つめる表情は労りに満ちている。
「ここで少しお休みになりませんか。私が離してくれなかったと言えば皆も納得するでしょうから」
月の光を思わせる白いかんばせ、耳に心地よい秀麗な声。そこに酔いは欠片もなく、兄を想う気持ちが見て取れた。
「其方――」嵐童は弟の意図を知ると、気遣わしげに表情を曇らせた。「馬鹿なことを」
「いいんです。酒の席のことですし、それに」風魔は自身の膝の上でぎゅっと拳を作った。「兄上にあんな無礼な真似をする者がどうしても許せなくて――」
かっとなってしまいましたと弟は呟いた。
「申し訳ありません」絞るような声でそう言って俯く弟の拳に、嵐童はそっと厚い手のひらを重ねた。
ぬくもりのある優しい力で甲を包むと、弟のこわばった体がほぐれていくのがわかった。
嵐童は弟を抱き寄せた。
首筋に顔を埋めて、厳しくも慈しみに満ちた声貌で呟く。
「私のことはいい。自分を大事にしてくれ」
風魔は兄の背に手を伸ばし、肩口に顔を埋め、きれいな額を甘えるようにこすりつけた。「貴方よりも大事なものなど無いのです」兄からのあたたかな抱擁に涙ぐむような声音だった。
「ここに居てください」弟は酒の力を借りずに言った。もとより嘘偽りのなかったことを。「兄上のことを一番好きなのは――」
嵐童は弟を優しく抱き伏せた。布団に広がる曼珠沙華のような赤い髪。額に口づけ、頬に、唇に、想いを込めて接吻をする。障子から透ける月の光が、肌を重ねるふたりを美やかに照らしていた。切ない声を上げて自分を求める弟のことを、兄は心から愛して、何度も抱いた。
翌日。
弟の言うように、皆の反応は「酒の席でのことだから」というもので、兄の心配は杞憂に終わった。
どうも周りの者も何があったのか理解していたようで、兄弟が宴の席を抜けたあと、外弁の男は周囲から随分責められたらしい。
機転を利かせて兄を助けた当主と、事を荒立てようとしなかった嵐童の評判は高まり、この件以来、兄弟の立場を揶揄する者はあまり見なくなった。
そして嵐童も思う。
やはりどこか敵わないところがあるなと、縁側で穏やかに桜を眺める弟を見つめながら。
視線に気付いた弟は隣にいる兄へ微笑んだ。月や桜も恥じ入るほどの美しい微笑は兄だけに向けられていた。
2022/03/02(水)
3月6日の弟の日……ということで、そんな感じの嵐風小説を。
以前Twitterで呟いた『宴会の席で兄を助ける弟の話』でした。
改めてネタメモを見たら小説向きのネタだなと思ったので、実に5年ぶりに小説を書きました。
長らくやっていなかったことをやらせてしまうUMパワー。凄いですね。嵐風は良いものです。