今日を見せて

 眠っているときの彼は表情豊かだ。
 棺の中ではどうだかわからないがと、シモンは隣に横たわる伯爵の寝顔を見てそう思った。
 その日一日の行動が睡眠中にはっきりとした影響を及ぼすらしく、伯爵は青年と過ごした日にはよく寝言を言うようになった。むにゃむにゃから始まり、笑ったり泣いたり、名前を呼んだり、それ以上のことまで。すぐそばの彼がそうであるから、シモンは夜中にふと目を覚ましたときに、昨夜に愛し合った相手がどんな夢を見ているのかを想像しては、そのいとおしい寝姿から充実感を得るようになった。
 こうして夜中に目を覚ますようになってしまったのは、伯爵の寝相があまりに興味深く、眠れないほど魅力的であるからにほかならない。

 いい年をした大人、しかも相手は伝説の吸血鬼と呼ばれる古の城主の寝姿に、はじめにきゅんときたのは、彼とそり滑りをしたある日のことだった。
 雪が降り積もった山岳のとある場所で、装飾も立派な質の良い材木で作られた大きなそりに乗って、ふたりは白銀の斜面を滑り降りた。

「ヴラド、そのままいくと段差が」
「まかせておけ」

 大ジャンプ。
 雪片を巻き上げて青紫の月光にきらめいたふたりは衝撃もわずかな見事な着地を果たした。
 腹部にまわされた手の感触を心地よく思っているかのような伯爵の笑顔はゴーグル越しに見てもすばらしく様になっていた。
 そのような感じで、次はどちらが前に乗るかで少しのけんかをしたり、すぐに仲直りをしたり、そこはいつも通りで、年甲斐もなくお互いにはしゃいで大声を上げたり、木にぶつかって雪まみれになったりと、とにかく何度も何度も楽しく滑走を続けたふたりは、近くに構えた伯爵の別荘で汗を流したあと、暖炉の火であたたまりながら談笑を交わし、早々に同じ寝床についたのだった。

 滑走の楽しさは眠ってからも彼の心と体を刺激し続けたのだろう。
 かすかな音を聞いて目を覚ましたシモンは、隣を見て、そのぼんやりとした目をぱっちりと開けた。彼がくすくす笑っているのだ。そりの手綱を握っているようなやわく曲げた手を胸の上でゆらめかせながら、時々体を動かして、口髭を愉快に震わせていた。
 ふふふ、ふふ、どうだシモン――むにゃむにゃ。
 シモンはその無邪気な寝姿にぽうっと頬が熱くなるのを感じた。

 翌朝、伯爵は自分にしっかと抱きついて眠るシモンを見て首を傾げた。
 顔を動かすと肌が乾いたような感触がした。まるで熱烈なキスを受けた頬が唾液の乾燥によって引きつれたかのような、実になじみのある感触だった。
 シモンを引きはがすのに苦労しながらも、まんざら悪い気持ちはしなかった伯爵は、愛が高まった理由をあえて聞かずにシモンを朝食に誘った。
 頬を赤らめてうつむきながら食事を摂る彼を見ると、伯爵の胸には青年へのいとおしい気持ちが込み上がった。食器が立てるわずかな音と、茶器からのぼる白い湯気。伯爵は品良く黙ったまま、彼が朝食を終えるのを見守った。彼だけの秘密を尋ねるという無粋な真似はしたくなく、互いにきっと、今だけのあたたかな空気をそのままにしておきたかったのである。

 また、印象に残っている出来事として、前とは別な胸の締め付けを覚えたこともあった。
 あらゆる年代の道具が集まる混沌の城の中で、ふたりはあるゲーム機を見つけた。すべてのはじまりから七年後のシモンの戦いを描いた、吸血鬼狩人のその後の記録とも呼べるゲームソフトだった。
 元祖のディスクシステムではなく家庭用ゲーム機や携帯機でも遊びやすいように少々の改良を加えたそれを試しに遊んだところ、伯爵もシモンもやがて気まずい顔になった。

