1、2、3…

 ケシの種38700粒をかぞえたところでシモンの部屋のドアが開いた。
 朝の祈りも身支度も済ませた高名なる狩人が古の城主を見つめている。
 吸血鬼であるドラキュラ伯爵は、ミニテーブルに置かれた食器トレイの中のケシの種を10時間以上かけてかぞえていたのだ。
 本の世界に朝は来ないが、ドアの横にケシの罠を仕掛けたシモンは、吸血鬼の来訪によって妨げられることのない充分な睡眠時間を確保することができたのだった。

 椅子に座ってケシの種をかぞえることに夢中になっている城主はシモンのことなど見もしなかった。テーブルと椅子を設置したのはシモンの善意からだろう。1本のケシの花から取れる種は約3790個。人が1時間にかぞえることのできる数はおよそ3870。15本ぶんのケシの種をトレイに並べたので、まだまだ時間がかかるだろう。そう判断したシモンは、朝食を摂るために皆の集まる食堂へと向かった。

 食後のお茶を飲みながら、皆と何気ない会話を交わしたシモンは、体作りのための運動と日課の鞭振りをこなして自室に戻った。伯爵は相変わらずそこに居て、種かぞえは終わりを迎えようとしていた。

「56800、56801、56802……」

 いくら本の世界の混沌を鎮めても、章の始めに戻るように、城の脅威は抹消されることなく、ページを隔ててそこにあった。真祖である遠い未来の彼を完全に討ち果たさねば、邪悪な記録を消し去ることはできないのだろう。役目を終えなければ、ここから出ることもかなわないのだ。常に攻略に挑んでいるものの、進展はわずかなもので、狩人も魔王も、長い時間をこの世界で過ごしていた。

 古の城主と高名なる狩人も、現世では考えられないほどの年月を共に重ねるうちに、本来の立場からやや逸脱した関わりを持つようになった。
 有閑は互いへの余裕と興味を生んだ。
 敵対する間柄ではあるが、言葉を交わすことが多くなり、一つのボールがあれば、それを互いに軽く投げ合うくらいには親交が深くなった。
 雪玉を的に命中させるのを競ったり、ジャベリンで池の魚を捕る狩人の手腕を拍手で讃えたり、そういった緊張の緩和が見られたのだ。

 以来、伯爵はたびたびシモンのもとを訪れては、自然発生的な遊びに興じていたのだが、部屋に招かれるまでには至らず、こうしてケシの種で足止めを食らっていたのである。迷惑も顧みず就寝中に来訪するものだから、シモンが罠を仕掛けるのも仕方のないことだった。

「56850」

 伯爵が喜びにあふれた顔を上げた。最後の一粒をかぞえ終わって意気揚々と椅子から立ち上がる。部屋に居るはずのシモンと目が合い、「おのれ」と伯爵はみるみる不機嫌な顔になった。

「ケシの花が自生するところを見つけたな。場所を教えろ、焼き払ってくれる」
「教えるものか」

 シモンはあきれた様子で瞳を伏せて食器トレイを片付けにかかった。
 ケシの種は炒ってパンの表面にまぶそう。中に餡を入れた調理法を試してみたい。31個ぶんくらいは作れるだろう。
 図書館で見た本に異国のパンの調理法が載っていた。

「たしかあんパンとか言うんだ」

 シモンは伯爵を調理に誘ったが、気分の悪い伯爵はその誘いを断った。が、焼き上がりの良い匂いと、怒りでも消せなかった異国のパンへの興味に引かれて、数時間後、シモンがいる台所へと現れた。

 シモンのほうから伯爵のもとに出向くこともあった。
「同時代のよしみで」ということで、天守やその奥にある伯爵の私室へと繋がる秘密のエレベーターを教えてもらったのだ。
 城を踏破しなくとも直接城主のもとを訪問することができるこの機械は、いつでも開いているわけではなく、伯爵のその日の気分によって錠の有無が決められる。シモンは鍛錬でも消化できない時間があるときは、このエレベーターの様子を見に行った。無駄足の日もあれば開錠されている日もあり、そんなときはエレベーターに乗って伯爵のもとを訪ねに行った。

 古の城主はバルコニーに居た。
 青白い月明かりに照らされて、手にはナイフを持っている。刃先をすっと手のひらに滑らせると、鮮血が薄い膨らみとなって流れ出た。同じように傷つけた両手の平を聖杯でも捧げもつように夜空へ掲げると、吸血コウモリが何千匹と伯爵の手のひらに群がり、我先にと城主の血液を舐め始めた。これは餌付けだ。やかましいはばたきの群れを、まるで竪琴をつまびくように手をひらめかせて、一匹一匹を慈しんでいる。
 三日月の光のせいもあろう。おぞましくもどこか不思議で、美しい光景だった。

