「ばかな。この、わたしが」
天守に絶叫が轟いた。
本の中の悪魔城の城主が、黒い霧となって滅びを迎えた。
中空から金色に輝く宝箱が降りてくる。
中身はクロス。無用の品だ。
シモンは聖鞭を腰にからげ、その場をあとにした。
ラウンジには皆が集まっていた。
快活な青年、ジョナサンがシモンに向かい労をねぎらったあと、「シモンでも無理か」と、軽く肩を落とした。
何度悪魔城の城主を討ち果たしても、再度、本のしおりをはさんだところへ戻されるように、この城は消滅せず、異なる時代の英雄たちが集う場所へと帰されてしまう。「いけると思ったんだけどな」との声に、あいまいに返事をしながら、シモンはうつろな表情を窓に向けた。
「どうしたんだ?」
「いや」窓の外を見つめ、彼はその天候のような曇った顔をしてこう呟いた。「なにか――大事なことを忘れているような気がして」
「みんな、記憶が曖昧だからな」
気にすることないぜ、ここから出られたら元の生活に戻れるんだ――たぶん。
言葉のわりに沈痛な表情を浮かべるジョナサンを見て「どうした」と今度はシモンが尋ねた。
「気にすることはない――そうはいったものの、俺にも気がかりはあるよ。ここじゃあなく、同じ時代に会するやつも何人かいるだろう? リヒターとマリアとか、蒼真とヨーコとユリウスとか。アルカードは上の奴ら全員と見知ってるし。俺とシャーロットももちろん同じ時代の人間だ。でもな、元の世界の記憶を探っても、ここで過ごしたことなんて一切記憶にないんだ。アルカードに聞いても答えは同じ、どうでもいいようにあしらわれた(まぁそれはいつものことだけど)。ここだけは本当に別物の時代としてあるようなんだなって。だからさ」
ジョナサンはシモンと同じく、窓の外を眺めた。
「もしも元の世界に帰れたとしたら、そのとたんに、ここでのことを全部忘れてしまうんじゃないかって」
けっこうみんなと仲良くやってたからさ、忘れるのを残念に思ってたんだ。
ジョナサンが自分の感傷を隠すように、両腕を頭のうしろにまわした。
シモンは窓のふちに手をかけながら、その様子を見つめていた。
「せっかくみんなが集まったんだからさ、本に記録するみたいに、元の世界でも、ここでのことを覚えていられたらいいのになぁって」
ジョナサンの言葉に、シモンは「そうだな」と、悲観を感じさせないうなずきを返した。
その表情にはなにか、とほうもない力の存在を信じているような、確証のない思いがあった。
それがなにかは、思い出せない。
広大な城のなかにある部屋を各々勝手に使って、(孫の経験を活かして、シモンはこの環境にも、快適な家具を勝手にそろえるなどして、大変すばやく順応した)かりそめの生活をしているのだが、シモンはその日、自室に戻らなかった。
眠れる気分ではなかった。
城の外へ出て、かぎりある敷地内を行けるところまで行こうと、彼は夜の散策に心を決めた。
もちろん、安全地帯である自室やラウンジ以外の場所へ出かける時には武装で行動する。聖鞭やその他の武器を確認し、彼は外へ出た。
風が吹いていた。
髪を梳くほうへ向かおうと、彼は金色の道しるべに従った。
冷たい風は霧も払わず静かにあたりを流れている。満月が密度の濃い夜気を照らしている。時おり蝙蝠のような影が空を飛びかい、せわしない羽音をたてていた。鬱蒼とした森。魔物の喉からもれるような甲高いすりぎり声。土や枝葉は少しの湿り気をおびていて、靴底から肌寒さを覚えさせた。
どこまで続くのかわからない森を歩いていると、前方の光の加減が目に入った。月夜には違いないが、青い光景はしんとした静寂に満ちていて、森の中よりも冷たい明かりとして感じられた。
空間が歪んでいるのだろうか。シモンはそちらへ向かって歩み続けた。
森を抜けると、天にはもうひとつの月が浮かんでいた。先ほどまでとは違うかたちの、張りつめた弓のような輝き。三日月だった。
どうやら今までとは異なる場所にきたようだ。そう思うよりも早く、青年は、目の前に唐突にそびえたつ城門に既視感を覚えた。
数ある悪魔城のなかでも古代の雰囲気を――いや、シモンにはなじみのある空気を――感じられるこの城は、間違いなく、彼の時代に復活した悪魔城だった。
自分がいまいる世界に呼ばれたのはこのためか。腰に手をあて、はるか先の天守を見上げながら、シモンは気を引き締めた。目的達成のための歩みを一歩もゆるがせはしない、力ある横顔だった。
黒ひょうやゾンビが侵入者を迎え撃つはじまりも過去の記憶と一致していた。
大こうもりやミイラ男が落閉(おとしだて)の向こうに待ち受けるのを見て、どうやら敵の配置は当時とほとんど変わらないまま一冊の本に記載されているらしいとシモンは思った。他の空間とちがい、ここまでもれなく記録されている悪魔城が存在するとは――シモンはフランケンの頑健さに対して、顎を噛みしめながら鞭を振るった。
