古の城主はスランプに陥っていた。城の新たな防衛設備を整えようとしたのだが、アイディアがまったく浮かばないのである。
城の増築設計は彼の
城の増築、防衛強化は悪魔城の城主という確たる存在を自他に知らしめるための大切な趣味のひとつともなっていたのだが――最近は不調が続いていた。
高名なる狩人と同時代に存在した悪魔城は、もはや改築の必要がないほどの完璧な防衛強度を誇っていた。無駄のない配置をされた強力な兵士たち、シンプルだが的確に狩人を捕らえる罠の数々、天守までの長い道のり。
完成された城に手を加えることは忠臣である死神が再三苦言を呈して、伯爵自身もこの時代の美しい布陣を崩す気がして強くは言えずに、目立った増築はできないでいた。くすぶった思いは防衛とは関係のないプライベートな部分に趣味の私室や庭を造ることで発散していたが、それでも発案したトラップ部屋の威力を試したいという思いは捨てきれず、城主は死神に内緒でこっそりと罠を設置してみたのだった。
「さぁ愚かなる人間どもよ、悪魔城の真の恐ろしさを身に刻むがよい」
任意の場所を映し出せる水晶球に向かい、伯爵はワイン片手に余裕の笑みを浮かべて部屋の様子を見守った。
数人の狩人が疑いもせずに部屋に入ってくる。床には不可視のしびれ罠が設置されており、身動きの取れなくなったところでバリスタが四方から狙い撃ちにするという凶悪な罠だったのだが――この時代に生きた高名なる狩人、シモンが皆に「待て」と指示した。注意深く床を見つめて、ナイフを取り出す。投射した刃はしびれ罠をひとつ残らず破壊し、連動して動くようになっているバリスタを使用不可能にした。伯爵はワイングラスを握りつぶし、立ち上がる。
「すごいなシモン。よくこんな罠を見抜けるな」
風魔が感心したように言うと、シモンはたいしたことはないというふうに、どこか決まり悪げな顔でこう言った。
「最近また別世界へ行くことがあってな……その世界で仲良くなったゴブリン達に罠の解除方法を教えてもらったんだ。あいつ(伯爵)も同じ世界に招かれたようだったし、どこか雰囲気の似ているあやしげな空間だと思ったら、案の定だったな」
まぁその世界にはわずか三ヶ月しか喚ばれなかったのだが。
異世界のトラップを自分でも試したくて仕方がなかった伯爵は、同じくその世界に喚ばれたシモンに易々と仕掛け部屋を突破されたのだった。
あの罠を突破したのがシモンであったのがせめてもの救いだったが、それからはなにを思いついてもマイナスなイメージが先行し、伯爵は新たな仕掛け部屋を生み出せなくなってしまった。趣味の私室作りも生彩を欠いたものになり、なにかを作ってもその壁はコンクリート打ちっ放しの無機質な部屋で、優美さはかけらもなくなった。苦労して作っても満足のいかないものばかり。真っ白な図面の前にうつむく城主。完全なスランプ状態だった。
そんな彼を、スランプに陥らせた当の本人が慰めていた。シモンである。
青年は伯爵の私室に頻繁に出向いては、気持ちを切り替えさせようと、プレゼントを贈ったり、ゲームに誘ったり、散歩や運動を勧めたりした。
しかし伯爵は図面の前から動くことがなかった。もやのかかった頭をぐるぐるとむやみに働かせて、決して金の出ない鉱脈を掘り続けた。うっすらとくまが浮かんだ横顔を見て、シモンはさみしそうに伯爵の背に話しかけた。
「新しい部屋を作るのはいいが、皆を傷つけるようなのは……」
「わたしは防衛設備を整えているのだぞ」
守りを固めるのは城主として当然のこと、それを批判するのであれば君であろうとも容赦はしない――険しい雰囲気に柱時計の鐘の音が混じった。シモンは「八時だ」と呟き、ぎこちない笑顔で伯爵の手を取った。
「気分転換にテレビでも見よう」
