いつも、いつの間にか

 古の悪魔城にて、棺の中で目覚めた伯爵はゆっくりと身を起こして、首をまわした。鼻から深く息をつき、無事に蘇ったことを確認する。
 狩人との戦いに敗れた彼はひとときの眠りについていたのだ。
 本の世界があるかぎり、伝説の吸血鬼として記録されている彼の存在は、肉体が朽ちても決して滅びはせずに繰り返し復活する。

 しかしこれで何度目だったか――戦績を確かめたくなった古の城主は、魔法で一冊の帳面を取り出した。
 それは天守での戦いの内容を自動書記する魔法の本だった。どの狩人と何回対峙したか、その結果はということが帳面におおまかに記録されている。ほとんどの狩人に対して、自身の戦績は上々だったが、ただひとりについてはその成績が芳しくなかった。同時代に相対した高名なる吸血鬼狩人、シモンである。

 23-102

 数の少ないほうが伯爵の戦績である。もちろん、帳面に記すべきは勝った回数についてだ。
 桁違いだった。
 最初のほうこそ技量も力もシモンを上回っていたのに、数をこなすうちに狩人も慣れてきたのか、回避も攻撃も精緻なものとなり、伯爵は負けを重ねるようになった。人の世からしてみれば悪魔城の城主に狩人が負けるようなことがあってはならないので、23という数字も充分驚異的な記録であるのだが――しかし、負けすぎている。
 深いため息をついて伯爵は帳面を元の空間に戻した。

 私室のドアを開けると、なにやら楽しげな声が聞こえてきた。
 声の主は三人。
 奥の部屋に足を向けると、そこにはシモンと、別世界の自分達ふたりがいた。
 ブリッジをする青年ふたりをもうひとりの伯爵が椅子に座りながら見つめている。手元の小さな円盤を回して彼はこう言った。「右足を赤に」

 シモンはその言葉に従いそろそろと右足を動かした。
 見るといくつものカラフルな円が描かれたシートの上にふたりがいて、シモンはその赤丸が描かれている場所に右足を移動させようとしていたのだった。しかしもうひとりのシモン――赤髪の青年の体が邪魔で、うまくいかない。
 大股開きで脚をのばしたが、赤い円には届かず、バランスを崩した彼は尻餅をついた。
 もうひとりのシモンは楽しげに笑いながら「はい、お前の負けー」と言った。そしてブリッジを解き、腰を落ち着けたところで、ようやく伯爵の存在に気がついたのだった。顔を向けてにこやかに手を上げる。「邪魔してるぞ」

「なんだその遊びは」

「ツイスターゲームと言ってな。審判がまわしたルーレットに従い、順番に両手足を指示された色の円に移動させるんだ。背中や尻が床についたら負け。お前もやってみるか?」

 勝手にこちらの世界にやってきて、勝手に部屋に入り、勝手にうちの青年と戯れるとは――少し怒りを感じないでもなかったが、勝ち負けが発生するそのゲームに伯爵は片眉を上げて興味を示した。

 天守での戦いには負けるが、こういうものではどうだろう――ひとつ、試してみるか。

 勝利の波に乗り、勝ち癖がついたら、実際の戦いにもなにか変化が起こるかも知れない。それに、もしかしたら、シモンを悔しがらせることができるかもしれないのだ。
 命にかかわらない戦いでシモンを打ち負かせる可能性を見た伯爵は、やる気十分で黒外套を脱いだ。

 伯爵のたっての願いでシモンとの一対一の勝負が始まった。
 観客と審判が椅子に座り、わくわくとした目でふたりを見つめる。
 試合開始前に、シモンはまっすぐなまなざしを向けて伯爵にこう尋ねた。「体の具合はどうだ?」
「気遣いは無用だ」伯爵はまんざらでもない表情でそう答えた。
 蘇った自分に対して、彼はいつも心や体の調子を尋ねる。復活を待つあいだ、なにをしていようが、自分のことを頭の片隅において、ずっと思っていてくれる。
 シモンは安心したように凛々しい笑みを返した。

「よろしくな」

 ふんと(照れ隠しに)鼻から息をついて、伯爵は足の裏に力をこめた。裸足である。楽な格好で気合いを入れる伯爵というめずらしいものを見ながら、審判はルーレットをまわした。先攻はシモンである。「左足を青に」