「1、2、3……」

 伯爵は黒いはばたきを見上げながら数かぞえを始めた。無数のものが目の前にあるとかぞえずにはいられない。足止めにも使われる吸血鬼特有の弱点だったが、この伝説の吸血鬼は数かぞえ自体が純粋に好きだった。

 コウモリの中でも特別獰猛で、他を押しのけてでも主の血を得ようとした一匹が、その姿に変化を生じた。みるみるうちに巨大化し、大鷲ほどの体躯の大コウモリに成長したのだ。凶暴性を持つこの個体は、主の血と相性が良かったのだろう。血となじむ優秀な個体は城を守る兵士として生まれ変わり、あるべき場所へと配置されるのだ。
 力を得た大コウモリは、自身の役目を果たすべく、バルコニーからはばたいていった。

「223、224、225……」

 今宵選ばれたのはあの一匹だけだった。
 忌まわしい鞭の音が鳴り響いたのだ。
 それは空中で炸裂した誰も傷つけないものだったが、小さいコウモリたちを怯えさせるには充分な威力があった。
 手のひらの傷はふさがり、名残惜しげにコウモリたちが離れていく。あぁ、まだ数え終わっていないのに――伯爵はそんなふうに目を細めて、三日月の向こうへとはばたいていくコウモリたちを、姿が見えなくなるまで見つめていた。
 はばたきの音が風にかき消されるころ、伯爵はようやくシモンに目を留めた。
 ごくりと喉を鳴らす伯爵を見て、シモンは聖鞭を張る両手に力を込めた。

「性懲りもなくあんなことを」

 伯爵の凝り固まった視線がすぅと落ちついていく。無傷の手のひらをひらめかせて、伯爵は静かに腕を下ろした。

「腹を空かせた鳴き声が聞こえてきたものだから、つい」
「餌付けのときは死神を傍につけるように言っただろう」

 300を数えるころには目の前が暗くなると言っていたじゃないか――そう言ってシモンは呆れたように鞭を腰に絡げた。

 以前にもコウモリたちへの餌付けの最中、数かぞえに熱中するあまり、止めどきを忘れて、シモンの前で倒れたことがあった。あのときは1000をかぞえただろうか。大コウモリは次々に生まれたが、守るべき城主は月よりも青白くなって、冷たい床の上でぶつぶつと数の続きを呟いていた。今回もそうなる予感がしたので、シモンは聖鞭の音でコウモリたちを追い払ったのだった。

 シモンは伯爵の私室に戻り、テーブルの上に置かれたワインクーラーに手を突っ込んだ。氷で冷やされたトマトジュースを手に取り、伯爵に渡す。黙って受け取った伯爵は『せめてワインを』と思ったが、なにも言わずに口をつけた。食塩入りの赤いのどごしが体中に染みわたる。
 伯爵は青年の首筋を見た。たくましく力強い、熱い脈を打つ首筋を。

 エレベーターの錠を解いたのは、餌付けのあとの栄養補給として、良い餌を招き入れるためのものだったが、なぜか牙を立てる気にはなれなくて、伯爵は二本目のトマトジュースに口をつけた。

 シモンへの興味は尽きることがなかった。
 暇な時間があれば狩人のもとへ出向き、なにかしらの新しい反応を得ては、不思議な気持ちで古城へと帰っていく。

 シモンは誰もいないラウンジの床にあぐらをかいていた。武器の手入れをしているらしい。丸めた背中の向こうに斧が見える。刃先を拭ってはいるが自分の血の匂いがする。大コウモリを仕留めるのに使用したのだろう。伯爵はシモンのもとへ歩み寄った。

 今手入れをしている武器はL・クロスだった。
 苦手な形を見て伯爵は目を逸らした。シモンは振り返る様子もない。見るのは嫌だが、このまま帰るのもなんとなく腹立たしく思えて、伯爵はシモンの後ろに背を向けて座った。背中合わせの格好だ。伯爵は不機嫌もあらわにこう尋ねた。

「おい、その武器磨きはいつ終わる」
「始めたばかりだ」
「せっかく訪ねに来たんだぞ。止めようとは思わないのか」
「話なら聞いてやるから好きなだけ話せ。作業を止めるつもりはない」

 そう言われても話題など思い浮かばなかった。興味を向けてくれない相手に何を話せというのだろう。攻略は進んでいるか。食料に不自由はしていないか。壁の中の肉は美味いか。どれもこれも口にするのもくだらなく思えて、伯爵はむすくれるほかなかった。

 今日ここを尋ねに来たのはなぜだったろう。
 会いに行けばなにかしらの進展があるのではと期待したのだ。
 この乾いた敵同士の関係に、朝露のようなきれいな潤いが生まれることを求めて。