伯爵も不承不承ながらソファに移動した。
混沌の世界はめまぐるしく変化する。本の世界は様々なものを取り込みはじめて、最近ではハイビジョン対応の薄型テレビを現出させて、それに呼応するように極東の電波まで入るようになった。蒼真の時代にも満たない古い映像だが、この時代にとっては遙かな未来の出来事で、ふたりは刺激の多い未知の娯楽を抵抗もなく楽しんでいた。なかでもふたりの興味を引いたのが古びた民家をリフォームして、改築前と改築後の、ビフォーとアフターを楽しむという番組だった。住みにくかった住居が快適かつ洗練された住まいに変わるその番組は伯爵の大のお気に入りで、リフォームの匠が披露する豊富なアイディアの数々は、伯爵の感性を大いに刺激した。心のどこかでスランプ脱出の手がかりにならないかと考えたふたりは、創作のヒントをつかむべくテレビに向かったのだった。
『……なんということでしょう! 手つかずで荒れ放題だった庭が一新。ゴミ出しも楽に、延段のアプローチが玄関まで緩やかに続く、モダンな日本庭園に生まれ変わったではありませんか』
番組の決めゼリフが放送されるころになっても伯爵の気鬱の色は変わらなかった。数々のアイディアに感嘆することはあっても、光明を得るほどの刺激は受けなかったのだ。
シモンは何度も伯爵の様子を伺っては、気力が生まれないその横顔を見て愁眉を寄せた。なんとかしてあげたい。狩人として皆を危険に陥れる手伝いはしたくないが、創造性を活かせず、苦しむ彼の姿を見るのもつらい。せめて趣味部屋のひとつくらいのびのびと製作できたら――うつむくシモンをよそに、伯爵はあるCMを見て身を乗り出した。「なんだあれは」
こういった番組には住宅関係のスポンサーが付くもので、伯爵はとある住宅展示場のCMで、画面の中央に立つ巨大な人形に目を引かれていた。家とはまったく関係のなさそうな怪獣を模したそのふくらみに、大人も子供も笑顔で集まっている。顔を上げたシモンがその人形を見て「あぁあれは」と何気なく話し出した。
伯爵の興味を引いたのは、住宅展示場によく見られる、空気を入れた巨大なバルーンだった。通称ふわふわ。中に人が入れるようになっていて、大人も子供も空気張りの感触をぴょんぴょん飛び跳ねて楽しむのだ。
「ゴエモンに聞いたことがあるよ。客寄せと子供の遊び場を兼ねた目を引く遊技場だって」
青年の友人が活躍する大江戸はぐれ町、そこは巨大からくりメカを製作できるほどに科学力が発展した世界なのだ。極東の未来を先取りするなど造作もないことだったろう。誰もかれもが目新しいものは喜んで取り入れて、生活に活気と彩りを与えているのだ。
「ふわふわ!」
カッと伯爵の目が見開かれて、電流が走ったように一点を凝視する。アイディアが頭の中でつなぎ合わされて、確たる設計図が浮かび上がったのだ。
様々な世界に顔が利く高名なる狩人にふわふわのことを聞けるだけ聞いてから、伯爵は猛然と立ち上がった。そして設計図に向かい、バリバリとペンを動かした。その横顔は気力に溢れて自信がみなぎっている。シモンはそんな伯爵の姿を、とまどいながらも、どこか期待するように見つめるのだった。
数日後、古の悪魔城に新たな建築物が建立された。
城のすぐ隣の森を切り開いて、巨大なバルーンが設置されたのである。それは伯爵の忠臣を模したポップな可愛らしい『死神さん』というデザインで、ウインクした頭蓋骨も群青色のローブも魔力による空気の注入で絶えずパンパンに膨らんでいる代物だった。
『死神さん』の体内には誰もが自由に入ることができ、そのローブの内側ではどんなに暴れようとも傷ひとつつかない。至るところにキルクルス(磁石移動)を可能にする磁石が埋め込まれている、直径30メートルはある巨大な遊技場だ。ひとたび中に入れば、そのふわふわとした感触に大人も子供も夢中になってぴょんぴょん飛び跳ねるようになってしまうのだ。それこそ、時を忘れて。