 一見床と変わりなく見える落とし穴、嘘の入り交じった最小限のヒントなど、理不尽な要素が詰まったそのゲームは攻略しづらく、時間の経過によってエンディングが変わる内容で、最初に遊んだときはほとんどのプレイヤーがバッドエンドを迎えることになる。そしてふたりもそうなったのだ。戦いの末に伯爵を葬ったものの、呪いによって生命力を削られたシモンはその後幾日も経たないうちに死亡してしまう。英雄の血が絶える結末を見た伯爵は無言で二週目を再開し、次は簡単にグッドエンドを迎えた。
 (データがそのまま引き継がれる二週目は楽に本来のエンドを見ることができるのだ)
 自分の手が墓石からわき出るシーンを見た伯爵はフンと鼻息をついて「色々と理不尽な気もするが、まぁ君の本来の姿――わたしの墓前で宿敵の安寧を祈る姿を見られるだけでもこれは充分に価値があるゲームだ」と感想を残し、電源を切った。

 今日はここに泊まっていくようにと強引に引き留められたシモンは、まぁかまわないがと答えて、その後熱烈に求められた。
 性急なキスは切なさを覚えた。甘くも激しい愛撫を身に受けながら、シモンは熱と想いを分け与えるように、彼と一心に愛し合った。

 その夜、どこか胸にくるような、不穏な空気の揺らぎを感じて、シモンは目を覚ました。
 見ると伯爵は唇を引き結んでいた。
 鼻を震わせて、聞くものの心に突き刺さるような声を喉の奥で上げていた。
 泣き声だった。涙は流れないが、あきらかに悲しんでいる。
 かわいそうに下がる眉毛、ひくつくまぶた。「シモン――シモン」

 シモンは彼の頬に触れた。伯爵の表情がぬくもりを感じたようにやわらいだ。
 ぎゅっと抱きしめると、それまで強ばっていた体が力をなくして、夢も見ない深い眠りに落ちるように、ゆっくりとベッドに沈み込んだ。
 シモンの顔には誠実さと少しの悲しみが現れていた。
 あれもきっと、どこかであった記憶なのだ。自らの呪いを成就した彼はなにを思ったことだろう。
 笑ったか、呆れたか、空しい気持ちを抱いたか――それとも苦悩し、少しの涙を流したか。そしてそれを見せつけられた昨夜の彼は。
 青年の祈りを受けても蘇るわたしに救いはないと言ったこともある。
 らしくはないが、彼らしいとは一体どんな気持ちでいることなのだろう――そんなことを思いながら、シモンは彼の胸に身を寄せた。そして大事なものを隠すように、伯爵の体を優しく包み込んだ。

 翌朝、いつもと変わらぬ無表情にも近い威厳ある佇まいの彼を見て、シモンは無言でスープを飲んだ。

「おいしいかね」
「うん」
「夜中、なにか変わったことでも」
「なにも」
「ほんとうに?」
「なにもないよ」
「そうか」

 それならいいんだと呟いて、伯爵は鼻をすすった。
 夢の名残を覚えているのかもしれない。
 その目尻がいつもより赤いのをシモンは見て見ぬふりをした。

 究極的な胸の高鳴りを覚えたのはこの一件であり、これがもっとも強烈な出来事であろう。
 ある日、伯爵の私室でふかふかの絨毯に寝転がっていたときのこと、シモンはぽつりと「お前のも触りたい」と呟いたのだ。

 聞こえなかったふりをされたのでシモンは伯爵の背に寄りかかり、はっきりとした声で「お前のも触りたい」と同じことを頼んだ。ふいと横に逸れる顔。
 シモンは伯爵の首に腕を巻き付けて「お前のも」と抑揚をつけて耳元でねだった。「触りたい」

 だだをこねた間延びした声に根負けした伯爵は銀色の狼の姿に変身した。
 正直言ってこんなふうに絡まれるのは嫌いじゃない。むしろもっとやってほしいがために伯爵は聞こえないふりをしたのだ。
 そうとは知らないシモンは嬉しそうにそのふかふかの背に抱きついて頬ずりをした。
 両手で思うさまもふもふと毛並みを撫でる。伯爵も鼻先をこすりつけたり、青年の顔をぺろぺろと舐めたりした。
 そのうちにお互いの愛撫が密なものとなって、ふたりは魔獣の毛皮で作られた絨毯の上で、熱く、とろけるように愛し合った。
 狼の姿であったか、人の姿であったかは些細なことである。