 両脚立ちから片手屈み、四つん這いへと、ルーレットがまわるたびに体勢が様々に変わっていく。余裕のあった伯爵も三連続で同じ部位、同じ色という運の悪い指示を受けて、だんだんとポーズが乱れていった。シモンはまたもブリッジ体勢になり、伯爵は四つん這いとなり――そこでもうひとりのシモンが隣の審判役の伯爵に目配せをして、ルーレットとは違う指示を飛ばした。
「右手を黄色に」「左手を黄色に」「左足を青に」――

 城主は仰向けの狩人に覆い被さるような体勢になった。顔はすぐ近くで、胸も股間も密接するようなぎりぎりの位置だった。照れからか、顔を赤らめてつらい体勢を取るシモンのことを、伯爵もまともに見ることができなかった。
 指示は容赦なく飛ぶ――「右足を緑に」

 青年と脚を絡ませなくては指示通りに動かせない。ぶるぶると震えながら、やむなく脚を伸ばした彼は、ある衝撃が走って自身が寝起きだったことに気がついた。脚がつったのだ。
 棺で体をこわばらせて眠る自分が、体のやわらかさはもちろん、身のこなしも鮮やかな青年に勝てるわけがなかった。
 悲鳴をあげた伯爵は青年ともつれあって床に倒れた。青年の豊かな胸に顔がうずまる。まきこまれた形で背中をついたが、この勝負はシモンの勝ちだった。
 苦鳴を上げる伯爵の脚をシモンは適切にもみ伸ばした。自身でも必死に脚をさすりながら伯爵は審判役のふたりをにらんだ。

「途中から指示がおかしかったぞ」

「そうかな?」

 とぼけるふたりになおも問い詰めようと身を起こしたが、赤髪の青年に意味ありげにウインクされて、伯爵はゆっくりと腰を下ろした。隣ではまだ丁寧に自身を労ってくれる青年が、心配そうな顔でやさしく脚をもんでくれている。
 この青年との近い距離や、もろもろの肌の感触を思い出した伯爵は、胸の内いっぱいによろこびが溢れるのを感じて、勝敗のことはもはや頭にのぼらなかった。ただひたすらに良い思いをしたことを実感して、口髭を膨らませるのだった。

 次の日のこと。
 ラウンジにも自室にもいないシモンを探して伯爵は城の外に出た。ほかの狩人に聞くところによると湖で釣りをしているという。
 満月が照らす明るい道を行き、伯爵はとある湖のほとりでシモンを見つけた。
 釣り道具のほかにナイフやジャベリンなど見慣れた狩人の武器をそばに置いている。魚をしめるのに使うのだろう。

 伯爵はそばへ歩み「釣れるかね」と声をかけた。
 振り向き、人懐こい笑顔でシモンはびくを見せた。イワナやニジマスが数匹。釣り始めたばかりなのだろう。伯爵は少し考えるように顎をなでた。
 そして魔法で釣り道具一式を出した。

 目を丸くするシモンの隣に簡易の椅子を出して腰掛ける。着々と準備を進める伯爵に「お前も釣るのか」とシモンは声をかけた。わかりきったことを聞くなというように伯爵は鼻で息をついた。立派なロッドを振り、黙り込む。
 伯爵は心の中で勝負開始の鐘を鳴らした。

 一時間が経つ頃には伯爵の機嫌は傍目にもわかるほどに不快なものになっていた。眉間や顎にしわを寄せ、険のある表情はそばに寄りたくないほどである。
 一匹も釣れない。それにひきかえ、青年の竿には五分に一回当たりが来る。
 シモンはおずおずと伯爵に声をかけた。

「よかったら、特製の練り餌を使わないか。どんな魚でも釣れる」

 青年に気を遣うように言われたことがかえって伯爵の気分を悪くさせた。
「いらん」唸るように返して、湖をにらみつけた。
 その時、伯爵の竿が動きを見せた。
 椅子から立ち上がり、勢いよく引くと、一匹のナマズがかかっていた。
 しかしどこか様子がおかしい。まるでB級映画の撮影に使われる魚のようにぐったりとして活きがないのだ。
 シモンと顔を見合わせた伯爵は波紋の立った湖に目をこらした。
 なにかがゆらゆらと泳いでいる。魚にしてはずいぶん大きい。
 もう一度釣り針を投げ入れると、その大きな影が近づき、あやしい動きを見せた。
 伯爵が魔法で水中の様子を湖面に映し出した。
 半魚人が自分で用意した魚を伯爵の釣り針にかけているところだった。