踏みつけができない女性たちは未知の感触に可愛らしい歓声を上げて飛び跳ねて、また、踏みつけとは違うロープの反動のように壁面に弾かれる感覚に誰もかれもが我を忘れて楽しんだ。ひとりのジャンプに地面が揺れて、転げた者も一緒に笑う。ふと上を見上げればシャノアがキルクルスで上下左右に壁を蹴っては、安全な場所で滞空の感覚を掴もうと(楽しみながら)磁石移動の反復練習を行っている。
タイムリミットだ。『failed』が告げられると、マリアは不満そうに「えー」と言った。「マリア、もっと遊びたいなー」
「また明日来ような」リヒターは妹の乱れた髪の毛を整えながら穏やかになだめた。笑顔の彼は身も心も満ち足りた気持ちでいっぱいだ。時間切れになるまで、スライディングキックで縦横無尽に飛び跳ねてはぽよんと壁にはね返される遊びを繰り返したのだ。死神さんの体内は包容力に満ちている。誰もが時の経つのを忘れてはしゃいでしまうほどに。
本の世界では探索できる時間が限られている。時間制限内にその世界の支配者を討ち取らねば無傷であろうとも探索は失敗と見なされるのだ。
失敗に終わった狩人たちの表情は皆一様に残念そうだが、それは探索の成果のことではなく、この遊技場の閉園時間を迎えたことに対してさみしい顔をしたのであった。
ぜいぜいと息を切らして大の字に横たわるユリウスは、シモンを見上げてこう言った。
「ドラキュラは恐ろしいものを作るな」
シモンは眉を下げて、しかしどこか誇らしげに苦笑した。新たな防衛設備の完成だった。その様子を水晶球越しに見つめる伯爵は満足そうに微笑んだ。スランプは消え去ったのだ。狩人たちをまんまと罠にはめた充足感で今は魂の底から快い。城主としての優美な微笑をたたえたが、水晶球を見つめるうちに、その笑みは徐々に静まっていった。水晶球には皆を助け起こすシモンの姿が映っている。彼もまた皆と一緒になって飛び跳ねて、床に転がってはふわふわとした感触に笑みを浮かべたのだった。
こんな笑顔を最近見ただろうか。
スランプに陥ってからもいつも一緒にいたのに、そのあいだ、自分はずっと真っ白な設計図を睨んでいただけだった。
思い返せば、スランプから立ち直るきっかけを与えてくれたのは、この高名なる狩人で――。
伯爵は椅子に沈み込んで、じっと水晶球を見つめていた。彼らが去ったあとも姿勢をそのままにして、水晶球の向こうを見つめ続けていた。
翌日、私室に遊びに来たシモンを窓辺まで導いて、伯爵は青年の肩を抱いた。
シモンは穏やかに頭を寄せた。月明かりがふたりを青く淡く照らしている。
「誰も傷つけない防衛設備を作るなんて、お前はやっぱりすごいな」
伯爵は一瞬微笑を浮かべたが、すぐにもとの威厳ある顔立ちに戻り、月を眺めた。
「ただの模倣だ。それにすぐに飽きられるだろう。また新たなものを考えなくてはなるまい」
しかしそれまでのあいだ、と伯爵は夜空からシモンへと静かに視線を移した。ずっと見つめたかったものを大切に瞳に収めるように。
「君と一緒に過ごしたい。今まで自分のことに夢中になって、君のことを気にかけずにいて……すまなかった」
愛に満ちたまなざしに、シモンはキスで応えた。ぬくもりを分かち合い、ゆっくりと顔を離す。お互いに目にしたかった、喜びの笑顔がそこにあった。
三日月の光に美しく彩られたふたりは、心のままに抱擁をしながら、これまでの時間を埋めるようなあたたかなキスを何度も何度も交わすのだった。
終
15/07/16(木)
キングダムドラゴニオン出演お疲れさまの意味もこめて。
伯爵様はふわふわ(本当にこんな通称らしいです)が好きそうですよね。