 今はまだなにも生まれる気配がなかった。
 沈黙を持て余した伯爵はあちこちに視線をさまよわせた。せめて時間を埋めるだけの目に付く物体がないだろうか。数かぞえを始めずにはいられないほどの無数のなにかが。

「暇そうだな」シモンが様子を察して声をかけた。「誰のせいだ」と伯爵はすねたように言葉を返した。

「なにもない部屋だ。物が少なくて数かぞえもできはしない」
「お前がかぞえるのは目につくものだけなのか?」
「どういうことだ」
「自分の年齢でもかぞえたらどうだ。しばらく退屈せずに済むんじゃないか」

 伯爵は考えるように視線を上向けた。そしてすぐに「自分の歳を覚えているとでも思うのか」と不機嫌に返した。

「だろうな。うん、すまない」

 伯爵はフンと息をついた。「お前の歳は?」

「私の歳をかぞえるつもりか?」

 すぐに終わるぞという言葉を伯爵は沈黙で制した。どうなりと暇つぶしの糸口を見つけたいのだ。シモンは歳を思い出すように視線を上向けた。こちらも自分の年齢をあまり気にしたことがないらしい。えーとと呟いて、返ってきた言葉は「38」という数字だった。

「38?」伯爵は思わず肩ごしに振り返ってシモンの顔を見た。張りのある肌、若々しい目つき、髪の毛の豊かさ。どう見ても20代そこそこである。「見た目のわりにずいぶんいってるな」
「いってるのがどうした。それに、だから言ったろうに。かぞえるのもすぐに終わるぞ」
「まぁ待て。ものは試しだ」

 伯爵はシモンの背に寄りかかりながら「1、2、3」とかぞえはじめた。「4、5、6、7……」

 この吸血鬼はものをかぞえるのが好きだった。
 10をかぞえるまでに狩人の少年時代を想像した。
 20をかぞえるまでに狩人の強靱な意志に思いを馳せた。
 30をかぞえるまでに狩人の命みなぎる戦い方を思い出し、38で終わるころ、背中のぬくもりを肌で感じた。背中からも伝わる命の鼓動。

「あぁ、つまらない。本当にすぐに終わった」

 たったの38か。ついでなのだから、見た目に反してもっと長生きしていればいいものを。

 そう口に出して、伯爵は背中の傷に思い当たった。自身が付けた深い傷。現世で約束された忌まわしいしるし。これから先、狩人を7年ものあいだ苦しめて、死に至らせようとした呪いの傷のことを。
 自分は今、いずれ浮かび上がるであろうその傷跡に寄りかかりながら好き勝手なことを言っている。

 しんとする空気の中、伯爵は決まり悪そうに姿勢をずらした。背中から身をどかそうかと思って、なんとなくそれもできずに、わずかに斜めにずれて身を固まらせていた。
 シモンは黙々とクロスを磨いていた。
 堪えると思って黙っているのか、あるいはどう返せばいいものかと考えているのか。もしくはなんとも思っていないのか――伯爵は幾分乾いた唇を開いた。

「39、40、41」

 シモンがいぶかしげに後ろを見た。「42、43、44」数かぞえは続いていく。

「どういうつもりだ?」

「45、46、47――わたしの予想では、シモンは長生きするとわかっているから、続きをかぞえているんだ――48、49、50」

 シモンはまばたきをして、数をかぞえあげる伯爵の、どこか必死な横顔を見た。そして小さく笑った。あたたかく、潤みある表情だった。

「長生きはするつもりだ」

 シモンはクロス磨きに戻った。

「後進たちの育成に力を注がねばならん。そのついでに、お前の数かぞえの時間を長引かせることができるようにもな」

 伯爵は一瞬黙って、彼の言葉の意味するところを噛みしめようとしたが、胸からこみ上げる妙な嬉しさを自覚するまいと、前よりも声を大きくして数かぞえに戻った。

「61、62、63――えい、まだ磨き方が終わらんのか――64、65、66」

「そうだな――あまりじじいになるのも嫌だから、100を迎えるまでに終わらせるとするよ」

 数かぞえはその通りに終わったが、100をかぞえるまでの時間は、これまでにないほどに充実としたもので、二度とは訪れてほしくないくらいにこそばゆく、今だけの嬉しさをはらみながら、ゆっくりと流れていった。

 17/01/18(水)

 弱点ではあるけれど、数をかぞえるのが大好きな伯爵様はかわいいなと思い……。
 伝承では一夜にひとつしかかぞえられないとか色々あるみたいですが、うちでは普通のペースでかぞえられるようにしました。
 シモンさんの年齢は『ハイパースポーツDS』からの年齢設定です。プロフィール画面に記載されているんですよ……。