「よけいなことをするな!」

 半魚人たちが激しい水音を立てて逃げていった。
 配下にも見かねられたのが腹が立ってしょうがない。
 その時、肩で息をする伯爵の呼吸が静まるような強い風が吹いた。
 木々がざわめく。木の葉が湖面に波紋を呼ぶ。
 風の音が止んだ時、シモンの竿に強い引きがきた。
 緊迫した様子のシモンを見て、これまでの湖魚とはちがうなにかを伯爵も感じ取った。
 特製の竿が波のような曲線を描いて震えている。
 神妙な顔で踏ん張るシモンを見て伯爵もロッドを置いた。
 あのベルモンド家の若者が腕の筋肉を張っている。
 水中から徐々に浮かび上がる影。

 鉄扉を突き破る勢いで、一匹の巨大な魚が水面から跳ね上がった。
 古代魚だ。鱗も尾びれも年季の入った苔色をしていて、それは通常の古代魚のサイズをはるかに超えた、ジャイアントスラグを連想させる大きさだった。異常成長した怪魚と言っていい。

 質量のある水しぶきを巻き上げながら、湖面で身をひるがえした怪魚は、巨大な氷の杭を飛ばした。魔法だ。長い年月を生きた古代魚はシーデーモンのごとき氷の魔術を身に宿したのだ。鋭利さをもって迫ったそれは、伯爵が出した盾で弾かれた。かつて狩人を火の玉から守った魔力のこもる盾だ。幾筋かそれた氷の杭は背後の木立を貫き、中心からめりめりと破壊した。
 木々の倒れる震動で肌を震わせながら、敵の力具合を見て、シモンは慎重にリールを巻く。

「この湖の主といったところか」
「釣り上げるんだろう」
「もちろんだ」

 そうこなくては――伯爵は不敵に片眉を上げた。
 第一撃はそれたが、釣り糸が切れたらそこで終わりだ。次に跳ね上がるとき、怪魚は糸を狙うだろう。ふたりの決断は素早かった。

 怪魚はいまいましい喉の痛みをもたらした釣り人を許しはしなかった。
 しばらく猛烈な勢いで釣り人とは反対方向へ身を引き、相手の腕をしびれさせたところで反撃に出た。
 このまま引きずりこむこともできるだろうが、まずは一撃を食らわせてやりたい。
 怪魚は破壊鎚の勢いをもって湖面に躍り出た。
 氷の魔力を凝縮させ、糸ごと相手の体を打ち抜いてやろうとし――そこで意識は真っ暗になって途絶えた。狩人の投げたジャベリンがエラごと急所を貫いたのだ。釣り竿を伯爵にまかせて、怪魚が空中高くに姿を現したところを狙ったのだった。

 釣り上げた怪魚を見下ろすふたりに遠くの湖面から水音まじりの拍手が届いた。半魚人たちだった。どうやら湖の主は嫌われていたらしい。

「縁側がうまいんだよ」
「君たち狩人はなんでも食べるな」

 呆れたように言いながらも伯爵は満足した笑みを浮かべていた。
「手伝ってくれてありがとう、ヴラド」
 ほほえむシモンに対して、伯爵は「かまわぬ」というふうに片手をひらりとさせた。
 高揚感は城に帰ってからも胸にこころよく残り、伯爵はその晩気持ち良く眠りについた。
 なにかを忘れている気はしたが、それがなんなのかは思い出せなかった。
 決着、勝負、はてなんだったろう。そんなことを思いながら眠りに落ちた。

 目的を思い出した伯爵は翌日、シモンを私室に呼んだ。
 尋ねてきたシモンを暖炉のきいた部屋の中心へと招き、ふかふかの絨毯に腰を下ろした。腋に携えた本を見せる。
 ふたりのあいだに広げたそれは大きな絵本だった。題名は『ベルモンドをさがせ!』――大きな画面いっぱいに種々多様な人物が細緻に描かれていて、その中にまぎれたベルモンド一族をさがすという趣向の絵本だった。これも混沌の産物である悪魔城の内部に取り込まれた一冊なのだろう。
 シモンに楽な姿勢になるよう促した伯爵は、自身も片肘をついてその場に寝転がった。そしてこんな提案をした。

「目次に人物見本があるだろう。どちらが先に聖鞭を携えた人物を見つけるか勝負をしようではないか」

 シモンはその勝負を受けた。初めて見るご先祖様の姿に胸ときめいたせいもある。見本をよく覚えて、ふたりは本に頭を寄せた。

 ――いっせいの、はじめ!