敵の配置や生命力、攻撃に移る俊敏さ、天守までの過酷な道のり――この城はどの記録よりも強大な存在だった。道中で得られる宝は見たこともない価値ある品だということが理解できた。壁から出てくる得体の知れない肉にかぶりつけば、気力がわき、運をも味方につけることができるようだった。アックスアーマーの放つ斧を叩き落とし、階段をのぼり、研鎌の冷たいかおりのする空間へ向かう。
死神がいた。
互いに無言で武器を振るい、方々へ身をかわす。その真っ黒い眼窪はなにを考えているのかわからない。ただ、天守へは向かわせまいと空中に鎌を出現させて、こちらの身を切り裂こうとしていた。シモンはそれらひとつひとつを鞭で破壊し、死神の降り立つ場へ聖水を投げ、清めの炎をたちのぼらせた。
過去の経験をもつシモンの技が死神の力を上回った。伯爵の腹心である死神は赤い炎を上げてはじけちった。
狩人は歩みを止めない。
大こうもりの群れや、最後の障害である時計塔を抜け、青年は天守に続く階段に至った。
三日月がすぐ近くにあった。
青い夜もあの頃と同じだった。
空気が変わる。一歩一歩に緊張がみなぎる。
天守の扉が開いた。
深い青色の空間に巨大な棺が安置されていた。
中央の暗闇から音もなく浮かび上がる城主の首。伝説の存在が狩人を見た。
その目は己の過去の一切を尋ねはしないというように、侵入者に対する闘争心と攻撃性をあらわにして、紅く染まっていた。
首から下、全身を蘇らせた吸血鬼が、その手をひらめかせた。
闇と破壊の力をこめた炎が、目で追うのも困難な速度で、天に舞い上がる。
一撃を避けられず、シモンはうめき声を上げて後方に飛んだ。
狩人のブーツが床を咬む。体勢をたてなおした彼は地を蹴って、伯爵の首に鞭を振るった。
覚えのある一撃を城主に見舞っても、彼の記憶は蘇らなかった。
炎を避け、地を蹴り、鞭を振るう。
同じような単純かつ精緻な攻防を互いに繰り返したのち、伯爵の首が床に落ちた。
一度、鞭を握るその手が止まった。
わずかな間のあと、狩人の顔は相手を打ち据える厳しい表情に戻った。
伯爵の衣が破れ、青い体躯の化け物が、そのいかめしい姿を現した。
複雑性を増した炎の乱舞。のしかかられたら骨が砕けるだろう巨体が迫る。
突進、跳躍、それらを避けるシモンの身のこなしは鮮やかかつ、躍動感にあふれていて、胸の鼓動が聞こえるような血のはやりに満ちていた。
伯爵が笑ったようだった。
すべてを噛み砕くような口を開き、凶暴な腕を振り回して、狩人に火の玉を放とうと――その途中で、鞭の一閃を受けた伯爵は、赤い炎に変じて身を散らせた。
狩人の勝利だった。
上空から金色に輝く宝箱が落ちてくる。青年はむなしいような目でそれを見つめていた。部屋の中央にある宝箱は神秘的な音を立てて、中身の解放を願っている。シモンは微動だにしない。
『なにをしている、シモン』
天守の暗闇から声がした。身をひるがえし、どこから届いた声かを確かめようとするシモンに向かい、その声は続けてこう言った。
『それは一種の記録の境となるシンボルにすぎん。中身をあらためぬことには、この状態がいつまでも本に記録されてしまうぞ』
さぁ、早く――。
その声に従い、シモンは宝箱を開けた。
L・クロス。大きな戦力になる、古の狩猟具だ。
シモンはそれを懐にしまい、急いであたりを見まわした。呼び声が聞こえた。
闇にまぎれるようにして、五体満足の城主が棺のうしろにもたれていた。
疲れたように瞳をとじ、その高貴さを失わせぬ居姿で、青年がくるのを待っていた。
シモンは伯爵のもとへ膝をついた。
抱き起こす手をまだいいというように制して、伯爵は息をつき、そして目をあけた。
「相変わらず強いな、君は」
旧友を見つめるような表情だった。
同じことを思う静かな面立ちが涙を浮かべた。青年はひとこと、彼の名を呼んだ。
「ヴラド」
青年の頭を抱き寄せ、公はその火傷のひどい身体をいたわるように、瞳をとじた。
ラウンジに戻ったシモンは、作りのいいソファにふたりで腰掛けた。
青年の見慣れぬ同伴者に、たまたまその夜を起きていたシャノアが、彼に話しかけた。
「そちらの方は?」
「ヴラド・ツェペシュ。ドラキュラ公だ」
彼女には理解しがたい状況だった。
長い黒髪をさらさらと斜めに傾けて、シャノアがどういうことかともう一度尋ねる。
シモンは悪びれもせずにこう言った。
「ここのような別の世界でもよく会っていたんだ。何度か戦ううちに互いに打ち解けてしまって」
「別の世界?」
「次元も異なるたくさんの英雄が集う世界だ。ワイワイと、それはそれはにぎやかでな」
