黒くそびえ立つ城の門前でひとりの狩人が腰に絡げた鞭を握り、昏い空を見上げている。
巨竜をも狩る意思を秘めたまなざしが目的と定めているのは天守に棺を置く伝説の吸血鬼だ。
強大な力をもつ魔王は、邪悪な心を持つものたちの祈りを受けて、百年に一度、禍々しい城とともにこの世に復活する。混沌の城は出現と同時に暗黒の雲をあたりに生じさせる。人間界への侵攻のはじまりだ。統制のとれた魔物たちによる強固な防衛機構を持つその城を、人はいつしか悪魔城と呼んだ。
闇の世界に君臨しようとする悪魔城の城主を討ち果たすために、狩人――青年、シモン・ベルモンドは、一条の鞭を手に、城へ足を踏み入れる。三日月の夜、コウモリは妖しくはばたいている。
燭台の炎は彼の鞭に力を与える。吸血鬼を滅ぼすことができる聖なる武器、Vampire Killerは、炎を打ち、そのエネルギーを自身の力と変える。
異界の地において鍛え上げられた武器は闇に巣食うものをことごとく討ち果たす。父ゆずりの聖鞭を操るシモンは、一歩一歩、迷い無く歩み、目的の地へと進んでいく。
異形のものたちは彼の勇気を鼓舞するかのような音楽を聞く。彼自身に流れる命脈のような、熱い血の逸りを鞭の閃きによって耳にするのだ。侵入者を屠るための数々の凶悪な罠をくぐり抜け、狩人は天守へと到る。
鎌のように光る三日月が狩人を見下ろしている。長い階段を上り、青い部屋に踏み込むと、闇の中からひとつの首が浮かび上がった。
赤い瞳、白い牙、凶暴かつ冷厳な空気をまとわせた世にも高貴なる顔が狩人を見据える。青年は目を逸らさない。
長身痩躯、内に竜を思わせる鬼気を秘めた豪然とした偉容が目の前に現れる。
伝説に語られる竜公だ。
シモンは十字を背にしたような堂々とした立ち姿で一条の鞭を両の腕に張り詰める。光が見えるようだった。その光を打ち払うように、竜公は真紅のマントから貴やかな手をひらめかせた。三つに分かれた炎が放たれた。狩人は飛びすさり、火の玉をかわすなかで、竜公の首めがけて鞭を振るった。重々しい一閃は魔王の身体に傷をつけた。どんな傷を負おうとも一瞬のあいだに欠損なく回復してしまえる吸血鬼の身体が、痛撃を癒すことなく裂傷を見せてわなないている。聖鞭は星の光のような神秘的な輝きをたたえていた。
空気を切り裂くような猛攻が続き、ついに城主の首が床に落ちた。それで終わりではなかった。自ら肉体を引きちぎるように内から弾けた魔王は、厳つく、巨大な、碧い体躯の化け物に姿を変えた。
重々しい音を響かせながら、厚い肉体は跳躍し、狩人を蟻のように踏みつぶそうと激しく迫った。竜のかぎ爪を思わせる長い腕を振り回し、青年を追いつめたが、シモンはひるむことなく聖水を投げ、清い炎を立ち上らせた。
動きを止めた魔王に対し、青年は情け容赦のない連打を放った。一撃一撃が重く、熱く、美しい――それは血潮のような生命の鼓動を打ち鳴らした。命の火を燃やしての鞭の一閃はついに魔王の魂を討ち払った。
鮮やかな血の色の炎を上げて滅び去る伝説の吸血鬼。
これまでに搾取した命の塊とも思える紅い玉が虚空に浮かぶ。
脈打つ玉を手に取ると、窓から光が差し込んだ。闇は払われたのだ。城の崩壊が始まる。
崖の上にそびえ立つ城は一夜にして崩れ去った。清廉な朝の空気が世界に広がる。英雄の名とともに、一区切りの平和を祝福するように……。
門前に戻ったところで、シモンはスイッチを切った。
「見事だ」と背後から声がした。ゲーム画面を眺めていた伯爵の声だった。「さすがにやりこんでいるだけはあるな――ミイラ男も死神も、そしてわたしも聖水で焼き払うところは感心しないが」
あまりにパターン化したおもしろみのないプレイだと伯爵は言った。シモンは少し申し訳ないように唇をとがらせた。「聖水でないと、クリアできる気がしないんだ」そう言いながらイジェクトボタンを押し、ディスクカードを引き抜いた。悪魔城ドラキュラ――1986年に発売されたゲームタイトルが表面に記されている。
混沌の産物である悪魔城は時代を超越した品々を城内に現出させることがあった。
ふたりは時折発見されるゲーム機やソフトを集めては、竜公の私室で、それら自分たちの戦いの記録とも呼べるゲームを遊んでいた。
魔王と英雄の名を世界に知らしめた、すべてのはじまりとも称されるこのタイトルを遊んでいたのには理由がある。人の世でいえばもうすぐこのソフトが発売される日が近づいていたのだ。
深夜(この世界では常闇であるが)に集まり、その日を迎えた時点で今一度記録を確かめてみようではないかと、伯爵はシモンにプレイを促した。そしてゲームオーバーになることなく世界に平和をもたらしたその腕前を褒め称えはしたが、同時におもしろみがないと批判した。