 暖炉の火がゆらゆらと燃えるとてもあたたかな部屋の中心で、ふたりは立派な毛布に身を包んで、深い眠りに落ちていた。
 その頃には狼の姿も解いて、伯爵は彼のとなりで穏やかな寝息を立てていた。しかし夢の中ではそうではなかったらしい。

 シモンは首筋になにかが当たった感触で目が覚めた。伯爵の鼻だった。匂いを嗅ぐでもなしにその高い鷲鼻をシモンのたくましい首筋にこすりつけている。
 あぁ寝ぼけているんだなとシモンは当然そう思った。意外だったのはそれからだ。伯爵は鼻や額をこすりつけたあと、ぺろぺろとシモンの頬を舐めたのだ。
 シモンは目を見開いた。

 ――彼はまだ、自分のことを狼の姿だと思っている。

 ふだんは高貴な佇まいや魔王としての迫力を見せる彼が、人の姿のまま、狼のしぐさで青年にじゃれているのだ。
 抱擁を求めるようにすり寄せる鼻先、愛のままに顎を舐めるなめらかな舌。その美しい瞳は閉じられて、無防備な壮年の寝顔を年若き狩人に見せている。

 シモンは体の芯からぼうっと熱くなった。暖炉の火よりも激しい情愛が心の奥底に燃え上がったのだ。
 青年は伯爵をなでまわした。人の姿の伯爵を、狼の背を愛撫するしぐさで、全身をくまなくもふもふした。すべすべの肌をたまらない気持ちで抱きしめて、熱烈なキスを落とすと、伯爵はしっぽを振るように腰をくねらせた。

 ――あぁこんなところ、他の誰にも見せられない!

 シモンは無我夢中で伯爵を愛撫した。
 とほうもない優越感のまま、互いに裸の状態でごろごろ転がりながら愛し合った。めくれる毛布、ゆらめく影。それはみだらで、はしたなかった。
 誰にも見せられない姿であるのは青年もまた同じだった。

 翌朝、ふにゃふにゃとのぼせた表情のシモンを見て、伯爵はその額に手を当てた。
 暖房がきいているからといって毛布一枚で寝かせたのが悪かったのだろうかと、そんな心配な気持ちの現れだった。
 伯爵が触れたとき、シモンはふふっと意味ありげに笑った。それも熱のせいということにして、伯爵は見ないふりをした。なんとなく、知ってしまったら己のプライドに衝撃が走るような気がしたのだ。ふたりだけ、主にシモンだけの秘密にしておくのが得策ということもある。
 伯爵はこほんと咳をして念を押すようにこう呟いた。

「なにかあったとしても――誰にも言うなよ」
「言わないよ。あぁ、お前ったらほんとうに素敵なんだから――誰にも言うものか、あんなすごい秘密」

 気になってしまった伯爵が、もったいぶるシモンの口から真相を聞くまでいくらも時間はかからなかった。
 その後本気でシモンと一緒に寝るのをやめようかと思いつめて、シモンは必死にその考えをなだめたのだった。
 そして数日後、結局同じ寝床に入った伯爵が、今また、彼のとなりでむにゃむにゃと言っている。
 シモンは頬杖をつきながらにこにことその寝顔を眺めていた。
 今度はどんな表情を見せてくれるのだろう。
 いとおしいまなざしにくすぐられたように、彼がふふっと笑った。
 あぁそうだな、今日も楽しかったよなと思いながら、シモンはその日一日が良いものであったことを、彼の寝顔を見てしみじみと実感するのだった。

 終
 14/10/28(火)

 寝ている伯爵様は表情豊かで、シモンさんはそれにときめいちゃったら良いねというTwitter(裏アカ)での呟きを話にしました。
 (伝説の吸血鬼の寝姿にときめく最も高名なる吸血鬼狩人)
 蓮さんのリクエストで、ドラⅡのバッドエンディングを見て泣いちゃう伯爵様が見たいとのことでしたので、それも盛り込みました。
 ブログ閉鎖前にリクにお応えしたく思い……お疲れさまでした!
 そしていちゃいちゃってほんとうに良いものですね。