あちらのほうでも

 ラウンジの隅で、ふたりは地べたにあぐらをかいていた。
 シモンと風魔だ。一方が話し、一方が聞き役にまわっていた。
 滔々と話す声は穏やかだが、熱がある。
 風魔はひょうたんの栓を抜いた。盃は空だった。手酌を気にもとめずにシモンは話し続けた。

「ヴラドの炎は峻烈さの中にも優美さがあるんだ」

 調子が出てきたように拳を作り、壁を見上げる。

「未来のあいつが放つ炎が大海のうねりなら、私が知る竜公の炎はムクドリの群舞だ。知っているか、何万羽にもおよぶムクドリが群れをなしてはばたく光景を。空の半分が黒い波に覆われるんだ。生態をよく知らないものが見れば悪魔の翼と思うだろう。肌がざわめく圧倒的な迫力と神秘性、そして美しさ。しかしあれは竜のつばさのほんの一部だ。すべてを焼き尽くす炎の息吹が竜の顎から放たれれば、狩人どころか、城や、この世界をも破壊しかねない。そう、力は精緻に、閃くように使うものだ。あいつの炎にはそんな意思を感じ取れる……」

 風魔は黙って聞いていた。盃に口をつけ、長いまつげを下に向け、ときおり息を抜く。いつものことだ。この年若き狩人は竜公の話になると口がやまない。つかまったが最後、敵であるはずの魔王の話を親しげに、畏敬の念すらこめて延々と聞かされるのだ。最初はぽつぽつと、自然と大胆に。風魔は一連の流れになれきっていた。青年の立場も知っていた。誰かに話したくても相手が相手では、思いが腹にたまってしょうがあるまい。そう考えれば、いくらでも聞く気になれた。どこから持ってきたのか知らないが、青年の持参した酒が尽きるまでの間だが。
 しかし、と彼は切れ長の目でシモンを眺めた。

 戦いを終えたばかりなのだ。
 火の玉を受けたのか、胸当ては丸くひび割れ、焼け焦げている。
 腕も腿も薬によって癒えたものの、負傷による血の臭いはぬぐいきれていない。
 腰に絡げた聖鞭はしんとして、銀の輪を幾重にも重ねた、力ある、虹色の波を打っていた。竜公の話に対して、冷たい意思を示すように。

「未来に伝わっているお前の姿は無口という印象があるのだが」

 風魔は鞭に促されるように呟いた。「実物は違うものだな」

 いままさにやりあってきたのだろう、どうしてそう敵の技量を褒めるような話をする。
 風魔は負傷した部位に視線を投げかけてシモンの話を制した。
 青年は口をつぐみ、しばらく考えてから、こう答えた。

「語らずにはいられないほど、その――」胸を押さえて、呟く。「熱くなるんだ。あいつのことを思うと」

 憎しみなどひとかけらもない言い様だった。
 風魔は盃を空け、ひょうたんに手を伸ばした。シモンはそれを制して、風魔の盃に酒を注いだ。「もう少し聞いてくれるか」
 容姿も相変わらず端麗でなと、シモンはまるで誇らしいように古の城主の容貌について語り始めた。

 青い夜空に包まれたあるひとつの城、その天守にて。
 棺から闇が復活しようとしていた。
 古の竜公だ。足元から影が集まり、霧のように細かい粒が徐々に伯爵の体を為していく。棺に横たわる城主の、その美しい顔までが再生され――すべてのはじまりは何事もなかったかのように再生と滅びを繰り返す。

 棺の蓋が内側から開けられた。彼は音もなく上半身を起こし、忠臣の姿を目にとめた。『お加減は』と尋ねる死神に向かい、小さくうなずく。

「これが他の狩人に討たれていたら気分も悪いが」

 伯爵は手のひらで優雅に首をなぞり、「見事な一撃だった」と呟いた。惚れ惚れとした声で、誇らしく思うような響きで。
 あぁまたかと死神は、続く伯爵の言葉を、そのシアンのローブのように風に流す気持ちで聞いていた。

「彼の鞭さばきは本物だ。正確で力強く、無駄がない。対象を仕留めるのに余計な動きひとつしない。知っているか、彼は鞭を振るうとき、その唇を弦のように引き結ぶのだ。声を荒げることなど決してしない。なぜなら気合いはすでにその身にみなぎっているからだ。射貫くような眼光はわたしの目の光を見てもゆらぎひとつ起こさず、怒りも恨みもない正の力あふれるその体躯は堂々たる音楽が聞こえてくるようで、わたしは思わず、月よ、星よと命じたくなるのだ。彼を照らせ、その姿をわたしと対峙するにふさわしく在るようにと。武骨な身なりに包まれた美しい意志、まごうことなき輝きを放つ金色の髪……」