 勢いよくページを開いたそこには、とある町並みが描かれていて、紙面いっぱいに圧倒されるほどの大勢の人物がひしめいていた。
 腰に下げているのは聖鞭かと思いきやロープであったり、手綱であったり、罪人を捕らえる紐や子供が遊ぶ縄跳びであったりして――

「ソニア・ベルモンド。この三つ編み、腰に絡げた聖鞭、確かに私のご先祖様だ」

 シモンが指さしたそこには人物見本に載っていたとおりの姿があった。
 開始三分。伯爵の負けである。

 少し動揺したが、たまたまだと思い、伯爵は開始宣言とともに次のページを開いた。
 必死に目を動かすが、どこにもベルモンド一族の姿は見当たらない。
 どこだ、どこだ、どこだ――

「レオン・ベルモンド。豊かな金髪に真っ白な衣服、なによりこの鞭。間違いない」

 シモンの言うとおりだった。
 伯爵はいったん瞳を閉じ、鼻から深く息をついたあと、ポケットからモノクルを取り出した。右目にはめて、何事もなかったように絵本に向き合う。そして再度の勝負を挑んだ。

 ラルフ、クリストファー、時間はかかったが、いつも先に見つけたのはシモンだった。
 唯一、シモンの代のページで伯爵は青年の姿を見つけたが――開始から10分以上が経ち、あきらかに青年は勝ちを譲るように黙っていたので――もうなにも面白くなくなっていた。モノクルの跡が痛々しい。

 シモンは黙りこくる伯爵を見つめ、どうしようかと迷いながら、ふと伯爵が携えたもう一冊の本に目をとめた。
 題名は『ドラキュラをさがせ!』――これと同じシリーズで、伯爵を見つける趣向の絵本なのだろう。
 そっちもやってみたいなとシモンは声をかけた。好きにするがいいと伯爵は本を開いた。

「お前だ」ページを開いてすぐにシモンは画面の伯爵を指さした。たまたまにしても早すぎる。少し目を丸くした伯爵は次のページをめくった。

「ほら、ここ」伯爵が画面全体に目を行き渡らせる前に青年は紙面の彼を見つけた。あまりの早さに伯爵は思わず笑った。またたく間だ。ちらりと見るとシモンは嬉しそうだった。勝ち負けに関係なく、彼を見つけた喜びで顔がほころんでいる。
 次も、次も、その次も、どの時代の伯爵をもすぐに見つけ出して、伯爵は気づいた時には穏やかな笑みを転ばせていた。機嫌の良い声でしみじみと呟く。「君はわたしを見つけるのがうまいな」

「うん。不思議だ」

 どんな時代にいてもお前に目が行くんだろうなとシモンは笑った。
「ほら、ここにいた」そしてシモンは伯爵を見つめてこう言った。

「お前と一緒にいると楽しいな」
「わたしも君といると楽しい」

 ふたりは見つめ合い、くすくすと笑った。
 勝負事につきものの、悔しさなど一切感じないこころよさで。

 そうして伯爵は気づいた。
 天守での戦いも、勝敗以前に彼と対峙できる行為に喜びを感じていたことに。
 年若き狩人の決意あるまなざし、無駄のない動き、確かに聞こえる血のはやり――それらを感じ取るたびに自身も誇らしい気持ちになっていたことを。

 彼といるとそうなるのだ。彼でなければこうならないのだ。
 いつも、いつの間にか、心の底から楽しくなって、勝ち負けなど関係ないものになってしまう。
 伯爵は納得し、満足したようにほほえんだ。

「部屋まで送ろう――」

 明日も会えるかなと尋ねると、シモンは少し眉を下げて、ゆっくりと身を起こした。あぐらをかき、うつむく。
どうしたと顔を見上げると、シモンは振り向き、遠慮がちにこう言った。

「……泊まっていくのはだめか?」

 ――勝負事に躍起になっていたのは知ってるけど、でもそろそろさみしいから……その……。

 なにより大切なことに気づいた伯爵はがばと身を起こして、シモンをたまらないように抱きしめた。
 頬ずりをし、音立てるキスをして、また頬ずりをする。
 シモンは抱きかえして、同じようにキスをした。満ち足りた気持ちで瞳をとじる。
 伯爵はあふれる思いを抱擁に込めた。

 (勝つことを気にしてなんになろう、彼といればそれ以上に価値のある時間を過ごせるというのに!)

 さみしがらせてすまない――そう囁いて、伯爵はシモンと抱き合ったまま、心地よく身を揺らした。
 あたたかな暖炉の炎のように身をひとつにして、ふたりは愛を交わすのだった。

 終
 15/01/18(日)

 絵本は『ウォーリーをさがせ!』をイメージして頂けたら。
 ソニアさんもレオンさんも等しく載っている感じで、お願いします。