無感情なシャノアは考えた。
神聖をおびた最も高名なる吸血鬼狩人となると、ここ以外のさまざまな世界へ召喚されるものらしい。
強大な力をもった伯爵にしても同じことなのだろう。
混沌のきわみのような世界において、同じ次元からきた相手とひかれ逢うのは、人の性質に叶ったものなのかもしれない。
しかし、その相手がよりによって竜公とは。
「あなたは変わった方ですね」
はは、とシモンは慣れたように笑った。「よく言われる」
隣に座る伯爵は、青年のために用意したエクスポーションの栓を抜いていた。神薬を無言で青年の火傷痕に振りかける伯爵という、理解を超えた存在をまのあたりにしたシャノアは、こうも考えた。
これはなんといった関係だったか。
シャノアは自分の兄弟子が教えてくれた様々な関係について、ふたりに一番見合うような感情を思いだそうとした。
そうだ、たしか、あれは。
友情という、貴重なものだ。
立場も身分もまったく異なる状況で、よく――。
「みなにはどう説明するつもりなのですか?」
斜めに下げた視線でしばらく考えて、シモンはこう答えた。
「同じように言うしかないな。みなが起きてくるまで、ここに座って、彼とつもる話をする。そういう姿をひとりひとりに見せるさ」
「平安を願っております」
殺伐とした雰囲気になれば私も仲裁に入りますから。
ありがたい言葉に素直に感謝し、シモンは「おやすみ」と笑みをかけてシャノアを見送った。
夜間の豊かさを思わせる広大な空間に、意味をなさない時計の音が響いている。
動くものや空気を揺らがせるものは、ふたりのほかに誰もいない。
互いに隣同士に腰掛けているだけで、なにかが満たされていくようだった。
青年の手当が終わった。伯爵が口を開いた。
「あの説明で納得するとは、あの娘も相当変わったやつだな」
シモンはふっとおかしいように笑った。「あの娘も、か」自分たちのことを言っているのかという笑いだった。
「言葉以上にお前の様子を見て納得したのさ。黙々と狩人の怪我の世話をする魔王なんて、ほかのどこにもいないからな」
「まぁそれに、別の世界で会っていることも事実だしな」
「しかし、みなは信用するかな。もう怪我は治してしまったし、どんな態度でのぞめばいいか――別世界という話も信じてもらえるかどうか」
伯爵はソファの肘掛けにもたれかかり、片眉を上げた。
「話の信憑性を高めるために、もうひとり、英雄を呼ぶか」
「誰のことを――その前に、そんなことができるのか」
「君と仲のいい奴がいただろう。風魔とかいう、女顔の。あれもちょくちょく同じ場所で目にするからな」
それに、と伯爵は目線をそらさず、彼に伝えた。
「君と同じ時を過ごせるかどうかがかかっているのだ。一夜のうちに一万年の時を超えて、ひとつの世界を引っ張ってくるなど造作もないことだ」
おそらく、不可能はないはずだ。
彼の力を何度も見てきたシモンは、頼もしい友を見るように、ゆっくりとうなずいた。
ふと、その表情がなにかに思い当たったように色を変えた。
どうしたと尋ねる伯爵に向かい、シモンは気になっていたことを話した。
「未来のお前にも会ったんだが、私のことは覚えていないようだった。記録によれば先ほどまでいたあの城はお前とこうして通じ合うようになる以前のものだし、そこにいたお前はなぜ」
話を遮るように伯爵がそのやわらかい手のひらを見せた。つまらないことを言うなと、退屈しているかのような表情で。
「未来の自分など、こういってはなんだが、赤の他人も同然でな。なにを目的に蘇ったのかも知らぬし、特別会いたくもない。きりがないほどわきあがる謎も、孫の記憶まである君が疑問に感じることではないだろう」
ここでの生活をどうしているのか、帰り道に伯爵に尋ねられたシモンが、各々勝手に部屋を使っていることを話したのだ。そのさいに孫のことも話した。ジュストの経験は自分の役に立って、城での生活を快適なものにしていると。
考えれば考えるほど、このお祭りさわぎのような状況は説明がつかなかった。
だから彼はよけいなことを思い煩うなとそう言ってくれたのだろうが――。
「それでいいのか?」
「それでいいんだ」
きっぱりと告げ、伯爵は窓辺に立った。異なる世界を引き寄せ、本に記録させようと、念をこらしている。
邪魔をしないように、シモンはソファに身をしずみこませた。
懐から古の狩猟具を取り出し、細微な装飾を眺めて、呟く。
「やっと会えたなぁ」
そうだな、と背後から声が届いた。
長い時を越えての再会に心から感じ入っている、友情をこめた返事だった。
終
12/06/24(日)
とりあえずの再会話。
こんなふうに淡々とした会話が好みだったりします。