 死神は黙って聞いていた。鎌を持つ指先をほんの少し曲げて、柄をこする。いつものことだ。我が主はあの高名なる狩人の話になると舌に妖精の蜜を受けたかのように饒舌になる。加減を伺うはずが、そんなことはどうでもいいとばかりに、敵であるはずの狩人の話にすりかわるのだ。はじめから調子を上げて、次第に自分の世界に閉じこもるように、瞳をとじて。死神は一連の流れになれきっていた。主の立場も知っていた。誰かに話したくても、近しい者でなければ、そうそう胸の内を明かすことなどできはしない。自分を討った相手のことを、誠啓の念すら込めて配下に話すなど――そう考えれば、いくらでもという気持ちになれた。ふたたび、この城に狩人たちが攻め入ってくるまでの間だが、死神はこの時間を厭うことはなかった。できることならば、戦いの余韻に浸る主をいつまでも見守っていたかった。
 しかし、と彼はぽっかりとした眼窩で主を眺めた。

 口に出すつもりはないが、あの狩人より技量も容姿も優れた者は何人もいる。主と狩人の仲が特別な関係にあるとはいえ、主の興味がほかの誰にも向かないことに対して死神は常から不思議に思っていた。
 なにが主の心をそんなにも惹き付けるのか――
 伯爵の笑みが聞こえた。

「まったく、燃えさせてくれる――」

 伯爵は額を抑えてそう呟いた。満足そうに、感慨深げに。

 嗚呼。
 死神は自身の考えを見抜かれていたようなその呟きに、心の内で嘆息を返した。

 実に簡素な答えだった。
 ほかのどの狩人が主にあのような言葉を紡がせられようか。
 死神はまばたきをしたいような思いにかられた。

 あの狩人に対しては色を変えて挑むものがほかにもいる。
 遙か未来でのことだが、このような話を聞いた。
 狭い壁に囲まれた不利な地形でもかまわないと、狩人を迎え撃つのに名乗りを上げた悪魔騎士たち。
 槍を振るい、炎を吐く彼らは本来、屋内での戦闘に力を発揮する。
 狩人たちに突きを避けられかねない屋外や、火の玉を壁に遮断される塔での戦闘は本来不向きなのだ。
 それでも青年との再戦を望む騎士たちは、高揚とした面持ちで狩人の前に立ちはだかる。

 彼との対峙は、燃えるのだ――心の底から。

 考えてみれば、騎士たちだけではない。
 あの狩人が足を踏み入れたその時に、この城は変わる。
 風は戦ぎ、魔物たちの息には逸りと緊張が入り交じる。
 空気は徐々に密度を増して、闇と血の匂いを強くする。
 狩人は進む。目的の遂行のために、迷いなく。聖鞭が閃く。炎が舞う。狙い澄ました鞭の一撃。
 そして音楽が鳴り響く。
 すべてのはじまりを告げるこの世界の、なににも代え難いものとして。

「さて、迎えに行くかな」

 は、と死神は自身の追想から目が覚めたように主を見つめた。
 いつのまにか棺から身を起こしていた伯爵は、いまにも鼻歌を歌いかねないうきうきとした表情で、プリーツタイの位置を直していた。
 呆れたようなまなざしの死神へ片手を上げて、「料理の支度はできているか」と尋ねる。
 死神は諦めたように『はい』と答えた。
 しばらく何事かを考えたあと、公はちょいちょいと死神を手招きして、こう囁いた。

「一度彼の血の逸りを満たしてやるとな――あちらのほうでも、燃えるんだ」

 まぁ燃えなかったことなどないが、それでもいつも以上に反応が良くてな。
 わたしの思いに応えようと必死でがんばる彼の姿は大変愛らしくて、わたしもついつい無理をさせてしまう――城主として、彼には精のつくものをたくさん食べさせてあげなくてはな。

 城主の部分はまったく関係がなかったが、伯爵は自身の役目として、やる気に満ちた鼻息をついた。
 死神はふだんよりも死の影が濃くなった目で(嗚呼)と話を聞き流していた。

 いっぽうその頃。
 シモンは風魔から、伯爵の話と似たようなことについて尋ねられていた。
 すなわち「燃えるのか、ん、どうなんだ?」というようなことを。
 風魔の顔はすっかり真っ赤になっていて、シモンはといえば、酒を飲んだわけでもないのに頬が朱に染まっていた。
 厄介なのは自制心を失った風魔ではない。
「そんなことを答えられるわけがないだろう」と絡み酒から懸命に逃れようとするものの、うっかりすればベッドの中のこともぽつぽつと話しそうになる自身の惚気た心を、シモンは危うく感じるのだった。

 終
 13/07/07(日)

 HDでの第10章、ハードモードの伯爵様の炎は大変お美しいなと感じまして。
 これは対峙する関係とはいえシモンさんもあの美しさについて語ってしまうのではないかしらと思いまして。
 となると自然に伯爵様のほうでもシモンさんの鞭さばきやその姿についてデス様に語っているのではと思い……。
 スランプ中で筆が進まなかったのですが、なんとか形にできて一安心です……。