魔王に後ろからじっと見守られるという緊張感あるプレイを強いられたうえでのこの評価――シモンはなんとなくいやになって、その場にごろんと横になった。「こら」という声にも身動きひとつしなかった。テレビのスイッチが消された。腕から伝わる自身の脈動を計りながら、シモンは物思いに耽るように瞳をとじた。いつもより早い血の流れ。碧い体躯が討たれたときの光景が目に焼きついて離れない。
これは数ある伝承のなかのひとつの記録だ。数多あるソフトの中では、このとおりではない戦いが映し出されたこともある。
人が作ったのだから当たり前だが、記録は必ず自分を中心に描かれていた。邪悪な心をもつものたちの祈りによって蘇る竜公――その立場に想いが至るように記されたものはあっただろうか。魔王の鎮魂を願う自身の祈りは伝えられているのだろうか。時々、よくわからなくなる。ずっとあと、これより7年後の戦いを記したものを調べたとき、その言葉少なに語られた伝承にはじめて心安らぐ想いを得たが――シモンの清虚な表情へ歩み寄るような、やさしい衣擦れの音がした。やわらかな手指が伸びる気配がして、髪を梳かれた。頭をなでられ、耳をなぞられる。シモンは金色の房を耳にかけられる感触に心地よさを覚えた。理解し、なぐさめるような手つきが嬉しかった。絶対悪として討たれる自分をじっと見据えたあとに彼はいつもこのように青年を労る。「見てみたまえ、今宵も月が綺麗だ」
シモンは目を開けた。格子がはめこまれた巨大な窓から鏡のように光る三日月が見えた。水晶を思わせる透きとおった光は窓から部屋へ差し込んで自分たちを青く照らしている。さらさらと流れる月光の音が水のように甘く冷たく胸に沁みた。心臓の鼓動が穏やかなものになっていく。ゆるやかな時に凜とした言葉が挟まれた。それは一輪の薔薇を思わせた。
「これから先、この世界から解き放たれたとき、覚えているかどうかはわからないが――」伯爵は青年の頬をなでながらこう言った。「君を尊重しないものとは充分な距離をおきたまえ。自分をなめるものとはなにがあっても付き合ってはいけない。それが人生を豊かにするうえでの最も大切なことだ」
なぜ急にそんなことをとシモンは顔を上げて、身を起こした。不思議そうに伯爵の顔を見つめるも、その月を見上げる美しい横顔には曇りひとつ見られなかった。わかりきったことというように、確信を持って青年に助言をしているのだった。伝えておきたいことは数多くあるが、これだけはすべてにおいて確かなことと判断したのだろう。互いの立場を顧みて、なおも彼の隣にいるものとして。シモンは言葉を含むように首を傾げ、眉を下げたあと、ひとりでに、この世にはどうにもならないことがあるという、諦観にも似た、寂しげな微笑を浮かべていた。「大丈夫だ」と、伯爵の想いを素直に受けとめて、シモンはこう言った。
「私のことは一番にお前がわかってくれている。理解したうえで、尊重してくれる、かけがえのない存在だ。そんな相手と心通じ合えたことは、きっとこれから先も覚えているだろうから、その記憶があれば、なにがあろうと生きていけるさ」
そして、とシモンは伯爵の手を取り、握りしめた。振り向いた伯爵の顔をまっすぐに見つめながら、励ますような笑顔を向ける。「私も、お前の一番の理解者でありたいと――そう、思う」
断言はできないところが情けないが、とシモンは口をつぐんだ。
伯爵はまばたきをひとつしたあと、もう片方の手を差し伸べた。青年も手を添えた。竜公は青年の手を握りしめて、瞳をとじ、額を寄せた。冷たい筋金にかたちのよい額が当たる。その感触は青年を勇気づけた。
「きっと」シモンは唇を震わせ、いいやと声を絞り出した。
「お前の一番の理解者は私だ」
誰になにを言われてもかまうものか、お前はこんなにも力強く、高貴な存在なんだ――お前の友でいられることを誇りに思う。
互いの拳を握りしめて、長く瞳をとじていた。額はやわらかな重みを感じて、互いの胸に、心地よいゆらぎに身を任せているような、静かなぬくもりを生んだ。鼻が当たり、見つめ合ったとき、ふと、聞き慣れたはばたきが辺りに響いた。
見ると、一匹のコウモリが手紙を後ろ足に掴んで部屋の隅ではばたいていた。伯爵はおずおずとしているコウモリにその手紙を持ってくるよう目線で合図した。手紙が伯爵の手のひらにそっと落ちた。黙って中身を改めたあと、伯爵は「帰りたまえ」とひと言告げて、シモンに手紙を見せた。そこには皆を代表したアルカードの流麗な文字があった。
“最も高名なる吸血鬼狩人へ――”
城門まで見送ったあと、伯爵は青年の後ろ姿を見つめながら満足気に微笑んだ。
「君は皆に尊重されている」
人々に吸血鬼狩人の偉大なる功績を知らしめた青年の、記念すべき日を祝したいと、手紙にはそう書かれていた。だから早く帰ってくるように――簡潔に、しかし思いをこめて綴られた息子の字を思い返しては、竜公は嬉しそうに、なんの心配もいらないといったように、誇りに満ちた微笑を浮かべるのだった。
終
13/09/26(木)
初代悪魔城ドラキュラ発売日おめでとうございます。
間に合って一安心です……よかった。